しかし本人が間違っているために、事実に反すると思って言ったことが実は真実だった場合がありえますよね。この場合、結果を基準に、(1) その人は嘘をついたつもりだったのに本当のことを言ったことになるのか、(2) 結果は裏目に出たものの、やはり嘘をついたことになるのか
私は(2)だと考えますので、嘘の別の定義を提案します
人間の脳内には、感情や情緒というアナログな回路がある一方で、外部の状況を取り込んで状況判断・意思決定を行うデジタルな論理回路があるということを前提にして
「嘘とは、その人の感情・気分による、その人の論理・知識・思考の否定・反転である」
という定義はいかがでしょうか
つまりその人の論理性を感情が否定すれば嘘になる。
たとえ間違ったことを口にしたとしても、その人がそう信じていたならば、それは嘘ではないことになります。
また好き嫌いで贔屓したり、苦手感覚から正しい判断を取れないというのも嘘と同様の扱いになります。
「感情や情緒というアナログな回路」というのは「人間の思考の感情的働き」
「デジタルな論理回路」というのは「人間の思考の論理的な働き」
の比喩的な意味でいいのではないかと思いますよ。
まさか本当に回路があるわけではないでしょう。
>比喩的な意味でいいのではないかと思いますよ。
そうであれば、無意味で誤った比喩もどきでしかないわけだよな。
>まさか本当に回路があるわけではないでしょう。
インプットとアウトプットがあり、その経路としての意味では「回路」は比喩として成立しているが、
その前のアナログ/デジタルの意味が頓珍漢であることが問題なんだな。
>人間の思考の感情的働き
感情だからアナログだとか、そうでないとデジタルだとかいう愚かさが問題なんだよな。
その時点で、アナログとデジタルの意味を理解できていないことが表されてしまっているんだね。
で、次の回答にある「そこに共通の「事実」は存在するでしょうか」には、
「妄想して誤っている用語を使っているということと、わたしの誤った用法であるという指摘」で矛盾も共通もありはしないんだな。
>「嘘か真か」の対比に、矛盾があるのではないでしょうか
嘘と真は、対立はしない。
真と対立するのは偽であるし(真偽)、虚と対立するのは実だからね(虚実)。
ここらへんの用語をちゃんと理解していないことと、デジアナの蒙昧な理解能力からすると、設問への回答としては、「それはないよ、元となる立論からもあり得ない前提だよ」という指摘以外にすることもないでしょうな。
デジタルな論理回路とアナログな感情回路を、比喩的表現とすると、
エクセルは非情な計算結果を出すが、ソロバンは感情に支配されやすい、
というような、はるかむかしの論調に戻るのではないでしょうか。
すると、YasudaS さんがデジタル派で、nasi-goreng さんがアナログ
派のように見えますが、そこに共通の「事実」は存在するでしょうか。
むしろ「嘘か真か」の対比に、矛盾があるのではないでしょうか。
── すべては仮説にはじまり、仮説におわる(エピローグ)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4334033415
── 竹内 薫《99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方 20060216 光文社新書》
>その前のアナログ/デジタルの意味が頓珍漢であることが問題なんだな。
>感情だからアナログだとか、そうでないとデジタルだとかいう愚かさが問題なんだよな。
工学的なデジタル、アナログとは関係ないでしょうね。
比喩というか、世間一般のイメージでしょうか。
新しいものはデジタル、古いものはアナログ。
きっちりしているのがデジタル、あいまいなのがアナログ。
>デジタルな論理回路とアナログな感情回路を、比喩的表現とすると、
>エクセルは非情な計算結果を出すが、ソロバンは感情に支配されやすい、
>というような、はるかむかしの論調に戻るのではないでしょうか。
何でこうなるのかよくわかりません。そろばんはデジタルですよね。
エクセルとソロバンの対比ならば、ハイテクとローテクでは?
最近の電気機器がデジタル化されているからといってアナログだからローテクというわけではないでしょうし。
adlib1ptさんはShinRaiさんに近くて、
私の考えはYasudaSさんに近いと思うのですが。
>感情や情緒というアナログな回路
アナログの意味を理解していなため妄想で回路があるかの様に言っている。
>状況を取り込んで状況判断・意思決定を行うデジタルな論理回路がある
まず、状況を取り込めるなら判断以前に取り込んだモノなのであるから、自由に出来るということ。
さらに、デジタルの意味を理解していない無意味な物言いをしている。
これらを前提としたとしても、その後を続ける意味がない。
論理学的に言えば「前提が偽である場合、その前提に積み重ねても議論は不定である」ため。