通勤バスの中ではいつも座って新聞を読む事にしていました。片道25分もかかるから毎日が退屈で仕方ありません。私の乗る停留場は始発から三つ目の停留場なので座っていけました。
やがて車内も混んできて、ほぼすし詰め状態。「おすなよ!」「危ないじゃないか」そんな会話が通勤通学の乗客の中から時々聞こえてきました。ひとりの女子高校生風の若い子が私の前の吊り革につかまっています。大きな籠を辛そうに重そうに抱えています。
「さあ、さあ、こちらに座って」と、とっさに私は自分の席を譲ってあげました。「ありがとうございます」。よほどのことがない限り、普段は席を譲ってあげるということはしない私ですが、今日はどうしたことでしょうか。予感がしたのかも知れません。籠の中からは動物の鳴き声がします。子猫でした。
よくよく聞いてみると捨て猫を二匹拾って育てているとのことです。一匹は自分で飼っているが、他の一匹はこれから保健所に持っていくように親に言われたとのことでした。なんだか無性に可哀想になって、その一匹は私が譲り受けることにしました。
後日、彼女の家に連絡して引き取りにお宅に伺うことにしました。首に赤い紐がつけられた子猫がいました。彼女の家にいる子猫と貰った子猫は兄弟でしたので、それからお互い連絡を取り合って二匹を会わせたりしました。
彼女は今の私の奥さんです。私は寅年ですが、彼女は十歳も若い子年です。
1976年5月の連休に友人と八ヶ岳登山に行く予定でした。でも出発前日高熱を出して行くことを断念しました。その夏、同じ友人と高天原方面に。登山途中で写真を撮っていると、「シャッター押しましょうか」の声が、「はいお願いします。」。そして、初日キャンプ地太郎兵衛平付近でも一緒になりました。ところがその夜から雨が3日続き、私たちと彼らのグループはずっとテントの中でトランプ。それが縁で下山後も交際が続き彼は私の夫となりました。後で知ったのですが、1976年5月の連休に彼は八ヶ岳登山していたのです。
あれからもうすぐ34年、今でも「雨も悪くないな」と思えます。
私は亡くなった祖父の遺言に従って、祖父が若い頃好きだった女性を探していました。
戦争中のことです。祖父とその方は愛しあっていましたが、祖父が出兵し戻ってきてからお互いの行方が分からなくなっていました。
少ない手がかりを元に探し回りました。
見つけた女性は97歳でした。それが今の私の奥さんです。
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