昔なのに今のアメリカみたいな訴訟社会で、ちょっとしたことも訴え合っていたのでしょうか。
民主政治が始まり、知識のある者、とりわけ弁論のうまい者の意見が通る世の中となります
今もそうですが、スピーチのうまさが世論を味方につけるような社会でした。
http://plaza.rakuten.co.jp/hauhau/diary/200911020000/
平和呆けした市民が自由を謳歌する社会だったようです。
民衆の支持する政策が採られるわけですから、議論は重要な政治活動でした。
遊びや無駄遣いが過ぎて滅亡しちゃうわけですから、他人事とは思えない展開ですね。
衆愚になっちゃうんですねー。
ソクラテスの時代に訴訟があったかどうか、ローマ帝国にはありましたが、だいぶ後ですね。
社会情勢というより民族・言語的特性かと。アーリア系(インド、ペルシャ、ギリシャ、ゲルマン)は伝統的に哲学的思考を好みます。世界観とか哲学といったものはだいたいこの系統の民族の専売特許ですね。言語学的に親和性が高いと思われます。
フーム、言語特性。
ああなるほど「民主政治」となれば時代は関係ないですね。