THEME:「今も耳に響く……イエの音、家族の音」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20100519
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は5月24日(月)正午で終了させていただきます。
親子で直した中古印刷機の奏でる音。これはその時だけでなく、様々な活動を思い起こさせてくれる音として耳に残りそうですね。
このエピソードでとりわけ素晴らしいと思ったのは、外での活動が、常に親子の絆で蘇った印刷機によって、イエと、家族と結ばれていたであろう点です。
人は外での活躍が顕著になってくると、しばしばイエから心が離れがちです。時にはイエのことを全くかえりみずに、外での活動に没頭します。それが悪いとは言いませんが、外の活動の基点が家族の絆と同じ位置にあるということは、本当に素晴らしいことだと思うんです。
私も自分の物ではありませんが、同人誌作りに旧型のオフ輪を回していたことがあります。あれはすごく大きな音ですよね。でも、とてもリズミカルな音でもあります。あの音を聞いていると、心が弾みます。
今も現役で動き続ける印刷機。親子が支え続ける印刷機。それが今も響き続けるイエの音。それが外に向かっても、イエの中に向かっても、いつも温かな心とアクションを繰り広げていってくれる。そんな愛しき日々、ディア・ライフ。素晴らしい家族像を見せて頂きました。
自転車に鈴、これは素晴らしいアイデアですね。最近は音の静かな電気自動車にわざと音を出させて安全性を高めようという動きがありますが、自転車もまさにそれと同じですよね。
友情の鈴を大切にしてきたお母様の素晴らしいアイデア。これ、ぜひ全国に広まって欲しいと思います。エコロジー指向のイエはてなですから、ここからかなり自転車を愛用するライフスタテルが広まってきていると思いますが、それをさらにもう一歩進めて、イエはてなから歩行者に優しく走ろうの鈴の運動。これはインパクトがあると思います。
イエラボの小山薫堂さんが展開している東京スマートドライバー運動と共に、兄弟サイトのイエはてなからは、優しい鈴の音と共に繰り広げていくスマートサイクリスト運動。これは盛り上げてみる価値があるかもしれません。私も自転車を愛する者の一人です。早速鈴を付けて、歩行者の目線で優しくマチを走ってみたいと思います。
わが家にも、ゼンマイ式の振り子時計がありました。カチ・カチ・カチ・カチと時間を刻む音は、普段は全く気にならないというか、聞こえてもいないような音なのですが、一度気になり出すと、ずいぶん大きな音だったんだって気付くんですよね。とりわけ一人でお留守番の夜などには、あの音が大きく響いて耳に届きました。
「ボ~ン、ボ~ン、ボ~ン」という音も懐かしいです。毎正時には時間の数だけ。30分には1回だけ。だから12時半から1時半の間は3回続けて「ボ~ン」だけなんですよね。それでも音だけで時刻が分かってしまう振り子時計。機械なのに、人と心が通じ合っていたのかもしれません。
id:sumikeさんのお宅の時計は、今も現役なのですね。わが家の時計は、ゼンマイが切れてそのままになっています。直せないことはないなあ。新しいゼンマイを探して、もう一度時を刻んでもらいたくなってきました。
ごはんの前には、ねえ、食べていいって言って、その方が美味しく思えるの、と言った感じで、じーっとこちらを見つめていることがあります。
「ほら、これこれ、食べて、美味しいよ」
トントンとお皿の縁を叩いて声をかけると、打って変わったようにガツガツカリカリと食べ始めます。食欲がないわけじゃなくて、ごはんと一緒に愛情が欲しいんですよね。人がいない時には、勝手に食べてますものねー。
なんにしても猫の元気なガツガツと食べる音。これは幸せの音です。
これに対して、わんこの方は、口吻が長いせいか、ガツガツに、パコンパコンという音が混じります。水を飲む時は、長い舌で豪快に水をかきあげて、びっしゃびっしゃ、ごくんごくんと飲んでいきます。
その点、猫は舌が短いですから、水を飲む時の音は「てちてちてちてち・・・・」。でも言われてみると、「ぺくぺくぺくぺく・・・・・」とも聞こえますね。
猫はクレオパトラにも愛されていたことから分かるように、元は砂漠のような乾燥地帯の動物でしたから、とりわけお水にはグルメなのだそうです。生きるためにはどんな水分でも舐めてきた苦労が、水に困らなくなった今は、水の美味しさを味わい分ける感性として、遺伝子の中に受け継がれ続けているんですね。
温度、味、そして器にまで、猫の水へのこだわりは果てしがないようです。
ラジオは耳だけ傾けていればいいですから、忙しい朝にピッタリなんです。うちはずっと朝はNHKラジオでした。お馴染みの朝のニュースワイドのジングルが聞こえてくると、さあ今日も一日張り切っていこうという気持ちにさせられたものでした。
id:adgtさんのニュースはNHKの件、私も良く分かります。特に政治のニュース、民放って偏ってますよね。余計な先入観を与える情報がてんこ盛りで、世論を混乱させて新しいニュースを作り出そうとする魂胆がミエミエです。
その点NHKは、一部の番組では政界の大物の息子議員達の乱暴な思想介入が問題になったりしていましたが、ニュースは淡々と事実だけを報道する姿勢が貫かれていると思います。
TVは多少ショー的要素を加えてその点が余計だなと思いますが、ラジオはそのあたりもシンプルで、偏らない社会の見方のままで世相を見つめる目を養ってくれます。だから私は今もNHKラジオ。TVの朝番組は人づての話題とネットでの書き込みでしか知りませんw
いつもはあまりトンツーはしない私でしたが、コンテストの時はここぞ男気の見せ所とばかりに、電信(トンツー)部門で参加していました。
開始直前の静まりかえった空が、一気に電波と電波のぶつかり合いに変わるんですよね。あの熱気。忘れられません。
QRZ? DE J○1○○○ K
J△6×××
J△6××× 5NNxxxx 1ST6 VYTU K・・・・
どなたかお呼びでしたか?こちらはJ○1○○○です、どうぞ
J△6×××です。
J△6×××さんですね。コンテストナンバーは5NNxxxxです。最初の九州ですよ、すごく嬉しいです。どうぞ・・・・
一見無味乾燥な電子音と略語の羅列に、ほんと、心がこもるんですよね。もしかしたらid:momokuri3さんともid:w83さんとも 、コンテストのお空でお会いしているかもしれません。
というか、父と一緒にチャボを飼っていたんですよね。雄鶏もいたので、毎朝いい声で鳴いてくれました。
id:canorpsさんの山の中の養鶏業のお話。過疎の山を、もう一度蘇らせたいとつくづく思います。マチから離れた場所だから出来ることって、たくさんあると思うんです。養鶏業なんてその代表ですよね。その場所に適していたから発展してきたことが、過疎、高齢化といった社会現象と共に消えていく。そして山や村から消えていった産業は、みんな個人の手を離れて企業の手に移っていく。これはとても悲しく寂しいことだと思います。
山で暮らせる産業を育成する町おこし。カムバック、山の養鶏場。そんな取り組みは出来ない物でしょうか。山の村は東京の区なんかより面積が広かったりしますから、きっとどこかにまた養鶏場が、うりんぼ牧場と一緒に作れますよねえ。あー、そういう山に入植したい。山に響き渡るニワトリの声(プラス猪のブヒブヒ)を聞きながら暮らしたら幸せでしょうね。
そして、そんな音を心に残る音として育っていく子供達。そういう時代を作ってみたいと思います。
実家のぜんまい時計
私たち家族を柱の上から見守ってきた時計です。
今でも現役で30分に一度、昼夜を問わず鐘がなります。
正時にはその時の回数分、そして30分に1回。
優しい針の音と鐘の音がこの家の時の流れを見つめているようです。
針の音は気にすると聞こえる音、カチコチカチコチ。
しかし何かに集中していたり、気にしなければ聞こえない音。
私はこの時計で時間のよみ方を習い、月に一度ぜんまいを巻くのも私の仕事でした。
椅子に上がって、蝶のようなぜんまい回しを文字盤に二箇所ある穴に入れて回します。
「ギコッ、ギコッ、ギコッ」
「巻きすぎたら、ぜんまいが切れるよ」。
そんな父の言葉に、おっかなびっくり力を加減して巻きました。
ぜんまいがしまっていくと、カチカチという音が心持ち元気になった気がして、なんだかうれしくなったものです。
振り子ケースの中がぜんまい回しの置き場です。
昔、使ったあとに戻さずに持ち出してしまった翌月には家中を探す大騒ぎになりました。
この時計を見るとたくさんの思い出が甦ってきます。
「ボ~ン、ボ~ン、ボ~ン、ボ~ン、ボ~ン」。
いつも変わらぬ音が、今日も時を知らせてくれます。
時計が時間を刻むように私も家族との思い出を心に刻んで行こうと思います。
母はピアノが大好きでした。しかしわが家にピアノがやってきたのは、私がずいぶん大きくなってからのことでした。それまで母が何を弾いていたのかというと、オルガンです。電子的なキーボードじゃありません。リードオルガンだったんです。空気の力でハーモニカやアコーディオンと同じ構造の「リード」という金属片を振るわせて鳴らす楽器。あの、アコーディオンと同じような音のする楽器ですね。
もちろん当時も電子オルガンはありましたが、父がどこかからもらってきてくれた古い古い、それは古いリードオルガンを、母は大切に弾いていたのでした。
しかし、ピアノとリードオルガンで同じなのは鍵盤の並び方だけ。全く異なる楽器です。それでピアノ曲を弾こうとすれば、普通はかなりとんでもない演奏になってしまいます。ところが母は、ショパンでも何でも、まるで最初からオルガンのために作られたかのように弾いてしまうのです。幼い私は元々そういう曲なんだろうと思って聞いていました。
「楽しい曲だね」
「わかる?」
「うん、ちっちゃなわんこがコロコロ転がってるような感じ」
「まー、この子は天才かもしれないわ!!」
親バカ・・・・w
そうです、この時弾いていたのは「子犬のワルツ」。今になって思います。あのまともに調整もされていないガタガタ鍵盤で、よくもあんなに早く滑らかに指が動かせたものだと。そして、右手の流れるようなメロディを支えていくのが左手の豊かな響きです。それを鍵盤を離せばブツリと無粋に音が途切れるリードオルガンでよく表現できたものだと。私こそ「子バカ」かもしれませんが、リードオルガンで子犬のワルツを完璧に表現して聴かせてくれた母は、稀に見る天才だったと思います。何も知らない子供の心にショパンの世界を映し出すなど、本物のピアノを使っても難しいことなのに、それをオルガンで・・・・。
そんなプロにだってなれたはずの表現力を持った母が、深い愛情を込めて弾いてくれるのですから、それを聞いて育つ子供が音楽を好きにならないはずがありません。私は毎日母のオルガンに合わせて歌を歌ったり、母の伴奏に合わせてたどたどしい手つきでメロディを弾いたりして、楽しい遊びに夢中になっていました。
中でも面白かったのは、オルガンの音でおしゃべりをする遊びでした。日本語は音程のアクセントが主ですから、けっこう言葉をメロディに置き換えることが出来るのです。
「ぶぶ、ぶぶぶ?」
いま何時?と聞いています。まだ時計、よく読めないのに・・・・。えーとえーと、
「ぶぶぶ、ぶーぶっぶぶ」
さんじ、じゅういっぷん。
「ぶぶぶー」
あたりー。
「ぶー、ぶぶぶー」
ねー、おやつー。
「ぶぶぶぶ」
はいはい。
親子だから、こんな音で話が通じたのかもしれません。でもこれで、私は作詞作曲の基礎を身につけたように思います。言葉にはメロディがある。メロディの中にも言葉があるという気付き。それは今でも私の宝物です。
さらに面白い遊びは、メロディのキャッチボールのようなものでした。母が短いフレーズを弾きます。それを私が受け取って、続きのメロディーを考えて返します。すると母はそれをサッと楽譜に書き留めて、さらに続きのメロディを返してくれます。こうやってしばらく音のキャッチボールを繰り返していると、それが一つの曲になっていきます。
たいていは辻褄の合わない変な曲になって、続けて弾くと大笑いでしたが、時には素晴らしいメロディになっていることもありました。そんな時はそれに歌詞を付けます。
「ねえ、このメロディから何を思い浮かべる?」
「うーんとね、おいしいお菓子。こないだ食べたおさとういっぱいのドーナツみたいなの」
「よーし、じゃドーナツの歌にしよう」
こんなふうにして、何曲かのわが家のオリジナル曲が生まれていきました。あの頃の楽譜、どこにいってしまったんでしょう。母は楽譜をとても大切に扱っていましたから、子供との遊びの時のメモだって、粗末に扱ったりはしていなかったはずなんです。探せばきっとどこかに保存されているはず、と思うのですが、どんなに探しても見つかりません。思い出したいのに、ここまで出かかっているのに出てこない、そんな母と私のオリジナル。いつかきっと記憶をたどって、蘇らせてみたいと思っています。
こんなふうに、幼い私に、かけがえのない大切な宝物を贈り続けてくれたオルガンの音。母の愛を、そして母から受け継いだ音楽への思いをしみじみ感じる時、いつも私の心の中には、あの懐かしいリードオルガンの音色が響いています。
軽オフセット輪転機というものがあります。大きさは机の上に乗せられる程度。でも印刷の仕上がりは、ちょっとした商業印刷物と変わらない出来映えです。一時代前には、大量の印刷物を作る必要のあるオフィスなどで盛んに使われていた印刷機でした。
その中古が、わが家にやってきたのです。父は地域の文化や歴史を研究するサークルを作っていましたので、その会報をこれで印刷しようというのでした。これさえあれば何百部でも刷れるぞ、町中の人にだって配れるぞと父は上機嫌でした。
しかし、ただ同然で頂いてきたジャンクですから、まともに動くはずがありません。モーターは生きているので主要部分は動きますが、紙送りのローラーが動きません。
機械の横には自動車のシフトレバーのような物が付いていて、それを切り替えることによって、インキ練りだけの動作、印刷原版のドラムを回してインクを乗せる動作、そして紙送り機構も動かして印刷する動作といったモードが選べるようになっているらしいのですが、そもそもマニュアルが付いていないので、操作の方法からしてよく分かりません。
私も印刷機が有れば色々遊べそうなので、修理を手伝うことにしました。しかしいくら機械物が好きだと言っても、当時の私はまだ中学生です。文系で機械関係には詳しくない父と、ちょっと前までは小学生をやっていた子供が、機械油と印刷インキにまみれて大奮闘。でもそれはとても楽しい時間でした。どちらも全く未経験のことに取り組んでいますから、親だから教える側、子だから教わる側といった図式がないのです。二人で考え合い、二人で壁に突き当たって、それを二人で乗り越えます。こんなに楽しい親子の時間を過ごしたのは初めてでした。
休前日の夜は徹夜をしてしまったこともありました。気が付くと朝。お腹空いたなと父が台所で作ってくれた焼きうどんは最高でした。母が起きてきて、あららら、このイエにはおっきな子供が二人いるのねと苦笑していました。
こうして一週間以上の悪戦苦闘の末、複雑な機構を全て把握し、装置の隅々まで知り尽くした上でのオーバーホールが完了しました。
印刷原版は紙版といって、普通のPPCコピー機で作ることが出来ます。インキを弾く加工が施された原版をコピー機に通すと、トナーが乗った部分にだけインキが付着するようになります。それをゴムローラーに転写してさらに紙に転写する。これが紙版オフセットの印刷原理です。
行くか。テスト用の印刷原版を作りに、二人でコンビニに走りました。しかし純正の紙以外使わせてくれないコンビニばかりで、どこに行ってもオフセット用原版へのコピーは断られてしまいました。仕方なく二人でアイスを買ってしゃぶりながら帰宅。翌日父が会社のコピー機で原版を作ってきてくれました。
いよいよテスト印刷です。インキと原版をセットし、スイッチを入れます。シフトノブをインキ練りモードにすると、ガシャコンガシャコンと大きな音を立てながら印刷機が動き始めました。よし、転写するぞ。原版をセットしたドラムと印刷のためのローラーが回り始め、一層けたたましい音になりました。全てが機械式ですから、とにかく音が大きいのです。
「大丈夫だよね、壊れないよね……」
「だと…思うんだけど……」
なんとも心許ないですが、本当にそんなに不安になってしまうほど大きな音でした。
さあ、刷るぞ。印刷枚数をセットして…。レバーを印刷モードにすると、大成功でした。紙送り機構の動作がいまいちでしたが、タイミングはしっかり合っていたので、給紙ローラーの圧力調整で快適に動作するようになりました。大成功です。こうして親子の印刷室がわが家に登場することになりました。
それからは色々な印刷物を刷りました。印刷という手段が手に入ると、それは広報という力を得ることになります。父も私も、そして母までもが、この印刷機に様々な活動を広げてもらいました。
大きな音を立ててガシャコンガシャコン。もうポンコツ丸出しの音を立てて動く印刷機ですが、旧式の機械は頑丈ですから、メンテナンスさえしっかり行っていれば、十年でも二十年でも動いてくれます。旧時代の印刷機なので段々消耗品が入手しづらくなってきましたが、それでもまだまだ現役として十分使える動作をしています。
わが家に響くこのカシャコンガシャコンという大きな音が、父と子の絆の音、そして家族の元気の証しの音でした。きっとこれからもこの印刷機は活躍し続けてくれると思います。
祖父の吹く口笛は、澄み渡った素晴らしい音がします。祖父は口笛で鳥の鳴き声を真似るのも上手でした。祖父とお散歩に出かけると、よく色んな鳥の鳴き声を真似してくれました。まだ寒い浅い春に、歩きながらホーホケキョ。すると塀の向こうから「あら?」なんていう声が聞こえてきます。本当のウグイスの声だと思った人がいるようです。祖父はいたずらっぽく唇に人差し指を当てて、シーッというような顔をして微笑みます。私も唇に人差し指を当てて、うんうんとうなずきます。しばらく歩いて遠ざかってから、二人でお腹を抱えて大笑い。そんな楽しいお祖父ちゃんでした。
祖父は色んな歌も口笛で聞かせてくれました。中でも祖父が大好きだったのは、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」でした。夏の夕方のお散歩の帰り、河原でこの曲を聞かせてもらっていたら、なぜかじんと涙が出てきてしまったのを懐かしく思い出します。
ある時私は、あまりに祖父の口笛が澄んだ響きなので、どこまで離れて聞こえるか試してみたくなりました。祖父に立ち止まって口笛を吹いてもらい、私だけどんどん先に進んでいきました。どれだけ歩いても、まだ口笛の音が聞こえます。うわぁ、すごく遠くまで響くんだと思いながら振り返ると、祖父の姿は遥か向こう。私はあまりに離れすぎて心細くなってしまい、半分べそをかきながら走って祖父のもとに戻りました。そのくらい、祖父の口笛の音は美しい音がしたのです。
子供の歌も、たくさん口笛で吹いてくれました。祖父と手をつなぎながら、口笛に合わせて歌を歌います。いつも音楽のあるお散歩。それはとても楽しいお散歩でした。
ある時、祖父が怪我をして入院してしまったことがありました。幸い怪我をしたのは足だけだったのですが、祖父は「病院では大好きな口笛が吹けないなぁ」と、それが寂しそうでした。ところがです。祖父が口笛の名手だと知った入院患者さんたちがその音楽を聞きたがって、先生や看護師さんと協力して、病院の中で「口笛リサイタル」を開いてくださることになったんです。
当日は私も呼んでもらいました。祖父は足を骨折していたので、車椅子で登場です。病院のホールには人がいっぱい。祖父は次々と、色々な曲を披露していきました。どれも昔の懐かしい曲で、祖父より年上そうな皆さんが涙を浮かべながら聞いてくださっていました。最後に私が花束贈呈です。大きな拍手の中を進み出て祖父に花束を渡すと、アンコールの声がかかりました。すると祖父が私の手を握って、「ほらいつもの、一緒に歌おう」。
「うん!」
私は元気良く答えました。
「それではアンコールにお答えして、孫の○○が一緒に歌います。聞いてください、『靴が鳴る』」
いつものように、口笛で前奏が流れます。
ドーラドソーラソミードー レードレミーレドー
さんはい
おーてーてー つーないでー のーみーちーをーゆーけーばー
この曲は二番まであります。私はいつも祖父と歌っていたので、ちゃんと二番まで歌えました。一番は歌を歌って小鳥さんに、二番は跳ねて踊ってウサギさんになるんですよ。こうして病院での口笛リサイタルは大成功でした。
こんな色々な思い出のある祖父の口笛が、私の1番の「今も耳に響く……イエの音、家族の音」です。
祖父母のイエの近くで、飼われているニワトリが毎朝鳴いていましたね。
コッ、コッ、コッというニワトリの鳴き声で起きる、とても心地のよい朝を思い出します。
懐かしいですね。
以前住んでいたイエの近所に、石焼き芋屋さんが来ていましたね。
とても懐かしいです。
結構長い時間、イエから見えるところに停まっていたけど、買いにきている人はあまり見かけませんでした…^^
「イエの音、家族の音」というより親戚の家で体験した音の話になってしまいますが、今も心に残っているのがこの音です。
小学校最後の夏休みだったと思います。両親に連れられて訪れた親戚の家。そこは山あいの小さな村で、辺り一面に自然が一杯でした。イトコのアニキと一緒に日がな一日雄大な自然の中で遊ぶのは、東京育ちの私には夢のような楽しい体験でした。
いよいよ翌日帰宅という晩、ついに私はまだここに残りたいと言い出しました。するとイトコのお父さん、つまりおじさんが、客ではなくここの家の子として過ごすなら夏が終わるまで置いてやる、と言ってくれたのです。
なるよ、どんなお手伝いでもする。ここの家の仕事は楽しそうだ。
父母は、宿題はどうするんだなどと心配そうでしたが、私はいつも面倒な物は先に片付けてしまうタイプだったので、残っていたのはせいぜい毎日の起床時間とその日の天気を書き込む「夏休み生活記録」のプリントくらいだったのです。こうして私の単独残留が決まりました。
翌朝からは5時起床。外に出るともやがかかっていて、まるで山のキャンプ場のようでした。早朝の畑で朝一番の新鮮な野菜を収穫します。植物というのは夜の間に実に栄養を送り込むから、こうして朝採るのが一番うまいんだぞと教えてもらいました。実際本当に美味しいのです。山の農家の食事には肉も魚もほとんど出てきませんが、お米と野菜だけで本当に美味しい食事でした。
このあと昼間はイトコも私も自由時間です。午後3時頃、おじさんが畑から戻ってきました。耕運機の後ろのリヤカーに、たくさん丸太を積んでいました。
「さぁ、ここからは薪割りの時間だぞ。ここは冬は雪で埋まってしまうから、夏のうちに冬の準備をしておくんだ」
大きなノコギリが登場して、おじさんとイトコで丸太を切り始めました。数本切り終わると、見てやり方は分かったなと言って、私にノコギリが渡されました。さっそく丸太を切ってみますが、板と違って太いので、なかなか切ることができません。
汗びっしょりで悪戦苦闘していると、おじさんは大きなナタで、カコーン、カコーンと気持ちのいい音を立てながら、切った丸太を割り始めました。その音が背後の山に響き渡って、なんとも涼し気です。
いい音だぁ、汗が引っ込む気がするよと言うと、この音の良さが分かるならお前は一生ここで暮らせるぞと言われました。そして、やってみるかと言われて、ナタを貸してもらいました。
いいか、ナタを持ち上げたらその重さだけで振り下ろす、力を入れると曲がっちゃうからな。薪を持った手をしっかり離してから振り下ろせば絶対ケガはしない。やってみろ。
う、うん……。
最初の一回目は、見事に狙いがはずれて失敗でした。そんなに高く振り上げなくていいんだぞと教えてもらって、もう一回。おっと、今度はど真ん中に命中しましたが、力が足りなくて割り切れません。
それでいいんだよ。無理して一回で割ろうとしないで、薪にナタが食い込んだらあとはこうしてトントンとやって割っていけばいいんだ。
出来た、出来た!!
よーし、どんどんやってみろ。ただし慣れてきた時が一番ケガしやすいからよく気を付けて。
はい!!
こうして来る日も来る日も、夕方になると薪を割り続けました。毎日元気に遊び回ってその後に薪割りですから、東京育ちの私もすっかりたくましくなりました。見た目はそんなに変わりませんが、気持ちがたくましくなったのです。体を動かすことが楽しい。家のために働くことが楽しい。それまで、そんな風に思ったことはありませんでした。
畑仕事もこの時初めて体験しました。私がやったのは主に草刈りと収穫ですが、青空の下で汗を流す爽快感はどんな遊びより楽しく気持ちのいい時間でした。
東京では子供は子供でしかありませんが、ここでは仕事の速い遅いの違いはあっても、大人と同じ仕事を任せてもらえます。私にはそれが嬉しくてたまりませんでした。
薪割りは結局最後まで、カコーンと気持ちよく山に響くいい音は出せませんでしたが、それでも自信を持って割れるようにはなれました。
いよいよ明日は帰るという日、最後の薪割りが終わると、おじさんは積み上げた薪を見上げながら、よぉ割ったなぁ、この薪はな、冬に雪の重さに耐えかねて折れたり倒れたりした木ばかりなんだ、ここの人たちはむやみに燃やすためだけに木を切ることはしない、自然が与えてくれる倒木で何百年も冬を過ごしてきたんだ、だから今もこんなに自然が一杯だ、そのことを大人になるまで忘れないでくれよ、いつかきっと自然から奪うだけの暮らしとの違いが分かる時が来るから、といったようなことを話してくれました。
この親戚の家には、今も時々足を運んでいます。おじさんもだいぶ歳を取りましたが、まだまだ現役で畑に出て、そしてもちろん薪割りも続けているようです。いまだに薪のストーブは健在です。
今は私もカコーンといい音を響かせながら薪を割ることが出来ます。おじさんはそれをとても嬉しそうに見守ってくれます。
いつかお前も自分の子供にこの音を聞かせてやらねばな。
そんなことを言われたりしますが、それはまだちょっと先のことになりそうです。
我が家には昔アマチュア無線の受信機がおいてありました。その受信機が一年でもっともうるさくなったのが、コンテストというものが行われているときでした。コンテストは確かできるだけさまざま地域で、できるだけ多くの相手と交信するのを競うものだったと思います。禁止事項として同じ相手と2度以上交信してはいけないようになっていました。このコンテストが行われているとき、ものすごくにぎやかで、楽しくコンテストに参加しました。
まだ鶏を飼っています。毎朝餌の時間になるとけたたましく雌鳥がなき、餌を要求します。いつも青菜をいれる籠だけもって鶏小屋の前を通るとえらく興奮して小屋の壁のほうに集まってきたりします。鶏は3歩歩けば忘れる、といいますが、あっちも生きるために必死でこっちを観察しているのだな、と思うことがしばしばです。
相手側の番号を表示したり、留守電といった便利な機能はありません。でも電話会社に尋ねると、この黒電話、一番壊れにくいそうです。機能がない分、構造が単純なのでしょうね。お役目ご苦労さまといいたいですが、まだまだがんばってもらいたいと思っています。電話もまだまだ働き盛りなのか、まだ好調です。
私が子供のころから電気、電波に関することが大好きだったのは、間違いなく父の影響です。父もそういうことが大好きで、よく海外の短波放送を聞いていました。そして時々、音声の放送ではなく、ピーピーいうモールスに耳を傾けていたことがあったんです。それは子供心にも、とても興味深い物でした。
こんなの聞いて意味がわかるの?とたずねると、まあ8割くらいなら解読できるかなとのこと。父は特に無線の免許などは持っていませんでしたが、昔の電気電波好き少年は、常識としてモールス符号くらいは知っていたとのことでした。父が子供のころは「模型とラジオ(科学教材社刊・1984年廃刊)」「初歩のラジオ(誠文堂新光社刊・1992年休刊)」や「ラジオの製作(電波新聞社刊・1999年休刊)」といった電子工作を題材にした青少年向け科学雑誌が全盛期で、そうした雑誌を1年も読んでいれば、必ず一回くらいはモールスをおぼえようといった特集記事があったらしいのです。
ねぇ、これ何て言ってるの?と聞くと、父は聞こえてくるモールス信号を、鮮やかな手つきで書き取ってくれました。しかし見せてもらった紙は、2文字か3文字のアルファベットの組み合わせばかりが並んでいます。今のご時世、子供だって多少の英単語は読めますが、そのどれもが私の知らない文字列ばかりです。
「なに、これ」
「モールスの世界では言葉をそのまま打つことは少ない。ほとんどの単語が略語になっているんだ。このQから始まる3文字は国際条約で決められた世界共通コード。たとえばQTHといったら無線局の存在する位置という意味になる」
「この数字は?」
「こういうのは特に定めた決まりはないけれど、無線の世界では誰もが知ってる略語だね。73と言ったらさようならの意味。特に男性から女性に対して送る時には88という数字を使う」
「へー、面白い」
「この599というのはRSTコードと言って、最初のRは了解度、つまり信号の聞き取りやすさを5段階で表す。5が最高で完全に了解できるという意味。次のSはシグナルの頭文字で電波の強さを表す。普通のラジオ放送のように強く届いてくれば評価は9だ。Tはトーンの頭文字で、音の質を表す。ピーピー言う音が濁り無く聞こえれば9だ。無線の世界ではこういう情報を交わして、通信状態やそれぞれの無線機の状態を確かめ合うわけだ」
「へぇぇぇぇ」
少しダイアルを動かして別の信号を受信すると、今度は同じモールスでも、ちょっと崩れたリズムの音が聞こえてきました。
「こういう崩した打ち方をするのはベテランに多い。ほら今、トツーーート、と真ん中の音を長く伸ばしたね」
「うん」
「モールスではトツートは了解という意味なんだけど、この人は今、へぇぇそうなんだぁという驚きや感動の意味を込めて、真ん中の音をぐーっと伸ばしたんだと思うよ」
「そんなのもわかるの?」
「わかるよ。こんな原始的な通信方法でも、人はちゃんと心を伝えられるんだ。だから人間はすばらしい」
文章にすると実際の言葉のやり取りとはちょっと変わってしまいますが、「だから人間はすばらしい」という言葉だけは当時の記憶そのままです。無味乾燥にしか思えない電子音にさえ、心を乗せて飛ばすことが出来るんだ。この発見は、子供心にも人のすばらしさを強く印象づけてくれたように思います。
今、私がイエはてなにいるのも、この時の体験があったからかもしれません。文字だけの語らい。でもその中に、まるで相手の表情までが読み取れるような心が込められている。そういうコミュニケーションがここにはあります。
子供時代に触れたモールスから今はインターネットを介した通信へ。方式は大きく変わりましたが、でも通信は心を伝えるものという捉え方は、今もずっと変わりません。どんなに通信方法が変わっても、人はそれに心を乗せていくことが出来る。だから人間はすばらしい。子供時代に父と聞いた電波の音が、今も私にそれを教え続けていてくれます。
チリン、チリンと小気味のいい金の音を鳴らしながら、
イエの近所を回っていたとうふ屋さん。
もうあの音がきこえなくなってからどのくらい経つのでしょうか…。
でも、いまでもあの音は耳に残っています。
昔の時計や機械製品は直すことを前提に作られているので結構丈夫にシンプルにできています。
現代の電子機器や家電品はプラスティック部品が多く、壊れると基盤ごと交換とか修理代の方が高くつくような修理しかできないなど、長く使うことを前提には作られていません。
大昔のぜんまいは、くじらのヒゲで作られていたりするので、材料が手にはいらず治せないものもあるようですが、ぜんまい時計のぜんまいはまだ材料が残っていると思います^^
精密な時計ではないので、定期的にぜんまいを巻いたり時間を合わせたり、振り子の重りを調整したり手をかけてあげないといけないのが難ですが、今みたいに一分一秒がピッタリあっていないといけない時代でなかったので使えたのかもしれませんね。