NHK が "吉本興業" を通して 山口組ヤクザに乗っ取られようとシテイル!!!!!!



報道はソコソコ、右勢力や財界の望むようにヤラセておいて、エンタメとスポーツは全て吉本が仕切るコトで、NHK の受信料収入をジャブジャブと打ち出の小鎚のように吉本→山口組ルートで流そうという算段ダ!!!!!!


朝の連続テレビ小説なんて酷いゼ!!!!!!

NHK大阪局が制作担当する時は、芸人なんてトテモ言えナイ、吉本所属のアホ・バカ タレントが毎日入れ替わり立ち替わり大挙出演して、公募で選ばれた女性主人公以外は、脇のホトンドが吉本で固められてる事もショッチュウ!!!!!!


最近では、大相撲がヤクザのコントロール下に。桟敷席では、招待された組の人間が大量にウヨウヨ、中継にヨク映ってるソウダ!!!!!!


勝負の中身も決められてるカモ知れんナ!!!!!!


日本人が稼いだ富を掠(かす)め取り、収奪し、一部の者の間でタライ回す同和・在日ヤクザを殲滅(せんめつ)セヨ!!!!!!


文化庁の OB と組の上層部が NHK の各地の所有不動産を含めた財産をドノ様に組の為に処分しようかと相談していると言う!!!!!!

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バカを言っちゃ駄目ダ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! Hafiz2009/09/21 15:52:52

吉本興業の社員数千人の平均年収は、ナント1084万円で、世界一の自動車メーカートヨタ自動車の正社員の平均年収829万円を200万円以上上回っている訳ヤカラやりたい放題ナンヤロ!!!!!!!!!!!!

おバカを言っちゃイカンよ!!!!!!!!!!!!!! 今の社会だからトヨタのようにツルンでるんジャナイカ!!!!!!!!!!!!!!! Hafiz2009/09/21 14:44:36

勿論、恫喝と恐喝の末にやむを得ずという例が多いが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

吉本とヤクザ jozetora2009/09/19 23:08:29

あんまり意識したことがないですね。給料が少ないくらいのイメージしかなかったです。

あるような無いような IlO10l0Il2009/09/19 03:01:32

のりぴーの家族がヤクザだったことはびっくりしました。

超売れっ子アイドルになったのもヤクザパワーでしょうか?


ところでなんで吉本興業?

吉本の社員である中田カウスが襲われてましたよ?

その中田を嫌いな前田がクビになってましたよ?

今の社会でも sidewalk012009/09/18 22:50:18

ヤクザと仲良くする利益ってあるんですかね?

暴力団と芸能界の共生関係 ラージアイ・イレブン2009/09/18 21:56:44

NHKと吉本興業の関係に限らず、芸能界そのものが裏社会(特に山口組)とつながっており、芸能界を使うメディアは裏社会とつながりを持たざるを得ない、という事実認識は外すべきではないでしょう。

 

● 芸能界と暴力団〝共生の歴史〟

 

 芸能界と暴力団の〝共生関係〟は、江戸時代の初期に始まっている。常設の芝居小屋や寄席では、会場の警備などをやくざに任せる代償として、入場料の一部を「冥加金」の形で彼らに支払った。芝居小屋が集中していた東京・浅草界隈の場合、それを一手に仕切ったのが講談、浪曲などでお馴染みの新門辰五郎だった。幕府にとっても、そのほうが防災の手間も省けて都合がよかった。つまり権力側は、自らの手を汚したくない面倒な部分をやくざに〝信託統治〟させたのである。

 こうしだ構造は江戸から明治、大正と時代が移るにつれて、さらに強まった。ときの権力の庇護を受けたやくざは、やがて用心棒だけでなく自ら劇場や寄席を経営したり、種々の興行権も手中に収める。

 このように芸能人と暴力団は、もともと同じ土壌から生まれた義兄弟だった。

 芸能評論家の竹中労は著書『美空ひばり』で、次のように書いている。

 

《……なべて、庶民社会の芸能は無法の群れ――やくざ集団と結びついていく傾向を持つ。なぜなら、ギャングとスターとは、いわば資本主義社会が生んだ一卵性双生児だからである。あるいは、庶民の夢のネガ(陰画)とポジ(陽画)といってもよい》

 

 この両者は、お互いに持ちつ持たれつの関係を保ちながら長い道のりを歩み、華やかな芸能史を綴ってきた。こうした歴史的背景を考えると、その是非はともかく、芸能界が暴力団との〝共生関係〟を容易に断ち切れないのも、むしろ当然であろう。

 現在、ほとんどの芸能はテレビ局が送り手になっている。しかし、それまで大衆娯楽の中心は映画や演劇、寄席、さまざまな興行だった。かつて映画の撮影所には、暴力団員が整理員やエキストラの手配師といった形で働いていた。また、彼らを私設ボディーガードとして連れ歩く人気スターも多かった。そして映画のロケでは、その土地を仕切る顔役にショバ代を払い、暴力団員が俳優や撮影の警備に当った。

 芸能やプロレスなどの興行権は、暴力団にとって縄張りと同じ意味を持っている。新しい土地で興行を打てば、そこは自動的にその暴力団の勢力範囲になる。

 かつて大阪府警の捜査資料は、大阪の柳川組(現在は山口組に吸収合併)の手口をこう紹介している。

 

《まず興行予定に子分を派遣して地元暴力団の組員に金を切って手なずけ、相手の組の実態を知ったうえで大幹部が出向いて行き、相手方幹部と交渉する。相手が条件をのまないときは柳川組と山口組をバックに出して相手を抑え、前売券を強制的に割り当てて、その反応により硬(力)軟(金)の圧力をかけて勢威を示し、抗争事件が起きたときは強大な組織にものをいわせて相手を屈服させ、その傘下に収める》

 

 縄張り拡張の先兵と同時に、こうした興行が暴力団の重要な資金源になったことはいうまでもない。

 そんな暴力団の抗争を背景に、昭和三十年代の興行勢力地図は、ざっと全国を五分していた。まず北海道が本間興行、東北地方が松葉会系の自由芸能社、信越や中京地区がシバタ興行と鵜飼興行、京都、奈良、和歌山から北陸地方が関西芸能、大阪、兵庫から九州にかけての西日本一帯が神戸芸能社である。また、在阪芸能社の連合体である関西芸能社協会の会長は、大阪芸能社の白神一朝社長が務めていた。白神社長は当時、山口細若頭補佐だった。

 興行の安全と庇護を求める芸能人は、こうした支配下に次々と組み込まれていった。そのほうが地元の暴力団による悪質ないやがらせがなく、金銭トラブルも少なかった。

 数多い暴力団の中で、もっとも興行に力を注いだのは山口組である。三代目組長の田岡一雄は戦後間もなく、神戸の関西劇場で先代組長・山口登の「七回忌追悼浪曲大会」を開いた。それを第一弾に、やがて美空ひばりのうしろ眉となって、昭和三十三年四月に山口組興行部「神戸芸能社」を設立する。そして西日本一帯の興行権を握り、その全盛時代には美空ひばり、田端義夫、高田浩吉、里見浩太朗、山城新伍、品川隆二、川田晴久、フランク永井、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、三船浩、白根一男、三波春夫、坂本九、守屋浩、橋幸夫、佐川ミツオ(満男)、和田弘とマヒナスターズ、舟木一夫、三浦洸一、北条きく子、榎本美佐江、松尾和子、野村雪子、三沢あけみ、藤本二三代、渡辺マリ、大津美子、五月みどり、松山恵子などの地方興行を手掛けた。その結果、神戸芸能社の興行収益(申告額)は昭和三十九年、一億三千二百七十九万円にのぼっている。

 昭和三十九年十二月、警察庁は捜査四課内に『組織暴力犯罪取締本部』を設置し、組織暴力団の壊滅作戦に乗り出した。そして小野透や里見浩太朗、山城新伍、本郷功次郎、平尾昌晃、葉山良二、北条きく子、小林旭、石原裕次郎、横綱の大鵬と柏戸、作家の大藪春彦らが相次いで拳銃の不法所持、もしくは密輸容疑で書類送検された。里見と山城はハワイから持ち帰ったピストルを、山口組・田岡一雄組長の運転手に贈っていた。

 さらに警察庁は翌四十年二月、芸能人や興行関係者に「暴力団との関係を断つよう」に通告する、それを受けて、日本映画製作者連盟や日本喜劇人協会、日本歌手協会、日本新劇俳優協会、日本音楽事業者協会なども次々に暴力団との絶縁を宣言した。

 この暴力追放キャンペーンによって、暴力団系の興行は全国各地の公共施設から締め出された。わが世の春を謳歌していた神戸芸能社も〝もぐり営業〟の摘発で、ほとんど壊滅状態に陥った。

 

●暴力団追放キャンペーンでも生き残る

 

 しかし、それでも芸能界と暴力団の密接な〝共生関係〟は絶たれなかった。昭和四十七年、全国の警察幹部に配布された『山口組と政・財界、右翼との関係』という文書には、山口組と親密な芸能人として高倉健、北島三郎、坂本九、橋幸夫、鶴田浩二、堺正章、高田浩吉、藤山寛美、大友柳太朗、松方弘樹、伴淳三郎、若山富三郎、勝新太郎、水の江滝子、清川虹子、大江美智子などの名前が挙げられている。

 そこで警察庁は、昭和四十七年から四十八年にかけて第二回目の暴力追放キャンペーンを展開する。その第一弾として、美空ひばりの実弟・加藤哲也を暴力行為で検挙し、ひばりの公演も各地の公共施設からボイコットされた。ひばりはテレビから締め出され、NHK『紅白歌合戦』の出場メンバーにも選ばれなかった。ひばりとNHKの確執は、この落選に始まる。

 このように警察庁は、これまで何回も暴力追放キャンペーンを展開してきた。が、芸能界と暴力団の〝共生関係〟は、いまもほとんど実態は変っていない。

 昭和五十年二月、警察庁がまとめた『暴力団と興行の実態』という捜査資料には、歌手二十四人、俳優二十三人、プロスポーツ選手三人の名前がリストアップされている。それによると、たとえば演歌の人気歌手には、二代目誠友会田村組の組長と函館市内で演歌師をしていたころから親しく、双愛睦畔田組(千葉県)の幹部、山口組系北友会福井支部の幹部とも親密な関係にあるという。このようにリストアップした五十人について、それぞれ具体的な事例を挙げているのだから、暴力団の新年会や誕生パーティに出席もへったくれもない。

 昭和五十六年七月二十三日、山口組の三代目組長・田岡一雄が急性心不全のため六十七歳で亡くなった。その葬儀には高田浩吉、田端義夫、鶴田浩二、勝新太郎、菅原文太、美空ひばり、清川虹子、大信田礼子、江利チエミらが参列した。また、片岡千恵蔵や杉良太郎、村田英雄、三橋美智也、五木ひろし、細川たかし、森進一、品川隆二、高倉健、小林旭、待田京介、片岡秀太郎、郷ひろみ、西郷輝彦、千昌夫、堺正章、ジュディ・オング、都はるみ、松山恵子、高田みづえ、小林幸子、石野真子、高田美和、川中美幸など約五十人が花を贈り、こうした芸能人を代表して美空ひばりが弔辞を述べている。

 前出の『暴力団と興業の実態』によると暴力団が経営、もしくは関係している興行会社や芸能プロは七十六社を数える。が、それはあくまでも表面に出た場合に過ぎない。全国に三千社以上もある芸能プロのうち、その約八十パーセントが暴力団と直接、間接的につながっているという。だから彼らといっさい無関係で興行を打つことは、ほとんど不可能に近い。

(『噂の眞相』1989年6月特集9 広域暴力団と芸能界の根強い〝共生関係〟を剥ぐ! )

http://www.uwashin.com/

 

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