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まず、ミーが父親の仕事の関係で、中学1年の12月頃、ふたたび、静岡市へ戻ってくる。そして静岡市立末広中学へ転校する。
その頃、ケイの方は漁師をやっていた叔父(つまり養父)が病死してしまい、叔母と一緒に静岡市内へ引っ越すこととなったのだ。そして中学2年の新学期から末広中学へミーの後を追うように転校することに・・・。
しかし、同じ中学に通い出したからといってもすぐに出会ったのではありませんでした。
ケイは焼津時代から引き続きバスケット部。ミーは自分で作ったといわれるコーラス部でそれぞれの青春を謳歌していました。
同じ中学に通いながらも全く接点のなかった二人、そんな二人が運命の糸に引き寄せられるように出会ったのはあるアクシデントがきっかけでした。
それは二人が同じ中学に通い出して1年以上も経過してからのことでした。
中学3年になって間もなくの5月のこと。その日はお天気はあいにくの雨模様。
体育館でいつものように、ケイはバスケットの練習に励んでいました。
ところが、濡れた床の上ですべってしまい、脊髄がずれてしまうという大怪我をしてしまったのです。
夏の大会は目前。スタメンの彼女は最後の試合だからと叔母にも先生にも告げず、1週間そのままで練習したそうです。
脊髄がすれた状態で1週間なんてとても考えられないことですが、並外れた根性はこの頃から持っていたのですね。
当然のように、歩けなくなるほど悪化。試合どころではなく、結局、スタメンからも外され、泣く泣くバスケット部を退部したのでした。
一方、ミーの方はその中学3年になった頃、1年以上も頑張ってきたコーラス部が廃部となり、代わって演劇部へ入り、芝居に打ち込むこととなる。
その演劇部へバスケット部を退部したケイが入部したのは間もなくのことであった。
ここで、二人は運命の糸に引き寄せられるように出逢ったのである。
同じ演劇部で活動していたといっても、彼女らの間が急接近したのはある共演がきっかけだった。
「松屋町筋」この舞台の姉妹役をその年の秋の文化祭でやってから二人は同じ目標に向かって前進していくこととなる。
当然、同じ高校(私立常葉学園高等部)へと進学した二人だったが中学時代と同じく同じクラスにはなれなかった。というのも受験の願書を出すときお互い実践コースをとろうといったにも関わらず、ケイの方が、間違えて進学コースをとってしまったからだ。
しかし、そんな小さなことにめげず彼女らの大きな野心はこの高校時代から大きく本格化していくこととなる。
高校入学と同時に静岡市内にあるSBS学苑で毎週木曜の夕方、モダンバレエのレッスンも受けていたふたり。
セーラー服のまま、バスで学校から直行。二人とも終わって家に帰ると夜の9時。それからやっと夕食だった。
同じく演劇部でも活躍していたが、二束のわらじは周りの批判を買い、歌手になることだけに目標を絞った二人に思いも寄らないチャンスが訪れる。
ヤマハ主催のチャレンジオーディション。彼女らがいずれ、プロ歌手へと進んでいくこととなる第1歩はこのオーディションからスタートするのである。
友人の紹介でこのオーディションを受けることとなる。ケイは「ジョニイへの伝言」ミーは「アルプスの少女」を歌い、共に月謝がタダという特待生として見事合格。
この時点では彼女らはそれぞれソロの歌手として目指していたそうで「お互いにどちらが先に夢を叶えるか?」など話していたそうである。
が、このオーディション合格後、大きく運命は左右する。
高校2年の4月から浜松にあるヤマハボーカルスクールへとかようようになる。
レッスンを受けていた山崎朗先生からデュエットを進められたのはレッスンに通い出して間もなくのことだった。
それまでデュエットなどまったく頭になかった彼女らにしてみれば、ひょうしぬけというか?ビックリというか?
しかし、二人で目指すんだからいちばん手っ取り早いかも?そんな事を思う暇もなく彼女たちはプロ目指して”しごき”の毎日がやってくるのである。
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