タイムスリップした直後、身なりや挙動不審により、強盗殺人の罪で捕縛。抗議するも相手にされず死罪となりますが、罪一等を減ぜられ、目と声を奪われ、盲目唖人となり、流刑地で25年間生き、歴史になんの影響をもたらすことなく、過去に行ったことを後悔しながら死ぬでしょう。
歴史不介入の法則、歴史修正不能の法則により、タイムトラベラーはいかなる状況でも、いかなるかたちでも、歴史に介入できません。その法則から考えると、前述のような結果となることは間違いありません。
歴史の進歩は、その時代に生きる人の努力と意思によって成し遂げられるものであって、他の時代の人がどんな意思をもってしても歴史は変りません。
一度進んだ時間は二度と戻らない。だから人は二度と戻らないたった一度きりの人生に真剣に向き合おうとします。その真剣な生こそが歴史を前進させていくのであって、過去を変えようとするいかなる努力も徒労となるでしょう。
ゆえに、過去を変えることが進歩だという考え方は、怠け者の思考です。“最高の知識を持った科学者”であるなら、過去に変えに行こうという意思は持たないでしょう。なぜなら、その知識によって未来を変えることをその科学者は知っているはずだからです。
この質問を見て、私は学生時代、右翼チックな学友が「オレが五・一五事件の時代にタイムトラベルできたら、昭和維新を確実に実現できたし、大日本帝国は米英に勝利できたはずだ!」などと青臭いことを言っていたことを思い出しました。
過去を変えることが進歩になるというような発想の人物に、真に歴史を動かすようなことはできはしません。なぜなら、歴史を動かすということは、未来を変えることであって、過去を変えることではないからです。
未来を変えるのなら、今この時代で変えれば良いのであって、今、この時代で変えようとしない人が過去に行ってもなにもできはしません。変えるなら、今、この時代で、未来を変えれば良いのです。
歴史修正主義者がその典型であるように、「もしも歴史が~~だったら」というような空想や妄想は、今できる努力をしていない人が、自らの怠惰さを自己弁護したいという動機が背景にあります。少なくとも私はそう考えています。
タイムスリップした直後、身なりや挙動不審により、強盗殺人の罪で捕縛。抗議するも相手にされず死罪となりますが、罪一等を減ぜられ、目と声を奪われ、盲目唖人となり、流刑地で25年間生き、歴史になんの影響をもたらすことなく、過去に行ったことを後悔しながら死ぬでしょう。
歴史不介入の法則、歴史修正不能の法則により、タイムトラベラーはいかなる状況でも、いかなるかたちでも、歴史に介入できません。その法則から考えると、前述のような結果となることは間違いありません。
歴史の進歩は、その時代に生きる人の努力と意思によって成し遂げられるものであって、他の時代の人がどんな意思をもってしても歴史は変りません。
一度進んだ時間は二度と戻らない。だから人は二度と戻らないたった一度きりの人生に真剣に向き合おうとします。その真剣な生こそが歴史を前進させていくのであって、過去を変えようとするいかなる努力も徒労となるでしょう。
ゆえに、過去を変えることが進歩だという考え方は、怠け者の思考です。“最高の知識を持った科学者”であるなら、過去に変えに行こうという意思は持たないでしょう。なぜなら、その知識によって未来を変えることをその科学者は知っているはずだからです。
この質問を見て、私は学生時代、右翼チックな学友が「オレが五・一五事件の時代にタイムトラベルできたら、昭和維新を確実に実現できたし、大日本帝国は米英に勝利できたはずだ!」などと青臭いことを言っていたことを思い出しました。
過去を変えることが進歩になるというような発想の人物に、真に歴史を動かすようなことはできはしません。なぜなら、歴史を動かすということは、未来を変えることであって、過去を変えることではないからです。
未来を変えるのなら、今この時代で変えれば良いのであって、今、この時代で変えようとしない人が過去に行ってもなにもできはしません。変えるなら、今、この時代で、未来を変えれば良いのです。
歴史修正主義者がその典型であるように、「もしも歴史が~~だったら」というような空想や妄想は、今できる努力をしていない人が、自らの怠惰さを自己弁護したいという動機が背景にあります。少なくとも私はそう考えています。