THEME:「今も耳に響く……イエの音、家族の音」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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テーマ詳細とアイデア例
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※質問は5月24日(月)正午で終了させていただきます。
田舎が地元で、祖父が飼っていたので昔は鶏の声を良く聞いていた。今おもえば生き物と触れ合う貴重な経験を色々してきたんだと思う。
近所でニワトリを飼っている家があると、毎朝、元気な声をひびかせてくれて、
一日が始まるんだなという気持ちに切り替えさせてくれますね。
家の近くにはいませんでしたが、散歩道の途中に飼っている家があったので、
夏など暑くなる前、早めに散歩をしたりしていると、
途中で鳴き声が聞こえてきたりしたものです。
私がまだ子供の頃、田舎の祖父母が養鶏業をしていました。
鶏舎は五つか四つに分けた部屋が連なったものが二棟あったので
それなりの数を飼っていたと思います。
私は夏休みなどの長期休みはすべて田舎で過ごしていたのですが
朝、まだ日が昇る前になきはじめる鶏たちの声。今でも忘れません。
鶏が鳴き始めるよりもまだ早いくらいから祖父や祖母が起きだして
鶏たちの世話を始めるために家を出て行きます。
古い家で、その家は祖父が一人で立てた家です。
玄関というものがなくて、南の縁側に向かった部分はすべて引き戸。
ガラガラとガラスの引き戸を開け閉めする音。
ぎしぎしと祖父が縁側を歩く音。
長靴を履いて歩く音。
私はいつもしばらくして明るくなってから、鶏舎に向かったものでした。
鶏舎でめんどりたちが個別の小さな部屋で産んだ卵を、入り口に手を突っ込んで
採りあつめるんです。
卵とは違う感触にびっくりすると、中で大きな蛇が卵を丸呑みにしていることもありました。
祖父が配合した餌のにおい。
鳥たちのにおい。
すぐ隣ではイノシシも飼っていたので、イノシシの鼻息も忘れられません。
イノシシは雑食で何でも食べるので楽なんだそうで、残り物をよく食べてくれていました。
驚いたのは、イノシシのお母さんはウリボウを跳ね除けて、まず自分がご飯を食べること。
ウリボウもこんなに小さな頃からこうではたくましいイノシシになるわけです。
おじいちゃんの家はその県でも秘境と呼ばれる、その県で一番高い山の麓にあって
(麓といっても山をずいぶん登った山の中です)
長い坂道の途中にあるその家かあら見下ろすところ、緑と山に囲まれたところに
鶏舎がありました。
今は鶏舎はなくなってしまって、村の老人保養施設ができています。
すごい山の中にポツン。とあるんですよ。
おじいちゃんは亡くなって、おばあちゃんは施設に入っているのですが
今もおばあちゃんに会いにそこへ行くと、山の中の鶏舎が目に浮かびます。
東京生まれの東京育ちの私にとって、あの山の中での日々は本当に美しいものでした。
あんなたくさんの鶏の鳴き声、餌をつつく音、ヒナが変える時期のまっ黄色のじゅうたん。
もう見ることはないんだなあと思うと寂しくなりますし
自分の娘たちは、あのすばらしさを知らないんだなあと悲しくも思います。
村自体高齢化が進んで、誰も住んでいない古い家屋がいっぱいになってきています。
道だけはどんどんときれいになってきていますが、昔からある家は朽ちてやがて山に還っていくんだろうな。
戻ることはかなわないけれど、戻れるものなら戻りたい。懐かしい日々です。
まだ鶏を飼っています。毎朝餌の時間になるとけたたましく雌鳥がなき、餌を要求します。いつも青菜をいれる籠だけもって鶏小屋の前を通るとえらく興奮して小屋の壁のほうに集まってきたりします。鶏は3歩歩けば忘れる、といいますが、あっちも生きるために必死でこっちを観察しているのだな、と思うことがしばしばです。
祖父母のイエの近くで、飼われているニワトリが毎朝鳴いていましたね。
コッ、コッ、コッというニワトリの鳴き声で起きる、とても心地のよい朝を思い出します。
懐かしいですね。
というか、父と一緒にチャボを飼っていたんですよね。雄鶏もいたので、毎朝いい声で鳴いてくれました。
id:canorpsさんの山の中の養鶏業のお話。過疎の山を、もう一度蘇らせたいとつくづく思います。マチから離れた場所だから出来ることって、たくさんあると思うんです。養鶏業なんてその代表ですよね。その場所に適していたから発展してきたことが、過疎、高齢化といった社会現象と共に消えていく。そして山や村から消えていった産業は、みんな個人の手を離れて企業の手に移っていく。これはとても悲しく寂しいことだと思います。
山で暮らせる産業を育成する町おこし。カムバック、山の養鶏場。そんな取り組みは出来ない物でしょうか。山の村は東京の区なんかより面積が広かったりしますから、きっとどこかにまた養鶏場が、うりんぼ牧場と一緒に作れますよねえ。あー、そういう山に入植したい。山に響き渡るニワトリの声(プラス猪のブヒブヒ)を聞きながら暮らしたら幸せでしょうね。
そして、そんな音を心に残る音として育っていく子供達。そういう時代を作ってみたいと思います。
小さい頃、郊外の実家で犬を飼う前に、お祭りの夜店でひよこをもらってきたことがあったのですが、立派な鶏冠のついた、おしりの羽がふわふわのニワトリに育ちました。このコ達が朝になるたまにコケコッコーと鳴くのが当時の家族の休日の目覚ましでした。(ご機嫌があったのか、毎日は鳴かないのと、結構お寝坊さんで遅起きのニワトリでした。ご近所迷惑になるのではと心配していたのですが、ご近所の人たちは風情がある、朝という感じがするねぇと気に入っていた様子でした。)去年、地方に別荘を建てた友人を訪ねたら、ご近所のおじいちゃんおばあちゃんがオーガニック有精卵を採るためにニワトリを飼っているらしく、コッコッコッコと近所で鳴いていて懐かしかったです。都心部ではもうすっかり珍しい光景ですよね。