検察が悪いという世間の認識が強いようですが、
こういった事件に関して具体的に検察はどうするのが正解なのでしょうか?
証拠となったDNA鑑定も少なくとも当時の科学ではそれなりに信頼のおけるものだったわけですし、
それがダメだと言うのなら現在の指紋認証やDNA鑑定も使えないことになります。
冤罪は防がなくてはいけないと思いますが、物理的な限界もあると思います。
1つ1つの事件についてすべて冤罪の可能性はあって当然ですし、
極端な話、1件の冤罪を防ぐために1000件の殺人が増える社会が正しいとは思えません。
取り調べの強引さの問題はあると思うので可視化には賛成です。
ただ、自白というのも一つの断片的な証拠にしかなり得ません。
そうじゃなければ、やってない人が「私がやりました」と言うだけで簡単に犯人をかくまうことが出来てしまいます。
あくまでも判断は複数の証拠による総合的なものですから、自白も含めて偶然の一致が重なればどうやっても冤罪は防げないと思います。
現状よりも『治安を守りつつ、冤罪を防ぐ方法』があるのかどうかが疑問なのです。
足利事件も偶然の一致がかなり多かった事例ですよね。
DNA鑑定が不確実なものだったと言われていますが、それでも足利市内に同じDNA結果が50人いる程度です。
その50人の中でさらに当時アリバイの無かった人間で、子供に接する機会の多い人で、さらに靴のサイズが近かったり等々。
冤罪の焦点がDNA鑑定に集中していますが、判決は複数の証拠による結論ですから「信用性の低いDNA鑑定を証拠に用いたこと」が批判されるのはおかしいと思います。
目撃証言や被害証言などもそうですが、それをどの程度信用するかは裁判官の問題です。
「市内に50人しかいない」という証拠にはなっているわけですよね。
複数回の鑑定についてはごもっともだと思うのですが、これも物理的にはなかなか難しい問題だと思います。
というのも、1回でも「一致しない」という結果が出たら無罪になるのなら、今の受刑者のほとんどが再検査を希望しますよね。
どうせ税金で賄われるので無料で出来るわけですし、精度が低いのなら「犯人なのに一致しない」という人も数多く出てくるはずです。
全員を検査する莫大な費用と、今度は犯人を無罪にしてしまうというリスクが大量に発生してしまうと思います。
自白の強要に関しては、以前別の事件で問題になったような踏み絵をさせたとか暴力をふるったとかなら検察に非があると思います。
しかし足利事件については取り調べの音声テープを聴く限りでは強要とまでは感じませんでした。
証拠を見せたうえで「やったんだろ?」と自白を促すことが強要でしょうか?
これ以上の慎重さを求めるのなら「やったかどうか言わなくていいです」とか「あなたはやってないです」とか言わないといけない。
それでは取り調べの意味すら無くなってしまいます。
まずこの事件は2つの問題が重なったことよりおきたものと思われます。
まずは取調べにおいて自白の強要があったと思われること。これは取り調べの可視化がある程度
効力をはっきするものと思います。
そしてDNA鑑定の信頼性に問題があったこと。これは専門家であれば鑑定の信頼性などわかるのだから
そもそも信頼性に問題があるような検査をするのならば、複数回行うなどこういった事態を回避する
方はあったものと思われます。
現段階では偶然の一致により冤罪が生み出される可能性は0ではありませんが、限りなく低くすることは
できると思います。