ヨーロッパ諸国では、建前上は身分制度が廃止されておりますが、依然として不文律として根強く残っており実態は階級社会です。これは法律とかなんとかいうより文化的なものであり、これ自体を無くすということがそもそも無理だそうです。


日本にも古くから身分制度がありましたが、現在では名実ともに消滅しており全く意識することがなく、基本的にどこへ行っても金持ちも庶民も、どんな職業であれ(たとえヤクザであれ)対価に応じた平等なサービスを受けられます。


フランスの人に、それはすばらしいことだと聞いたのですが、なぜ日本は階級社会が文化として固着しなかったのですか?

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私見ですが あるぴにっくす2010/01/18 12:56:26ポイント2pt

ソースも何も無い私見ですが、単一民族国家(ほぼ)だったからではないですかね。と思ってフランス 階級社会でぐぐってみたのですが、こんな記事がありました。

http://mediasabor.jp/2008/02/4.html

ひっかかったのはタイトルの記事そのものよりもこのへん。

厳然と残っていた階級社会が少しずつ変化していっている。親が労働者階級の子供は労働者になるしか道がなく、ブルジョワ家庭の子弟が社会の実権を握るフランスのエリート社会であったが、労働者階級出身でも、高等教育を受け、上の階級に這い上がることが可能になってきた。

日本では明治政府になってから、西欧諸国に追いつくためにそれまでの階級社会底辺の人にも一定レベルの教育を施してきています。完全じゃないにしても。そのため階級間の格差が薄れていったのではないかなあ。

同じく ミケ2010/01/18 21:33:28ポイント1pt

民族性でしょう。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_2114.html

抜粋~

 日本のような単一民族社会は世界の中で極端に少ない社会であり(琉球民族、蝦夷もいたが)、

昨今のグローバルスタンダードなるものがもてはやされる世相の中では、そのようなものは初めから無いものとして無視される恐れのある思考法なのだということである。

 士農工商の身分制度はあくまで政治のために作られた身分制度であって、受け入れ先があれば、農民は商人になることは可能であったし、武士にもなれた。

根底にはやはり同一民族という意識があるのだと思う。

 

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