ロバート・キャパの詳しいプロフィールが分かるサイトを、

ウィキペディア以外で教えて下さい!

例えば、どんな写真を撮って○○賞を受賞したとか、
どんな写真展で入賞したとか。

詳しければ詳しいほど有り難いです!

よろしく御願いします!

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  • 登録:2010/03/10 00:26:02
  • 終了:2010/03/17 00:30:05

回答(7件)

id:fghh236 No.1

fghh236回答回数118ベストアンサー獲得回数32010/03/10 00:27:41

id:shoma22

ありがとうございます!

これ、自分でも見ていたのですが、もっと情報の載っているサイト、知りたいです!

2010/03/10 01:01:16
id:kjhhhy No.2

kjhhhy回答回数60ベストアンサー獲得回数12010/03/10 00:29:16

ポイント19pt

<写真という芸術ジャンル>

 芸術作品と装飾作品、もしくは実用品の違いは何でしょうか?その作品に「心」があるかどうか?あるいは、その作品に思想性があるかどうか?それが重要なポイントのように僕は思います。アンディー・ウォーホルは、「自分の作品に思想性などない」と宣言しましたが、彼の場合は「無思想性」という思想を意識的に持ち込んだという意味で十分に思想性があると言えるはずです。

 同じようにたとえそれが大量生産の工業製品でも、そこに製造者、作者の芸術的意図(心)がこもっていれば、それは芸術作品と呼べるはずです。(CDや本はそれにあたるでしょう)

 そう考えると、あらゆる芸術ジャンルは、誕生当初は単なる装飾品や実用品だったものに誰かが思想性を持ち込み、芸術作品へと高めていった結果生まれたものと考えられます。

 写真というジャンルも、誕生した当初は単に被写体を写し取るだけの映像記録装置に過ぎなかったはずですが、何を撮るか?どうやって撮るか?どう現像するか?などを撮影者が選択して行く中で、しだいに思想性が持ち込まれるようになりました。こうして、写真という技術はいつしか芸術の一ジャンルとなったのです。

<新たな技術による新たな芸術性の獲得>

 こうして、思想性によって生み出される芸術ですが、技術の進歩はそれに新たなジャンルを書き加えることを可能にしました。

 1930年代に入るとカメラは技術的な進歩によって、瞬時に被写体をフィルムに写し取ることを可能にし、さらにフィルムを交換することなく連続して撮影をすることが可能にしました。このことは写真家にとってまさに革命的な出来事でした。そのおかげで発展したのが報道写真という写真家にとっての新しい分野でした。それまでは、被写体を延々と立たせて記念撮影のようにしか撮れなかったものが、自らが事件の現場に出かけ好きなアングルでその様子をカメラに収めることが可能になったのです。このことは、単に記録としての写真の技術的可能性を広げただけではなく、現実を人々に見せるという行為によって見る者に撮影者の「心」を伝えることを可能にしたのです。こうして、写真というメディアは20世紀を代表する重要なメディアの仲間入りをすることになりました。その力は、テレビという新メディアが登場するまでは、最強だったと言えるでしょう。

 ロバート・キャパは、そんな報道写真の夜明けにおける代表的カメラマンであると同時に、自らの手で時代を切り開いた仕掛け人としても大きな活躍をした人物です。

 彼のおかげで「戦場カメラマン」という仕事が、一つの仕事として成り立つようになり、なおかつ多くの若者たちの憧れの職業の一つにまでなったのです。

<ロバート・キャパというブランド名>

 ロバート・キャパという名は、もともと本名ではありませんでした。それはペンネームならぬカメラ・ネームであり、ブランド名とでも呼ぶべきものでした。彼がアメリカに帰化する際、正式にロバート・キャパと登録されるまで、彼の名はエンドレ・フリーマンといいました。

 エンドレが生まれたのは1913年10月22日、当時の強国オーストリアの属国的存在だったオーストリア・ハンガリー帝国のブタペスト。商店街で服飾サロンを経営するユダヤ人夫婦の次男として何不自由なく育てられました。

 1918年第一次世界大戦においてオーストラリアが敗北したことでハンガリーは闘わずして独立を手にします。しかし、戦後の経済的な厳しさもあり、すぐに政治的社会的混乱状態となってしまいました。そんな中、エンドレ青年は反体制派の運動に参加し、逮捕されてしまいます。そのおかげで彼は祖国ハンガリーを追放されることになり、ドイツのベルリンに移住し、そこでドイツ政治高等専門学校に通い始めます。

 経済状況の悪化により実家からの仕送りが途絶えてしまったため、彼は働くことになりますが、まだドイツ語を上手く話せなかったため、彼にできる仕事は限られていました。そこで彼が選んだ仕事が写真通信社の暗室助手という仕事でした。彼はそこで、現像・焼き付けの仕事だけではなく、配達や電話の応対など、なんでもこなすようになり、いつしかカメラマンとしての仕事も与えられるようになりました。

<トロッキーを激写!>

 彼の名(まだフリードマン)が最初に知られることになった写真は、1932年スターリンによってソ連を追放されたトロッキーがデンマークで行った演説をとらえたものでした。迫力あるトロッキーの表情を収めた彼の写真は高い評価を得ました。しかし、これでカメラマンとして食べて行けると思ったのも束の間でした。ドイツでヒトラーが政権をとると、すぐにユダヤ人に対する迫害を始めます。ユダヤ人であるだけでなく反体制運動で逮捕されたこともある彼はいつ逮捕され収容所送りになってもおかしくないため、再び次なる国へと旅立たねばなりませんでした。

 こうして、彼は1933年パリに移り住み、再びカメラマンとしてゼロからスタートを切ることになりました。そしてこの頃、彼は同じようにドイツから亡命してきたユダヤ人女性ゲルダ・ポホリレスと出会い、いっしょに仕事をするようになります。彼女は秘書兼営業を担当。フリードマンが暗室で現像・焼き付けを担当する事務所を開設。アメリカからやって来た有名カメラマンの「ロバート・キャパ」という人物を表看板として活動を始めました。もちろん、このロバート・キャパというのは架空の存在で、こうすることで写真の価値を上げようという作戦だったのです。(このやり方はすぐにバレてしまったのですが、彼はロバート・キャパという名前にこだわり続け、ついに本名としてしまうことになります)

<スペイン内乱の地へ>

 1936年、スペインでは政権をとったばかりの左翼政権に対し、ファシスト党が反乱を起こし、「スペイン内乱」として、世界中の注目を集めるようになります。キャパとゲルダはさっそく取材のためにバルセロナに向かいました。二人はファシストから民主主義を守ろうとしていた共和国軍を取材活動で応援したいと考えたのです。

 その後二人は南部へ移動。途中、セロ・ムリアーノという小さな村で反乱軍と共和国軍の衝突に遭遇します。そして、この時あの有名な写真「崩れ落ちる兵士」が撮られることになりました。今や戦争の真実をとらえた歴史的一枚となったこの作品は、ヨーロッパだけでなくアメリカの「ライフ誌」など世界中のメディアで取りあげられ、ロバート・キャパの名を不動のものとしました。

 しかし、キャパにとって最も幸福だった時期は長くは続きませんでした。恋人だったはずのゲルダはカメラマンとして一本立ちすることを目指すようになり、彼からの結婚の申し込みを断り、別行動をとるようになります。そして、1937年7月彼女はスペインからパリへと帰る途中、交通事故により命を落としてしまったのです。

 傷心のキャパは母と弟が移住したニューヨークへ向かい、そこで彼にとって初めて写真集「生み出される死」の出版準備作業にとりかかりました。

<第二次世界大戦>

 1938年、彼は中国で日中戦争を取材後、再びパリへと戻りますが、1939年ついに第二次世界大戦が始まります。ところが、フランス政府はキャパが共産主義者であるという理由から報道記者登録を認めませんでした。しかたなく彼はアメリカへの移住を決意しますが、アメリカは大戦中にも関わらず平和そのものだったため、すぐに彼はロンドンへととんぼ返りします。ある日彼はフランスから帰ってきた爆撃機の写真を撮っている時、そこから降りてきた負傷兵に「不幸を待つハイエナ」呼ばわりされ、大きなショックを受けます。この出来事以後、彼は自ら仕事に疑問を感じるようになり、そこから一つの決断をします。

 それは戦場カメラマンとして活動するからには、自分は兵士とともに前線に立ち、同じ危険に身をさらそうという決断でした。そして、その決断なくしては不可能な仕事が彼にまわってくることになります。

 この気持ちは、すべてのカメラマンにとっても言えることだと僕は思います。僕は旅に出ても、撮りたい人に気軽に声をかけられるようになるまで、人間は撮らない(撮れない)ことにしています。そうじゃないと、自分にとっても相手にとっても良い写真は撮れないからです。キャパはこうした人間としてごく当たり前の気持ちを死と隣り合わせの極限状態でも保つことができたのです。だから偉大なのだと思います。

<ノルマンディー上陸作戦>

 1943年6月6日、第二次世界大戦における最も有名な作戦「ノルマンディー上陸作戦」に彼は同行することになりました。。選ばれたカメラマンはわずか4名。そのうち、兵士とともに上陸作戦に参加できたのは2名のみで、もちろん彼はそのメンバーに選ばれました。

 映画「プライベート・ライアン」を見た人ならわかると思いますが、ノルマンディー上陸作戦は成功に終わったとはいえ、ものすごい数の死者をだす悲劇的な作戦でもありました。この時は、さすがのキャパも死の恐怖のために手が震え、まともにシャッターを押せませんでした。しかし、この時に撮られたピンボケの写真はそれまでに発表されたどんな戦場写真よりも、戦場の恐怖をリアルに伝えていました。彼が目指していた究極の戦場写真は、こうして、死と隣り合わせという条件のもとで生まれました。

 こうして、いよいよ世界一の戦場カメラマンとなった彼は、その後もヨーロッパ戦線に同行し撮影を続けますが、1945年5月7日ドイツの降伏により、その活動の転機を迎えることになります。

<マグナム・フォトスの設立>

 自らの活躍する場を失った彼は、戦場以外の場所に居場所を求めるようになります。ひとつは世界的な映画女優イングリッド・バーグマンとの恋のドラマでした。作家のジョン・スタインベックに同行した共産主義国家ソ連への旅も画期的な試みでしたが、あまりに制約が多く、思うような成果をあげることはできませんでした。

 そんな中彼が最も力を入れて取り組んだのは、カメラマン自身によって運営される写真通信社「マグナム・フォトス Magnum Photos」の設立です。キャパに匹敵する名カメラマンのアンリ・カルティエ=ブレッソンやジョージ・ロジャー、デヴィッド・シーモアらとともに設立した「マグナム・フォトス」は、それまで何の保証もなく一枚いくらで写真を切り売りすることで、生活を成り立たせていたカメラマンたちが、やっと安心して仕事に専念できる環境をつくることを可能にしたのです。(著作権の管理、自主的に仕事を選べる環境作りなど)

 マグナムはその後も報道写真の歴史をつくり続けていくことになります。ベトナム戦争において最高のカメラマンと言われたフィリップ・ジョージ・グリフィスや後に水俣病の取材を行い世界に衝撃を与えることになるユージン・スミス、1990年代最高のカメラマンとも言われたジェームズ・ナクトウェーなど、数多くのカメラマンがマグナムからそのキャリアをスタートさせています。

<半引退生活から突然の復帰>

 1948年、中東での取材中に彼のすぐそばを銃弾がかすめ、それ以降彼は戦場へ行くことを止めてしまいます。それはマグナムの経営という責任ある立場についたことからも、仕方がなかったのでしょう。その時点で彼は戦場へはもう行かないつもりだったようです。しかし、運命はそんな彼の決意を無視して彼を再び戦場へと呼び戻します。

 彼の戦場復帰のきっかけは日本への旅でした。1954年、彼は日本の毎日新聞社から招待され日本を訪れました。ところが、日本でのスケジュールを終える前に、彼に仕事の依頼がもたらされます。それはベトナムで取材中のカメラマンが一時帰国しなければならなくなり、その代わりとしてベトナムに行ってほしいというものでした。戦場を長く離れていた彼は、周囲が引き止めたにも関わらず、ベトナムへと向かいました。それは初めから不吉な旅立ちでした。

<宿命的な死>

 1954年5月25日、彼はベトナムの戦場で地雷を踏み、40歳の若さでこの世を去ってしまいました。彼の日本行きの荷物の中にはなぜか愛用の戦場用ブーツが入っていました。どうやら、彼の心のどこかに再び戦場へ行きたいという思いが潜んでいたのかもしれません。

 美味しいものが好きで、きれいな女性も大好きだった彼は、けっして戦場で散ることを望んではいなかったはずです。しかし、けっこう冒険好きの僕としては「危険」にひかれる彼の気持ちがわかる気がします。そして、そんな気持ちを理解できる人の中から、沢田教一などの優れたカメラマンが現れることになります。

http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/robert-capa.htm

id:shoma22

ありがとうございます。

これ、自分で見ていましたが、結構詳しい方なのですかね!?

もっと具体的な、彼の仕事の情報、知りたいです!

2010/03/10 01:02:01
id:tyt55v No.3

tyt55v回答回数16ベストアンサー獲得回数02010/03/10 00:33:55

id:shoma22

これは見ていませんでした。

ありがとうございます!

が、もっともっと情報知りたいです!

2010/03/10 01:04:11
id:tygg No.4

tygg回答回数19ベストアンサー獲得回数02010/03/10 00:35:22

ポイント18pt

キャパ「その青春・その死」

わたしのホームページのメイン・ページは 「ちょっとピンぼけ」と題している。だから、キャパのことを調べたい方が、時々キーワード検索で迷い込んできて、結果的に、何の得るものもないということで、ご迷惑をお掛けしている。ということで、何か少しでも、お役に立つ情報をということで、掲題の書籍に全面的に基づいて、キャパの生き方を年表形式にまとめてみた。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/kkk/capa-nenpy...

id:shoma22

このサイト、いいですね!

年表形式でまとまっていて。

ありがとうございます!

例えば、もっと、キャパの撮った写真の情報、って出てこないですかね!?

2010/03/10 01:05:37
id:konamigolf No.5

konamigolf回答回数44ベストアンサー獲得回数02010/03/10 02:06:36

ポイント18pt

http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/robert-capa.htm

ここはどうでしょう??

id:kaon11 No.6

kaon11回答回数1ベストアンサー獲得回数02010/03/10 03:36:04

ポイント18pt

ロバート・キャパ(Robert Capa)

http://www.kiraku.tv/category/23732

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 回答者回答受取ベストアンサー回答時間
1 キュン 39 28 0 2010-03-16 11:03:11

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