毎年この暑い時期になると、マスコミが口をそろえて「戦争体験を語りつくべし」「若者は戦争を体験したことがない~」「戦争は悲惨だった~」「語り部~」などと馬鹿の一つ覚えのようにくり返します。この「戦争体験」とはもはや60年前の話で戦争の姿も様変わりしております。つまり時代遅れにもほどがあり、その体験談を丸呑みにするのは有害であると考えます。最前線から銃後、はてはシナ大陸からの引き上げまで戦争体験ということで一括りされているのも疑問です。また記憶というものはあいまいなもので、時を経るとともに変化してしまうことも容易に想像がつきます。極めつけは「第二次世界大戦」に固執する余り、現代の紛争を見落としては居ないかという懸念もあります。最後に戦争体験を語り継ごうということに腐心する余り「語る」こと自体が目的化し、戦争体験からどのような教訓を得られるのかという重要な事項を見落としていると思います。

なぜ戦争体験を「語りつぐ」ことがそんなに重要なのですか?戦争体験を語る、語り継ぐことについて論じてください。もうマスコミの「若者は~」「戦争は悲惨~」「戦争体験は大事~」という論調にはうんざりです。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 100 ptで終了
  • 登録:
  • 終了:2009/08/22 00:25:02
※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答20件)

<前のツリー | すべて | 次のツリー>
教訓はそれぞれ違う という解釈だからでは? WATAO712009/08/15 04:52:44ポイント2pt

必要悪という言葉もありますし、必ずしも戦争そのものが良くないとは言い切れません。

ですから「これが正しい」「これは間違い」という教訓を語り継ぐ必要は無いと思います。


しかし語り継がなくなればその事実から教訓を得ようとする人すらいなくなってしまうでしょう。

そしてまた何も考えずに戦争をしてしまって後悔することになるかもしれない。


ですから、戦争をするにしてもしないにしても、前例を忘れないことで「後悔をしないようにする」というのが目的なのではないかと思います。

教訓はそれぞれ違う おやまあ2009/08/15 10:34:10ポイント1pt

たしかにそうです。戦争の歴史はどこの国でも教えられているのですが、そこから出てくる教訓は様々です。他国の場合、その教訓が「敵国憎し」だったり、「やられたのだから、やり返そう」だったり、「だから、軍隊を大きくしなければ」だったりすることもあります。歴史から学ぶことや戦争体験を語ることが、平和へとつながっていくとは限らないということです。

<前のツリー | すべて | 次のツリー>

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

回答リクエストを送信したユーザーはいません