とにかくたくさんの情報を知りたいと思います。情報、宜しくお願いします!!
1867年京都近江屋にて、幕末の志士海援隊隊長の 坂本龍馬 は、押しかけた刺客に頭部を斬りつけられ、 暗殺 された。
その時龍馬とともに襲われた陸援隊隊長の 中岡慎太郎 は、腹を刺されたが即死せず、二日後に死んだ。
瀕死の慎太郎が語った内容により、龍馬の最期の言葉や刺客の訛り口調などが後世に伝えられることとなった。
土佐藩が生んだ二人の英雄を暗殺したのは、見廻組の佐々木只三郎らであるという説が今では一般的だが、真相は謎である。
龍馬暗殺が劇やドラマになる時は、より名前がメジャーな『新選組』の土方歳三や近藤勇 が暗殺犯となることが多い。
最近では『 薩摩藩の大久保利通 が黒幕ではないか?』という新説も出ている。
とにかく幕末ファン、歴史ファンにとって、龍馬暗殺の真犯人を探すことは永遠のテーマなのであるが、ここに二つの謎が残る。
ひとつめ…刺客に襲われた時、龍馬は帯刀していなかった。なぜか?
(一般的には、龍馬が刺客を近江屋の者と勘違いしたといわれる…。)
ふたつめ…腕の立つ剣士だった龍馬を、あっという間に絶命させるほどのプロの刺客なのに、慎太郎の死は確認せずに帰った。なぜか?
(一般的には、中岡は仮死状態から蘇生したといわれる…。)
ふたつの謎に対する一般論は、いかにも取ってつけたようで不自然である。
そして不自然さの残る事件には、必ず裏があるといっていい。
ここで迷宮入り殺人事件の犯人を探すときの鉄則を考えてみよう…。
それは、『一番意外な人物を疑え!』である。
一番意外な人物、そう、
龍馬暗殺の真の犯人は中岡慎太郎 その人である。
そのキャラクター性からか、海援隊の坂本龍馬はつねに歴史の表舞台に立ち、小説などの影響もあり人気も抜群である。
一方、陸援隊の中岡慎太郎の名を知るものは一部の歴史ファンのみ。
しかし、龍馬が大きく関わったとされる 薩長同盟 や 大政奉還 も、実際にはほとんど慎太郎の奔走によるものであったとの説が、歴史家の間に持ち上がりつつある。
つまり、実際に日本の歴史に貢献したのは慎太郎、売名行為で美味しいところを持っていったのが龍馬…という構図が出来上がる。
また、日本のあり方についての意見でも両者はたびたび対立した。
アメリカかぶれの龍馬 に対し、 攘夷派の慎太郎 がついに『切れる』時が来た。
慎太郎は部下の陸援隊隊士をも部屋に呼びつけ、互いに意見をいいあっていたが、龍馬が考えを変えぬと分かると、怒って立ち上がり突然に斬りつけた。
意見が違うとはいえ同郷の仲間だと信じていた慎太郎に斬りつけられた龍馬は、元から帯刀もしておらず、致命的な傷を額に受けてしまった。
それでも最期の抵抗で刀をたぐり寄せ、慎太郎の腹に一撃を見舞った。
慎太郎は自分の傷は致命傷ではないと判断。
即座に部下に指示し、陸援隊が部屋にいたことを知る近江屋の下男などの殺害を命じた。
(一般的には下男が殺害されたのは、刺客が龍馬を襲う前とされる)
また、口裏を合わせ、部屋には龍馬と慎太郎しかいなかったこととし、陸援隊には現場を離れるよう命じた。
この後、事件を聞いた龍馬の部下(海援隊)が現場に駆けつけ、龍馬の遺体と重傷を負った慎太郎を発見。
慎太郎は自分が龍馬を殺したことを隠すため、まるで見廻組か新選組にでも襲われたかのような話をでっちあげた。
その後、慎太郎の傷は自身が思ったよりもかなり深く、二日間苦しんだ上、ついにこと切れた…。
これが龍馬暗殺の新説 である。
龍馬と慎太郎が実はあまり仲が良くなかったということは、最近いわれ始めたことだが信憑性は高い。
そして中岡慎太郎真犯人説により、先に上げた二つの謎も解決できる。
が、慎太郎が真犯人となると、 歴史上また別の矛盾点 が出てくることにもなる。
やはりこの事件の真相は、永遠に謎なのだろうか?
龍馬と慎太郎の墓は、京都市霊山護国神社に今も並んで立っている。
この都市伝説の信憑性・・・29%
情報、ありがとうございます!
KIRINビールのラベルの都市伝説 麒麟の上半身が龍で下半身が馬!KIRINビールの創業には岩崎弥太郎とグラバーが関わっていて、グラバーと岩崎弥太郎を引き合わせたのが坂本龍馬
情報、ありがとうございます!
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坂本龍馬といえば、幼い時に「泣き虫」「弱虫」で「勉強もできず」、
それが長じるに従い、姉の乙女さんの薫陶の甲斐もあって、
剣の達人となり、頭脳明晰で、気宇壮大、発想の自由自在な
「スーパーマン」になったという、
誰もが信じてやまない伝説があります。
情報、ありがとうございます!
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