満員電車の中で2つ折りにして読むときに、
必ず記事のコマ割り(?)が、ずれるように配置してますよね。
あれって、何かの意味・伝統・由来があるのでしょうか?
新聞を2つ折りにするたび、ふっ、と頭をかすめるのですが、
電車を降りるたびに、ど忘れしてしまいます。
ささいな質問ですが、御存じの方いらっしゃれば教えてください。
新聞の見出しが斜めに並んでいることでしょうか?
昔あれは斜め読みしやすいように、人間の視覚的に記事を拾っていきやすい配置だと聞いたことがあります。
http://members.at.infoseek.co.jp/sawanchi/henshuaa.html
ここに詳しい新聞レイアウトの情報が載っていましたのでご参考までに。
質問者の方が気になっている「記事のコマ割り(?)が、ずれる」はこの見出しがずれて配置されることではないでしょうか?
長年の知見の集大成のようです。でも私が記憶しているだけでも満員電車で読みやすいように折り目部分に記事がかからないようにした、とかいろいろ変更はあったようですが。
チドリ見出しについて
「チドリ」とは、主見出しと袖見出しの並びが、「斜」を描いた状態を指す、新聞制作現場「門外不出」の伝統的な「技」です。
「千鳥足」「浜千鳥」「千鳥格子」の「千鳥」から由来していることは、ほとんどまちがいないことでしょう。「千鳥」という鳥は、両足を並べて立つことが少なく、常に、「一歩を踏み出した」格好で立っています。敵から、身を守る姿勢であり、攻撃の姿勢でもあります。いつでも、攻守どちらへも転じられる姿勢なのです。片方の足が、もう一方の足と並んでいない状態です。
柔術、合気道など、日本の古武道の基本姿勢にも、この「千鳥」という姿勢があります。「千鳥足」は、酔っ払いの足どりですが、これも、乱れた足並みながら、両足が並ぶことのない姿勢です。
いつだれが、そう名付けたのか不明ですが、新聞整理、新聞制作の現場で、見出しの並びの形が「千鳥」の姿勢に似ていることから、この形を「千鳥」「チドリ」と呼んだのです。
見出しの並びにおける「チドリ」は、新聞レイアウトの「命」として、見出しのみならず、記事の配列、罫、写真の配置などへと応用されていきます。新聞デザインの「命」であり、「アイデンティティー」と言って過言でない「技」であり「思想」でもあります。
近年、新聞レイアウトのデザイン化が進み、「チドリ」は消えかかろうとしているかに見えますが、そうなった時には、新聞デザインのアイデンティティーが失われる、という見方があります。(アートディレクターの東盛太郎さんは、新聞デザインの根源を支える「チドリ見出し」が、本阿弥光悦が俵屋宗達の絵に書いた「散らし書き」の構図にまで遡(さかのぼ)る、という「新聞デザインのアイデンティティー論」を展開しています。
新聞の見出しが斜めに並んでいることでしょうか?
昔あれは斜め読みしやすいように、人間の視覚的に記事を拾っていきやすい配置だと聞いたことがあります。
http://members.at.infoseek.co.jp/sawanchi/henshuaa.html
ここに詳しい新聞レイアウトの情報が載っていましたのでご参考までに。
質問者の方が気になっている「記事のコマ割り(?)が、ずれる」はこの見出しがずれて配置されることではないでしょうか?
長年の知見の集大成のようです。でも私が記憶しているだけでも満員電車で読みやすいように折り目部分に記事がかからないようにした、とかいろいろ変更はあったようですが。
チドリ見出しについて
「チドリ」とは、主見出しと袖見出しの並びが、「斜」を描いた状態を指す、新聞制作現場「門外不出」の伝統的な「技」です。
「千鳥足」「浜千鳥」「千鳥格子」の「千鳥」から由来していることは、ほとんどまちがいないことでしょう。「千鳥」という鳥は、両足を並べて立つことが少なく、常に、「一歩を踏み出した」格好で立っています。敵から、身を守る姿勢であり、攻撃の姿勢でもあります。いつでも、攻守どちらへも転じられる姿勢なのです。片方の足が、もう一方の足と並んでいない状態です。
柔術、合気道など、日本の古武道の基本姿勢にも、この「千鳥」という姿勢があります。「千鳥足」は、酔っ払いの足どりですが、これも、乱れた足並みながら、両足が並ぶことのない姿勢です。
いつだれが、そう名付けたのか不明ですが、新聞整理、新聞制作の現場で、見出しの並びの形が「千鳥」の姿勢に似ていることから、この形を「千鳥」「チドリ」と呼んだのです。
見出しの並びにおける「チドリ」は、新聞レイアウトの「命」として、見出しのみならず、記事の配列、罫、写真の配置などへと応用されていきます。新聞デザインの「命」であり、「アイデンティティー」と言って過言でない「技」であり「思想」でもあります。
近年、新聞レイアウトのデザイン化が進み、「チドリ」は消えかかろうとしているかに見えますが、そうなった時には、新聞デザインのアイデンティティーが失われる、という見方があります。(アートディレクターの東盛太郎さんは、新聞デザインの根源を支える「チドリ見出し」が、本阿弥光悦が俵屋宗達の絵に書いた「散らし書き」の構図にまで遡(さかのぼ)る、という「新聞デザインのアイデンティティー論」を展開しています。
ありがとうございます。こういうのを探してました。
すっきりしました。
「紙面の半ばで、記事が上下にすっぱり分かれる組み方」のことでしょうか?
> その業界ならではのタブーというは、どこもつきものでして。新聞でも
> 紙面の半ばで、記事が上下にすっぱり分かれる組み方は、「腹切り」
> といって、嫌われたりします。といっても、毎日新聞の紙面は毎日、
> 「腹切り」でして(笑)、今はもうあまり言われなくなっているかもしれま
> せん。
>
> 「腹切り」は「鉛時代」の名残りらしいよ~。
> 見出しや罫線で区切られず、右から左まで中段罫が通しで入っていると、そこで金
> 属製の刷版が真っ二つに折れ易かったからだって聞きました。
http://igayac.iza.ne.jp/blog/entry/98752/
別のことをおっしゃっていたのなら、失礼します。
なるほど。こういう説もおもしろいですね。回答ありがとうございました。
いずれにしても、ある種の「様式美」のようなスタイルが定着した結果
なのかな? と感じます。
http://www.aik.co.jp/yakudatsu/s-hensyu/s-hen13.html
縦書の日本語の文章は、上から下へ、右から左へと行をかえて読んでいく「きまり」になっています。読者の視線も習慣的に、このように流れるため、紙面の上では「右から左さがりの対角線」上が一番めだち、この対角線外=つまり、紙面の左上と右下は《死角》といってめだちにくい場所です。
日本の新聞編集のながい歴史のなかで生みだされ、定着している紙面レイアウトの〈定石〉とは、この「死角」に《カコミ》《タタミ》などの「ハコもの」、写真・イラストを配置して、「死角」を生かし、右上から左下の対角線上に見出しが配置できるよう考えながら記事を流していき、最も重要な記事、読ませたい記事を、そのつぎに配置して左下でまとめる…という流しかたです。
「ハコもの」や写真、毎号連載しているものを、それぞれの位置と形・大きさをきめて固定した間を、右から左へ、上から下へと、見出しを配置しながら、水が流れるように記事を流していくのです。これを「押えて流す手法」といい、これが紙面の〈定石〉=基本となっています。
上記のような、紙面レイアウトの考え方により「コマ割り(?)が、ずれるように配置」されています。
回答ありがとうございます。
ありがとうございます。こういうのを探してました。
すっきりしました。