↓下記の「お話」の出典を教えてください。できる限り一次資料に近いものにポイントを多くさし上げます。



学問の世界が、中世から近世的なものへと切り替わった瞬間とも言われる、有名なお話。:アルファルファモザイク
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51515181.html

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  • 登録:2009/10/27 09:06:39
  • 終了:2009/11/03 01:58:04

ベストアンサー

id:kanan5100 No.2

kanan5100回答回数1469ベストアンサー獲得回数2752009/10/27 12:53:18

ポイント50pt

http://www.j-texts.com/jikki/toshogufuroku.html

東照宮御實紀附錄卷一

一年京都にて道春諸生をあつめ。新注の論語を講說せしかば。聽衆四方より集りて門前市をなす。淸原極﨟秀賢禁中へ奏しけるは。我朝いにしへより經書を講ず るは。勅許なくてはつかふまつらざる事なり。しかるに道春私に閭巷に講帷を下し。且漢唐の注疏に遵はず。宋儒の新說を用ゆる事。その罪かろからざるよしな れば。朝議もまちまちにして一定せず。武家の御旨をうかゞはれしに。  君聞しめして。聖人の道は即ち人の學ばずしてかなはざる道なり。古注新注は各其好 に應じて。博く世上に教諭すべき事なり。これをさへぎりさゝへむとするは。全く秀賢が褊狹心より猜忌するものなり。尤拙陋といふべしとの御旨なりしかば。 其訴も遂に行はれずしてやみしとなり。(羅山行狀。)

これでしょうね。

もともとは林羅山の事跡を記した「羅山行狀」にあるエピソードのようです。

ただ、今川氏真は登場しないようですが……。

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/2061/1/KJ0000...

この論文の6ページにも記述があり、そこでも出典は「東照宮御實紀附録」とあります。

id:matsunaga

出典はこれで間違いないように思われます。

清原秀賢(船橋秀賢)が禁中に奏上し、朝議まちまちであるため武家の趣旨をうかがった、としか書いてありません。

氏真は関係ない可能性が高いですね。

氏真をくっつけた人は誰なんでしょう?歴史小説や歴史風ビジネス書でこういう怪しげなことを書きそうな気もしますが……。

2009/10/27 13:07:34

その他の回答(1件)

id:alpinix No.1

あるぴにっくす回答回数615ベストアンサー獲得回数972009/10/27 12:09:22

ポイント30pt

問題の記事の2chの過去ログを保管しているところに原文がありました。

http://copipe.info/archives/8790

なのでこの「文章」そのものの原点は2chだと思われます。

ここから先は想像で「中身」の方ですが、

http://nels.nii.ac.jp/els/110000473049.pdf?id=ART0000856369&type...

の後半に信頼できる記事として林羅山の功績として「公開講座」が開かれたとあるのでこちらは史実だと思われます。

一方今川氏真と徳川家康が会ってこんな会話をしたかどうか、ですが、どうも出展がみつからず怪しいです。

http://typecast.typepad.jp/t/typecast/28624/231035/27256948

他にもありますが、今川氏が徳川家康と「和歌」について語り合うという記述は頻繁に見つかるので、こちらかの派生ではないかなーと。

確かに慶弔8年の時点では氏真は京都に住んでいるのですが、このときに家康に接見できたかといえばちょっと怪しく、wikiにある後年の記述

『及聞秘録』には、晩年家康を頼った氏真が江戸城をたびたび訪れて長話をしたために家康が辟易し、江戸城から離れた品川に屋敷を与えたと記されている。家康が氏真を江戸城で引見したかについては疑わしい。

を見ても造話ではないかなーと。

外れてる可能性も高いですが

id:matsunaga

ありがとうございます。

有名な話というからには何かそういうことを書いた人がいるんじゃないかと思ったのです。

ただ、歴史に基づく逸話といっても非常に疑わしいものもありますので……。

公開講座自体は確かに開かれたようですね。

2009/10/27 13:04:27
id:kanan5100 No.2

kanan5100回答回数1469ベストアンサー獲得回数2752009/10/27 12:53:18ここでベストアンサー

ポイント50pt

http://www.j-texts.com/jikki/toshogufuroku.html

東照宮御實紀附錄卷一

一年京都にて道春諸生をあつめ。新注の論語を講說せしかば。聽衆四方より集りて門前市をなす。淸原極﨟秀賢禁中へ奏しけるは。我朝いにしへより經書を講ず るは。勅許なくてはつかふまつらざる事なり。しかるに道春私に閭巷に講帷を下し。且漢唐の注疏に遵はず。宋儒の新說を用ゆる事。その罪かろからざるよしな れば。朝議もまちまちにして一定せず。武家の御旨をうかゞはれしに。  君聞しめして。聖人の道は即ち人の學ばずしてかなはざる道なり。古注新注は各其好 に應じて。博く世上に教諭すべき事なり。これをさへぎりさゝへむとするは。全く秀賢が褊狹心より猜忌するものなり。尤拙陋といふべしとの御旨なりしかば。 其訴も遂に行はれずしてやみしとなり。(羅山行狀。)

これでしょうね。

もともとは林羅山の事跡を記した「羅山行狀」にあるエピソードのようです。

ただ、今川氏真は登場しないようですが……。

http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/2061/1/KJ0000...

この論文の6ページにも記述があり、そこでも出典は「東照宮御實紀附録」とあります。

id:matsunaga

出典はこれで間違いないように思われます。

清原秀賢(船橋秀賢)が禁中に奏上し、朝議まちまちであるため武家の趣旨をうかがった、としか書いてありません。

氏真は関係ない可能性が高いですね。

氏真をくっつけた人は誰なんでしょう?歴史小説や歴史風ビジネス書でこういう怪しげなことを書きそうな気もしますが……。

2009/10/27 13:07:34

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