THEME:「組」「リボン」「暦のことば」+「縁起物」
「今日をちょっと楽しく、イエで過ごすいつもの時間を素敵に変える小さな魔法のサプリがあったら…」と展開してきた “リブ・ラブ・サプリ”コーナーの続編のひとつ、FORTUNEバージョン。FORTUNEとは「幸運・幸せ」。毎回のテーマに沿って、イエと暮らしに幸運を呼ぶコト、ハッピーにするコトを思いとともにメッセージ下さいね。
豊かな暮らしをつくっていく〈イエはてな〉のマインドで、みなさまのご参加をお待ちしています!
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「Welcome to イエはてな」
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テーマ詳細とサプリ例
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プレゼント変更ご案内
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※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。ご回答頂く時にもご参考下さい。また投稿期間中はできるだけはてなスターのご利用を控えて頂けますようお願いいたします。
※質問は3月15日(月)正午で終了させて頂きます。
組織、とりわけ企業の業務などが適正であるかどうかを調査する「社外監査役」を設置している会社もあるかと思います。やはり、組織を見るうえでは、客観的な眼も必要になってきますからね。
かけっこなどは、年中することができますが、
玉入れや騎馬戦などは、運動会のときしかできない競技なので、すごく楽しみにしていた記憶があります。
紅組が勝つか白組が勝つかも、ワクワクしましたが、勝っても負けてもがんばったという達成感はなににも変えがたいものでした。
三寒四温の日々がつづいていますね。
サクラが咲くためには、春のあたたかさだけではだめで、冬の寒さがあってこそ、きれいなサクラの花を咲かせてくれるんですよね。
あと何週間かあとに咲き誇るサクラの花を楽しみにしています。
果物のことではなく、暦の言葉の八朔、八月朔日(旧暦一日)のお話です。旧暦の8月は今でいう9月に相当しますから、もう早稲なら穂が実ります。これを祝ったのが八朔です。
八朔の行事は地域によって色々あるようで、たとえば村の神様にお酒を供え、お下げした御神酒と竹筒を持って田畑に行き、各田畑の入り口に御神酒を注いだ竹筒を立てて回る。あるいは初穂を摘んでお世話になった人や親しい人などに贈るなどの習慣が見られます。
昔はこの日は節句と同じように大切にされ、八朔の節句、田の実の節句などと呼びならわされていました。地域によっては桃の節句や端午の節句と同じように子供の健やかな成長を願う行事の日ともなっています。一例をあげれば、福岡県芦屋町の八朔の節句(国の『記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財』)などがあります。
http://www.ashikan.jp/a0211_hassaku.htm
「田の実」の音は「頼み」に通じますから、八朔はこれから迎える本格的な収穫における豊作を祈願する「頼み」の農耕儀礼でもありました。これが恩ある人や親しい人に初穂を贈ってこれからもよろしくお願いしますと「頼む」習慣になり、さらに初穂ではなく贈答品を贈る今のお中元やお歳暮のような儀礼にもなっていたそうですが、この「頼み」の行事は現代でも京都の祇園などにしっかりと根付いて残っています。
現代の祇園の八朔は新暦の8月1日に行われますが、この日祇園の芸妓さんや舞妓さんたちは、お正月に匹敵するあでやかな模様の入った黒紋付の正装で、お世話になっているお師匠さんやお茶屋さんなどに日頃の感謝と「頼み」の挨拶をして回ります。
話が農耕儀礼としての八朔に戻りますが、今は八朔に由来する行事を新暦の9月1日に行う所もあるようです。七夕祭りを8月の7日前後に行う場所があるのと同じで、新暦の8月1日を月遅れにしておおよその日取りを一致させるということなのでしょう。
するとこの日は立春から数えて210日目のいわゆる二百十日に当たります。旧暦では閏月の入り方などでいつが二百十日になるかは年によって違いますが、新暦9月1日に行うようになると、八朔は台風被害が出ないようにと祈る風鎮めの行事とも重なります。現代ではあまり聞かれなくなった八朔ですが、各地で行われる風鎮祭などにその名残が見られる所も少なくないと思います。
なお、柑橘類のハッサクは、だいたい旧暦の8月1日あたりから食べ頃になるという意味で、この名が付いたのだそうです。八朔の名を聞いたら、かつては旧暦8月1日に色々な行事が行われていたことを思い出してみてください。そろそろ早稲の初穂が実る時期なんだなぁと思いを馳せるだけでも、何だかとても有り難く幸せな気持ちになってきます。
「いくつかでひと組のセットで幸せを呼ぶモノ」の一つに、ドラムセットがあると思います。私はドラムに関しては門外漢で詳しいことはよくわかっていませんが、太鼓とシンバルという昔からある楽器が組み合わさったことで、太鼓だけの演奏法ともシンバルだけの演奏法とも全く異なる新しい演奏法が誕生したことは、人類の音楽の歴史を塗り替える大発明だったのではないでしょうか。
音楽に助けられたり力づけられたりして、そのおかげでFORTUNEを掴むチャンスを得た人は少なくないと思いますが、もしドラムセットがこの世に誕生していなかったら、今の音楽は全く違った物になっていたと思うのです。そうしたら音楽によって得られる幸せも、また違った形になっていたかもしれません。
特にドラムセットの発明で最も画期的だったのは「足」を使うベースドラムとハイハットシンバルだと思います。人は音楽を聞くと自然に足が動いてリズムを刻むものですが、ドラムセットが生み出される以前には、その自然な動作が音になって現れる楽器は無かったと思います。あるとすれば、それはせいぜい演奏に興奮した聴衆が足を踏みならす音くらいだったでしょう。ところがドラムセットの誕生によって、その足で刻むリズムが音楽の中心に踊り出たのです。これはすごいことだと思いませんか。リズムには様々なパターンが存在しますが、今の音楽はドラムビートと呼ばれる、ドラムセットが存在しなければ生まれてこなかったリズムパターンで出来ています。
また手と足を同時に使って全身でリズムを表現するあり方は、音楽にとてつもなく熱いものをもたらしました。もしドラムセットが生まれていなかったら、今の音楽はずいぶん淡々とした物になっていたのではないかと思います。ドラマーの手足の動きと聴いている人の体の躍動が一体となるドラムセットの存在が、どれほど演奏者と聴き手の距離を縮めてくれたか分かりません。
最後に、実際に叩ける人には笑われてしまいそうですが、最も簡単なドラムの叩き方の一端をご紹介してみたいと思います。ぜひ音楽に合わせて手足を動かしてみてください。今まで見えなかった音楽の中身が見えてきて、さらに音楽との距離が縮まって行くと思います。
たとえば「ドンツッチャドン、ドンツッチャドン」といったリズムがあったとしたら、まず右手は「チッチッチッチッ、チッチッチッチッ」と等間隔にリズムを刻んでいきましょう。これはハイハットシンバル(足で踏んで開閉させられるシンバル)を叩く手です。
左手は「ドンツッチャドン」の「チャ」のところだけ。これはスネアドラム、つまり小太鼓を叩く手です。
足は右足を「ドンツッチャドン」の「ドン」の部分だけ。これはベースドラム、つまり足で踏み鳴らす大太鼓です。
このタイミングを図にするとこんな感じになります。
右手 ●●●●●●●● 左手 ● ● 右足 ● ●● ●
これは最も単純なパターンなので、左足は使っていません。左足はハイハットのペダルを踏んで、シンバルを閉じた状態に保持するためだけに使います。
どうでしょう。音楽に合わせて、ちょっとこんな手足の動きをやってみませんか。ただ聴くだけだった音楽がより身近に感じられて、グッと楽しくなってくると思います。気分が落ち込んでいたり、なぜか今ひとつ元気が出ないなどという時にも、この「エアードラム」は効果絶大です。
ドラマー・ハザマさんには笑われてしまいそうな書き込みになってしまったと思います。不備な点多々ありますことお許しください。いつかハザマさんのドラム談義もお聞きしてみたいです。
幼稚園のころ、面白かったのが、つぼみ組というのがありましたね。
自分はまだ、つぼみなのかと思っていました^^
ちゅーりっぷ組というのがあって、それがひらながなのが何となくぎこちなかったですね。
組体操、なつかしいですね…。
小学校と中学校でやりましたね。
好きなのは、「おうぎ」や「ウェーブ」などの簡単にできてきれいなものです。
大人数でのピラミッドもやったことがありますが、なかなかに危険なものがありますよね。
学校の体育祭で、万里の長城ってやつをやったな。
全学年の男子を3つに等しく分けて一組がひざ立ちして、その後ろにまた一組がしゃがんで、その上に人が乗って、下の人たちが立ち上がって、そのまま数十メートル歩く、というのをやった。こわかったなあ。
花といえば、やっぱりサクラですよね!
なかでも、サクラの代表といえば、ソメイヨシノ。
ソメイヨシノとカタカナで書いても、染井吉野と漢字で書いても、なんとも情緒ただよう感じですよね。
うちも中学、高校では、7クラスから9クラスほどありましたね。
結構多いので、みんなの知らないまま卒業式を迎えてしまうことも。
3年の終わりのころになって、こんな子同じ学年にいたのか…と思うんです^^
リボン結びは、とっても便利な結びかたのひとつですよね。
ほかの結びかたをほとんど知らないくらいです。
もやい結びなんて、むかし教えてもらった記憶があるのですが、見事に忘れてしまっています。
一学年で7~10クラスくらいありました、団塊の世代の数年後でもこんなに多かったんです。
昔良く建設会社や輸送業等に「組」と付いていました。しかし「組」はやっぱり、イメージがだんだん悪くなり、会社名の変更も多くなったと思います。知り合いの運送業社も「組」を削除。トラックの社名マークから不細工に「組」が消され、何かやり切れない感じがしたものです。
「組」と言うので一番有名なものは江戸時代の火消しでしょうか?色々な組名が在ったそうですが、さすがに「へ」組は無かったとのことです。蛇足ながら・・・
銀のリボンをご存じでしょうか。
これは脳や心に起因する病気への偏見をなくし、理解を促進することを目指した運動のシンボルです。
脳や心の病気は、とても多岐にわたります。
脳機能障害や脳血管障害、神経性の疾患、そして様々な精神疾患や発達障害、知的障害。
認知症などもこの中に入りますね。
最近は、こうした病気や障害の存在だけは、よく知られるようになってきていると思います。
でもまだまだよく理解されていなかったり、あるいはいわれなき偏見が根強く残っていたりするのが今の社会ではないでしょうか。
それを変えていこうというのがシルバーリボンです。
シルバーリボンは、他の様々なリボンにメッセージを込めた運動と同じくアメリカが発祥です。
最初にこの運動を始めたのは、カリフォルニア州に住むジーン・リーシティという女性でした。
ジーンさんの長男が統合失調症にかかってしまいまったのです。
日本ではかつて精神分裂と呼ばれていた病気です。
ジーンさんたちは様々な偏見や差別に苦しめられました。
しかしジーンさんとその家族は、自分たちが立ち上がることでそうした偏見や差別をなくしていこうと、手作りの銀色リボンのバッヂを作り、周囲の人たちに着用してもらう運動を始めたのでした。
それが1993年のことだったそうです。
やがてこの運動はアメリカ国内のみならず、日本をはじめとするいくつかの国にも広がり、脳に起因する病気や障害を持つ人やその家族のことを理解し支えていく運動として、少しずつ広がりを見せてきています。
日本にも、いえ、私たちの周りにも、脳や心に起因する病気や障害を抱えている人がたくさんいますね。
でも、こうした病気のことがよく理解されていない今の社会では、そうした病気を指す心ない言葉がいまだに残っていることからもわかるように、たくさんの偏見がよどんでいます。
「シルバーリボン・キャンペーン・フォー・ザ・ブレイン・日本事務局」というところのサイトには、次のような文章が書かれていました。
脳に障害がある人について、書面で全てを説明することは困難ですが、自然界を例にとって考えてみて下さい。例えばヒマワリの種をまいたとします。その種が全部芽を出し、元気に育つわけではありません。芽が出なかったり、発育が遅れたり、葉が枯れたり、色が違ったりと、それぞれ様々ですが、この現象は、自然界の真の姿であり、それは人間の世界でも同様なのです。彼らは脳に障害を持つことを望んで生まれたのではありません。だから、私たちは、脳に障害がある人を優しく気づかい、共に生活していく責任があるのです。
http://www7.ocn.ne.jp/~lax/SR.html
本当にその通りだと思います。
人間は、出荷する作物じゃないんです。
花屋さんに出荷するヒマワリなら、育ちがよく大きな花が咲くヒマワリだけが価値あるヒマワリかもしれませんが、自然界ではどんなヒマワリにだって価値の違いなんてありません。
これはあらゆる病気や障害と呼ばれているものについて同じだと思います。
どんな人にも、個性の違いこそあっても、価値の違いなんてあるはずがありません。
そういう理解のもとに、あらゆる人間を大切にしていく運動。
それがシルバーリボンなんだろうと思います。
まだシルバーリボンは小さな運動です。
知らない人の方が多いかもしれません。
私もこれを知ったのはつい最近です。
でも、どうか皆さんも心の中に、銀のリボンを付けてください。
ネットでは、人を蔑む言葉として、わざと病気や障害を意味する言葉を使おうとする人が少なくありません。
PCの前に座る時にみんなが心の中に銀のリボンを付けるだけでも、ずいぶん世の中が変わってくると思います。
そしてそれは巡り巡って、自分のことも大切にされる世の中につながっていくと思います。
銀のリボンは、この地球に生きていく全ての人のための運動です。
良く作りました、第二次世界大戦の飛行機、戦艦、戦車等々!お小遣いためて買い作りました。難しすぎて完成出来ないものも沢山ありました。おかげで戦争のこと、歴史に興味を持ちました。趣味と言うのは知識がいろいろ波及して行くのが楽しいです。また、手がある程度器用になったのかも・・・今はプラモデルと言えばガンダム、悪いとは言いませんが寂しいです。また、若い人はだんだん作らなくなり、手の不器用な若者が増えていること、戦争は悪いことだけれど知らなければならないことなのに、まったく知識が無く悲しい思いがします。そりゃ、ガンダムの「一年戦争」?と言うのも楽しいのかも知れないですが・・・
あれは難しいですね。今でもできません(やべー!)
幼稚園のころに、リボン結びが練習できるキットがあったのを憶えています。
私はそれで必死に練習したので、できるようになりました。
最近はひも靴も履いていないので、リボン結びをする機会は本当に少なくなりましたね。
幼稚園のころを除けば、私もずっと「1組、2組…」でしたね。
まあ、それが一番オーソドックスなのかもしれませんね。
私は、何故か1組になることが多くて、3組とか5組になりたいとうっすらと思っていましたね。
1組って何かと1番にやらされますからね。
2人とか3人で行う組体操は、やっていて面白いものでしたが、
タワーとかピラミッドとなると、落下したり、転倒したりしないかな、とちょっと心配になりましたね。
ピラミッドを最後に崩すのは、やっている人はちょっと痛いですけど、見ている人には壮観ですよね。
クラス替えはドキドキしますよね。
小学校のとき、私はある先生が3年間同じだったことがあります。(6年間のうち3年間なので、半分ですね!)
なんというか、注目されていたんでしょうか…