お酒ですかね。生きるパワーがみなぎってきます。それから、何か嫌なことがあった時もすぐに忘れられます。(^_^;
※参考URL
究極のところ、「心」だと思います。
何かを感じる「心」がなければ、生きていても虚しいでしょう。
嫌なことを感じることもありますが、嬉しいこと、喜びを感じることもある。
さまざまなことを感じられる「心」を大切にしたいと思いますね。
娘です。
自分の子ってこんなにも可愛いものなのか、と実感しています。
毎日振り回されて大変なこともありますが、、娘の笑顔で忘れちゃいます。
この子の成長を見守りたい、ずっと一緒にいたい気持ちです。
自分の感覚ですかね
どんな体験をしても
感想だったり、経験(技術とかスキルとかではなく)
として残るものは自分で感じたことだけかなと
こんなことを書いてる自分の感覚は・・・
怪しいともおもうのですが、どうしようもないのかなと
自分に自信があるわけではなく、不安なのですが
自分の感覚を信じて、磨くしかないと思っています。
自分が育った環境よりも、
頑張って良い生活をしているという自負。
沢山働いて、子供に教育を受けさせ、
平和な家庭を作って、人並みに暮らしているという
「人として頑張っている」満足。
「本当に、良くぐれなかったね」と言われるような
劣悪な環境に育ったので、
恨み返しとして、健全な家庭を目指して働いてます。
友人です。
悩みごとなどは家族には言えないこともあります。
でも友人にだけは話せます。
言葉にして話さなくても何故か友人には以心伝心というように伝わっていることが多いほど、友人あってこそ今の自分があると思います。
いつも感謝の気持ちでいっぱいです。
楽しみ
将来はフランスに旅行したいという夢もあり、日本全国各地回ってみたいという夢もあります。
旅行に行くのが好きなのでそれまで頑張ろうと思えます。
空想させてくれるものです。
「生きていける」の意味はいろいろ解釈できますが、私は「つらい時を何とかしのげる」と考えました。
愛情・友情やお金・食料などの、自分と現実(社会)の間を取り持つ要素はもちろん生きていく上で必須だと思います。でも時にはまさに「生きていけない」理由を生んだりしますよね。そういう時にでも生きていけるのは、自分の空想力とそれを誘発してくれるものがあるからだと私は思っています。
そのようなものの中でも重要なものが二種類あって、一つは娯楽です。例えば映画、音楽、小説、漫画などでしょうか。これは私が受信するものですね。もう一つは私が発信する(多くの場合は自分に対してだけの)もので、創作活動です。音楽や文学など、モノとしては受信系と同じですが、自分で歌や詩などを作ることは、プロの作品を楽しむのとはまた違った空想を許してくれます。
それで受信したり発信したりしながら何を空想しているのかと自問してみましたが、いまいち判然としません。映画や物語ならば主人公になりきっているのかも知れませんし、音楽ならばあらぬ情景や懐かしいことなどを思い浮かべているのかも知れません。
ジョン・レノンも歌ってましたが、とにかく現実がにっちもさっちも行かないときは空想(イマジン)するのもアリです。でも気をつけないと空想の世界を無理やり「現実だ」と主張し始めたりして、やっぱり生きづらくなって行きますね。
コメント(1件)
ご回答いただきましたみなさんどうもありがとうございました。
また何かご質問させていただくかもしれませんので、
そのときはどうぞまたよろしくお願いします。