【遺影の発祥について】

遺影の発祥や由来などについて質問させていただきます。
以下のような情報をご存知でしたらご回答お願い致します。

・ご家族や地方で、始めて遺影を飾って葬式を挙げた時期。
・遺影を飾る以前に、肖像画や供養絵などの故人の顔が描かれたものを飾る風習があったかどうか。

また、都道府県や宗派などについても、あわせてご記入いただけると大変ありがたいです。

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  • 終了:2010/02/09 09:33:44
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ベストアンサー

id:MEI-ZA-YU No.2

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767

ポイント54pt

http://d.hatena.ne.jp/teruyukino1/20081014

『慰霊・追悼・顕彰の近代』 (日本歴史民俗叢書)

 矢野敬一(著)より

(p.139)岩手県での供養絵額。

戦死者の肖像写真や絵の一般化がひとつの契機となって遺影写真が用いられていったとされる。


(p.140)(木下直之先生の指摘。)もともと家族の肖像を飾る習慣のない日本で、それが浸透したのは日清・日露戦争の影響があった。

戦死した息子の肖像写真あるいは写真画を座敷に飾ることが始まる。


(同)(地域偏差はあるにせよ、)都市部で、遺影写真がある程度普及したのは、昭和初年以降のことではないか。

id:OhYeah

なるほど、これはばっちりの情報です。

これ以外にも、じいちゃんからそんな話聞いたことあるとか

関連する情報ご存知のかたいらっしゃいましたら、教えていただけますようお願いいたします。

2010/02/04 21:26:07

その他の回答2件)

id:kagra0123 No.1

回答回数38ベストアンサー獲得回数2

*遺影*

遺影(いえい)とは、物故者を偲ぶために、作られる写真もしくは、肖像画。

通常は葬儀の時に飾られる、自宅では床の間に代々飾られる事が多い。通常は胸から上の肖像であり、特に写真の場合、スナップ写真から本人だけを抜き取る事が出来る。通常は四つ切というサイズで引き伸ばされ、社葬や団体葬など大きな葬儀の時はもっと大きなサイズに引き伸ばされる。葬儀の後は、代々のご先祖様とともに仏間に飾られる。

従来はフレームは漆塗りの黒、写真は着物を着たモノクロのものを用いる事が多かったが、「葬儀会場に冷たい印象を与える」、「白黒では子供が怖がってしまう」といった理由からフレームは自由になり、カラー写真が用いられる事が多くなった。 遺影の発祥、考案者などはまったくの謎である。

本来は自分の気に入った写真を用意すべきだが大半が旅行や結婚式などに参加した時の集合写真などからの拡大・修正が多い。今後は、デジタルカメラなどのデータで残された場合、家族が見つけることも困難である事から、後世に残す重要な写真として確実に保存する必要性がある。

米国などでは遺体保存の方法(エンバーミング)が発達している為に、葬儀の場面では棺をオープンする事から特別に遺影写真をかざる習慣は無い。

↓このようなところもあるようです。

http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tonoegaku-chosenji.html

id:OhYeah

すいません。Wikipediaのコピーではなく、遺影の発祥や由来などについての情報をお願い致します。

2010/02/04 18:19:24
id:MEI-ZA-YU No.2

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767ここでベストアンサー

ポイント54pt

http://d.hatena.ne.jp/teruyukino1/20081014

『慰霊・追悼・顕彰の近代』 (日本歴史民俗叢書)

 矢野敬一(著)より

(p.139)岩手県での供養絵額。

戦死者の肖像写真や絵の一般化がひとつの契機となって遺影写真が用いられていったとされる。


(p.140)(木下直之先生の指摘。)もともと家族の肖像を飾る習慣のない日本で、それが浸透したのは日清・日露戦争の影響があった。

戦死した息子の肖像写真あるいは写真画を座敷に飾ることが始まる。


(同)(地域偏差はあるにせよ、)都市部で、遺影写真がある程度普及したのは、昭和初年以降のことではないか。

id:OhYeah

なるほど、これはばっちりの情報です。

これ以外にも、じいちゃんからそんな話聞いたことあるとか

関連する情報ご存知のかたいらっしゃいましたら、教えていただけますようお願いいたします。

2010/02/04 21:26:07
id:kanan5100 No.3

回答回数1469ベストアンサー獲得回数275

ポイント26pt

「遺影」は日本独自の風習ですが、そもそも江戸中期から明治後期まで流行した「死絵」(しにえ)がもとになっていると思われます。

これは役者など有名人が亡くなったときに、その冥福を祈るために版行された似顔絵の浮世絵です。

http://www.rekihaku.ac.jp/research/publication/151witness.html

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index59/egakikata/pic2_49.html

この浮世絵には、亡くなった五代目市川海老蔵の肖像画の掛軸に、実子の初代河原崎権十郎(後の九代目団十郎)と市川猿蔵が焼香しているさまが描かれています。

また、表彰文化論学会の浜野志保氏の「遺影——近代日本の葬送文化と肖像写真」という発表によれば、

http://repre.org/repre/vol8/meeting03/panel05.html

われわれが普段葬儀などで目にする遺影は、言うまでもなく19世紀の写真の発明によって誕生したものである。しかし少なくとも西洋において、生前のイメージである「遺影」を葬儀の中心に据える習慣は決して一般的なものであるとは言えない。葬儀の中心的なイメージとしての遺影は、明治以降の火葬の普及、葬列の廃止にともなう祭壇と出棺の重要性の増大といった変化と分かちがたく結びついている。

とのこと。

id:OhYeah

死絵については、どちらかというと訃報と同じように、亡くなったということを周知するという意味合いの方が強いものと思っていたのですが、

実際に葬儀の場で配られていたのでしょうか?


葬列の廃止との関連性は、葬儀の中の要素の変遷を考えるとかなり興味深いです。

2010/02/04 21:53:15
  • id:nozomi_private
    間に合いませんでしたので概要まで。
    遺影というか死後に作られた肖像は、主に追善供養のため寺に奉納する目的で古くから描かれてきました。
    現存する公家、武家の肖像の多くは追善供養のために描かれて寺に奉納されたものです(生前に描かれて奉納されたものもありますが)。
    江戸末期、庶民の間でも似絵を寺に奉納する習慣が広まりました。どういった経路かはわかりませんが、供養塔も公家、武家→庶民なので、それと同様に捕らえられるのかもしれません。
    こちらでは人形→絵馬→供養絵額→遺影になったようです。
    http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tonoegaku-sairaiin.html
    絵馬についてはムサカリなど各地で多くの肖像絵馬が奉納されてきました。人形についてはもちろん公家も武家も坐像を多く奉納してきた歴史があります。
  • id:OhYeah
    なるほどです。確かに庶民以外のもので考えると、一気に時代が長くなりそうですね。
    あと、絵馬についても確かに本質的には同じようなものだと思いますし。

    ありがとうございます!!

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