坂本龍馬に関する逸話や新説などあったら教えてください。

・ピストルを所持していた!
・日本人で初めて新婚旅行をした!
・刀剣コレクターだった!
みたいな感じです。お願いしますm(__)m

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  • 登録:2009/12/08 22:41:52
  • 終了:2009/12/14 21:21:17

ベストアンサー

id:tibitora No.2

tibitora回答回数3037ベストアンサー獲得回数2022009/12/08 22:51:54

ポイント55pt

こちらはいかがでしょうか。

http://takenobuinari.jp/ryoma.html

坂本龍馬 愛の伝言幹に刻む

武信稲荷神社は貞観元年(859年)に創祀されて以来約千百年を経て現在に至ります。その長い間にはさまざまな話しが伝わっています。そのうちの一つが江戸時代末期の坂本龍馬とおりょうの逸話です。

神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に 坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。

おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったという。

その後命を狙われ追われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる。おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。

自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。

龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えたという。

龍馬とおりょうの出合いに関しては諸説ある。また英雄坂本龍馬を題材にした小説などももっとも有名な司馬遼太郎氏「竜馬がゆく」をはじめたくさんあり、その中での二人の出会いもさまざまである。

龍馬とおりょうの出合いは父楢崎将作の死後という説もあり、将作は安政の大獄により六角獄舎に投獄されそのまま獄中で病死している。将作の死後に一家が生活に困りおりょうは一家を養うために旅館で働くようになりそのころに龍馬と出会ったというものである。

一方、龍馬研究家であり幕末の歴史研究家の方は、将作は勤皇の志士を厚く支援しており、柳馬場三条にあった屋敷には勤皇の志士が絶えず出入りしていたという。龍馬もそんな将作と親交ができ、その長女であるおりょうと出会った。と結論つける。

この大木に伝わる逸話と一致する。

この話しに登場する御神木の榎(えのき)は樹齢約850年。その生命力から健康長寿の信仰が厚い。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られる。毎日その力をいただきたいと木の幹に手をあてる参拝者も多い。

龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かった二人である。

id:atsu11

今の時期にピッタリのエピソードですね^^

あぁ~、恋がしたい。。。

ありがとうございます。

2009/12/14 21:07:21

その他の回答(6件)

id:lepremierpas No.1

lepremierpas回答回数1175ベストアンサー獲得回数412009/12/08 22:48:31

id:atsu11

知泉Wikiかぁ・・・。

ありがとうございます。

2009/12/14 21:05:06
id:tibitora No.2

tibitora回答回数3037ベストアンサー獲得回数2022009/12/08 22:51:54ここでベストアンサー

ポイント55pt

こちらはいかがでしょうか。

http://takenobuinari.jp/ryoma.html

坂本龍馬 愛の伝言幹に刻む

武信稲荷神社は貞観元年(859年)に創祀されて以来約千百年を経て現在に至ります。その長い間にはさまざまな話しが伝わっています。そのうちの一つが江戸時代末期の坂本龍馬とおりょうの逸話です。

神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に 坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。

おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったという。

その後命を狙われ追われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる。おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。

自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。

龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えたという。

龍馬とおりょうの出合いに関しては諸説ある。また英雄坂本龍馬を題材にした小説などももっとも有名な司馬遼太郎氏「竜馬がゆく」をはじめたくさんあり、その中での二人の出会いもさまざまである。

龍馬とおりょうの出合いは父楢崎将作の死後という説もあり、将作は安政の大獄により六角獄舎に投獄されそのまま獄中で病死している。将作の死後に一家が生活に困りおりょうは一家を養うために旅館で働くようになりそのころに龍馬と出会ったというものである。

一方、龍馬研究家であり幕末の歴史研究家の方は、将作は勤皇の志士を厚く支援しており、柳馬場三条にあった屋敷には勤皇の志士が絶えず出入りしていたという。龍馬もそんな将作と親交ができ、その長女であるおりょうと出会った。と結論つける。

この大木に伝わる逸話と一致する。

この話しに登場する御神木の榎(えのき)は樹齢約850年。その生命力から健康長寿の信仰が厚い。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られる。毎日その力をいただきたいと木の幹に手をあてる参拝者も多い。

龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かった二人である。

id:atsu11

今の時期にピッタリのエピソードですね^^

あぁ~、恋がしたい。。。

ありがとうございます。

2009/12/14 21:07:21
id:afurokun No.3

afurokun回答回数4647ベストアンサー獲得回数992009/12/08 23:03:24

ポイント10pt

日本人が知らない 恐るべき真実

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060314

id:atsu11

う~ん。。。ちょっと違うかな・・・。

でも、ありがとうございます。

2009/12/14 21:10:17
id:mnO302 No.4

mnO302回答回数201ベストアンサー獲得回数72009/12/08 23:10:42

ポイント10pt

朝日新聞出版から出た『週刊 名将の決断 01号 織田信長 坂本龍馬』の坂本龍馬に関する部分のみを読んだが、通俗的「龍馬伝説」のウソ話を殆どそのまま書いている。曰く「坂本龍馬が大政奉還を思いついた」「西郷隆盛に”わしは世界の海援隊をやりたい”と語った」等等。

http://megarisu.iza.ne.jp/blog/entry/938917/

id:atsu11

ウソって分かってることはいらないかな・・・。

でも、ありがとうございます。

2009/12/14 21:12:48
id:urasimjirou No.5

urasimjirou回答回数222ベストアンサー獲得回数52009/12/08 23:16:22

ポイント5pt

坂本龍馬について新事実ですっ!

そんな坂本龍馬に新しい発見があったようです。

それは以下の写真からなんです

http://www.elp.co.jp/blog/archives/2009/04/ryouma.html

id:atsu11

聴いているのは、海援隊の曲なんすかね・・・。

ありがとうございます。

2009/12/14 21:13:53
id:mn0302 No.6

mn0302回答回数185ベストアンサー獲得回数42009/12/08 23:22:26

ポイント10pt

坂本龍馬のタテガミ

http://blogs.yahoo.co.jp/hoshiyandajp/22587345.html

id:atsu11

これは有名ですね^^;

でも、ありがとうございます。

2009/12/14 21:15:02
id:dggh777 No.7

dggh777回答回数61ベストアンサー獲得回数02009/12/08 23:22:55

ポイント20pt

最初に龍馬を幕末の英雄に押し上げたのは桂小五郎こと木戸孝允である。

当時敵対してた、水と油の薩摩藩と長州藩が龍馬のお膳立てで同盟締結交渉が

慶応2年(1866年)正月に西郷と木戸の間で進められていた。

木戸の手記「防長勤皇事遺蹟自叙由」によれば 龍馬の説得によって長州の桂小五郎と

薩摩の西郷隆盛は京都の薩摩邸で交渉が行われたが、両者藩のメンツにこだわり続けて2週間経っても交渉は進展せず、決裂寸前かと思われたとき、竜馬が藩のメンツにこだわる木戸こと桂小五郎に向かって「自分は日本のためにがんばっているのに、藩のメンツにこだわるとは何事か」と一喝して同盟をたちまちのうちに成立させたと木戸の手記は伝えていることから 時の為政者やマスコミにもてはやされて、英雄待望論とともに、龍馬は幕末のヒーローになっていくきっかけになったのである。

しかし このときの龍馬の活躍に疑問を持つ資料が発見されたのである。

http://nanbankan.blog72.fc2.com/blog-entry-65.html

id:atsu11

コーヒー飲みたい・・・。

ありがとうございます。

2009/12/14 21:18:30

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