「へぇ~」「スゴイ!」と感動出来るような、ビックリする様な数々のエピソード、宜しく御願いします!!
笑福亭松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」(以後:杉本表記)に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。「明石屋さんま」は誤字。師匠は、家業から名前を付けるのが好きなようで、兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の長谷川公彦が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」(以後:長谷川表記)と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされたというものがある。 愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「チャッピー」(ヤングおー!おー!内で桂三枝と共に「サニー&チャッピー」で出演)、「さんちゃま」また、中堅 - 若手芸人からは「さんまさん」「お笑い怪獣」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に相当するもので「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡ってお笑い界で活躍したことから、若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えており、タモリや桑田佳祐や松尾伴内は(明石家さんま)師匠と呼ぶ事もある。但し、正式な弟子はとらず、さんまが26歳の頃に吹田市千里丘のMBSで生放送していた「ヤングタウン」の放送中に「尾形久」という当時18歳の少年が、弟子入り志願で入口付近に来ていると警備員から報告が入り、「今、弟子入り志願の少年が来ているらしい」と生放送で話をしていた。それが弟子入り志願者第1号であったらしい。その後数回その「尾形」という少年と会ったらしいが、弟子になりたい人間と弟子を取らない人間との話のすれ違いもあり、連絡も途絶えたらしい。その少年は現在、大阪の不動産業界で働いているらしい。その後も数十名の弟子入り志願者が来たらしいが、全て断っている。(弟弟子の明石家のんきは「明石家」を名乗っている為弟子と勘違いされる事がある。)村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生(センセ!)」と呼び、なだめる場合がある。 同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)と呼び捨て、タモリにも「タモリ」、「森田」と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。
ディズニーランドでは芸能人が来園すると
キャストにすぐ連絡が来るんだそうです。
あるとき、さんまさんが娘さんを連れて来ました。
最後尾に並んださんま親子。
キャストさんは
「こちらへどうぞ!」
って並ばなくてもいいドアへ案内しようとしました。
するとさんまさんはこう言ったそうです。
「娘に『並んで待つからこそ楽しいんだ』ってことを学ばせたいからって断ったそうです
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