1276663945 【イエはてな】"ディア・ライフ" #002


THEME:「あの日、そして今……あなたの好きなイエの光景」

“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!

*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!

「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731

テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20100616

※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は6月21日(月)正午で終了させていただきます。

回答の条件
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※ 有料アンケート・ポイント付き質問機能は2023年2月28日に終了しました。

回答126件)

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父のお好み焼き r-zone2010/06/21 10:05:59

我が家も父の大好物はお好み焼きです。

昔鉄板焼き屋でバイトしていたという事から

あまり家では料理をしない父でも、お好み焼きだけは大の得意!

これだけは母に譲った事がありません。

土曜日の昼ご飯はいつも父の鉄板料理で

お好み焼きとたこ焼きと焼きそばが我が家ので定番でした。

学校から買えるといつもソースの良い香りがしていたのが懐かしいです。

何気ない朝の風景 watena2010/06/21 01:50:03

眠い目を擦って起きていくと、もうテーブルには父の姿。母は台所でトントンと朝食作り。新聞を広げ、うまそうにお茶をすする父。ほら早く顔を洗ってらっしゃい遅刻するわよと言いつつも、何となく声が楽しそうな母。洗面を済ませてテーブルに座ると、炊きたての香り良いご飯が目の前にトン。こんな何気ない日常の朝が、私の好きなイエの光景です。


健康に恵まれ、職場や学校に何の問題もなく通えるからこそ、毎日毎日当たり前のように巡ってくるこの風景。これが一時期壊れてしまったことがありました。子供の頃の話ですが、私はちょっとしたことが原因で、不登校に陥ってしまったことがあったのです。一度そうなってしまうと、朝布団から出ることからして恐くなってしまいます。起きなければ、学校に行かなければと焦れば焦るほど本当に頭が痛くなったり、息苦しくなったり、体が重くなったりして、起きあがることが出来なくなってしまうのです。父が出かけ、時計代わりにつけられていたテレビの音がしなくなると、あと少しで登校してもどうせ遅刻という時間が訪れます。そうなると急に体が軽くなって、起き上がれるようになるのです。


両親はそんな私を、静かに見守っていてくれました。着替えて部屋に行くと、母が、どうする?今日は行けそう?と声を掛けてきますが、私は、もうこんな時間じゃ気まずいから、と言い訳をします。それをダメと否定しない母。しかし、朝の活気が一人分失われた家の中は、とても暗いものだったと思います。


幸い新学期を期に再び登校できるようになりましたが、しばらくはまだ不安定な日が続きました。それが乗り越えられたのは、毎朝幸せな気分を運んでくれる、あの朝の光景だったのではないかと思っています。うまそうに茶をすする父。何だか声が楽しそうに弾んでいる母。そんな両親に誘われて早起きできる自分。精神の安定には、早起きが効果的です。その大切な朝起きるという力を、こうした当たり前だけれども幸せな光景が引き出してくれました。


朝を爽やかに始められるという幸せ。笑顔で「行ってきます」と言える幸せ。この毎朝巡ってくる当たり前の光景が、何より嬉しく有り難い、私の好きなイエの光景です。

昼寝風景 ミケ2010/06/21 01:14:37

どこも同じかしら?と思いつつ^^

うちの子たちは寝相が悪いです。


 息子は私がジャマで 寝ぼけて蹴りながら 泣くし。

娘は寝返りして 壁にぶつかったり手足が体の下にはさまって泣いて起きたりします。


 今日も娘が寝返りしすぎて壁にぶつかって布団と挟まって

動けなくなって泣いたので あやしに行っていました。



    しばらくして、ふと見ると・・・・・・


 隣に寝ている旦那と息子と娘、右手を上げて、左足を軽くまげたまったく同じ格好で寝ていました。



 なんだか幸せで、微笑んでしまう光景です。

父がイキイキするお好み焼きの光景 momokuri32010/06/21 01:03:00

わが家のスペシャルイベントに、お好み焼きがあります。父はお好み焼きをこよなく愛する人で、焼くのも食べるのも大好きですから、お好み焼きをしようと決まった休日は、とてもハイテンションです。


父は若いころバンドをやっていて、当時日本のブルースバンドのメッカといわれていた関西でもよく活動していたそうです。そこで憶えたお好み焼きの味を再現するのが父の楽しみなんですね。


「まずは練りこみやでぇ」

怪しい関西弁です(笑)。練りこみとは混ぜ焼きのこと。生地に具や卵を混ぜ込んで焼く形式のお好み焼きです。

「練りこみのうまさは焼き上がった切り口で分かる。どうかな。おー、大成功だ。見ろ」

見ろと言われても、どうなったら成功でどうなったら失敗なのかてんでわかりませんが、父が焼いてくれるお好み焼きは、たしかにおいしいのです。私も大人になって、本場関西のお好み焼きを食べる機会が何度もありますが、父の焼いてくれるお好み焼きはそれに勝とも劣りません。


焦げるソースの香り。ひらひらと踊るカツオ節。これは本当に楽しい光景でした。そして何よりお好み焼きは話が弾みます。みんなの顔から笑顔がこぼれてきます。私はこの楽しいイエお好み焼きが大好きでした。


ある時友だちにこのことを話したら、ぜひ食べてみたいから今度やる時は呼んでくれと言われ、5人も大挙して家に押しかけてきたことがありました。この時の父の張りきりようと言ったらありませんでした。


「よし、何から焼こうか」

「肉の入ったやつ」

「肉か。最近は豚玉とか流行りだけど、ずっと昔はお好み焼きで肉と言ったら牛肉のことだったんだ。それでやってみるか?」

「うん!」

「賛成!」

「うまそう!」


もう、具から蘊蓄までありったけを出し尽くして大奮闘の大サービスでした。友人たちも、もう食えないというほど食べに食べまくった挙げ句に焼きそばまで平らげて、大満足をして帰ってくれました。ある意味これは父のライブ。ギターをお好み焼きのテコに持ち替えて、観客を沸かせたすてきなステージでした。


こんなイエお好み焼きは今でも続いています。相変わらず父は大張り切り。今でも時々あの頃の友人が、お前の父ちゃんのお好み食いてぇよとやってくることもあります。私はいつか、昔のロック喫茶のようなお店を開いてみたいという夢があります。が、こんな父を見ていると、親子でやるロックお好み焼き屋もいいなぁと思ってしまったりします。70年代のブルースとソースの香りが漂うお店。完全に父のテイストですが、それも悪くない夢だなぁと思ってクスッとしてしまう私です。

ベランダの想い出 むっしー。2010/06/21 00:43:26

私もベランダには、たくさんの想い出があります。


 母が晴れた日には朝早くから洗濯物を干していて、

ベランダで風になびく洗濯物を見ているのがとても好きでした。

家族の服が一本の竿に並んでいるのがなんともいえぬ幸せを感じていました。

 春~初夏にかけてはベランダ菜園もしていて、ミニトマトやネギや大葉など簡単なものでしたが、

収穫するのは私の仕事で、食べ頃を見極めるのが難しく、トマトが色づき始めた頃には

しょっちゅう見て触って収穫時をいまかいまかと待ちわびていました。

 高校時代の夏の夜には星を見たり、CDプレーヤーを片手に一人チャゲ&飛鳥の歌を聴くのが好きでした。

歌を聴きながら、片思いの恋や将来について色々考えたものですw

 そんなベランダの一番の思い出は、雪がとっても沢山降った中学一年の冬

ベランダに積もった雪でお盆に大きな雪ウサギを作ったこと。

 最初は何をやっているんだと笑っていた両親や弟も

目には小豆を、耳用に笹の葉はないが、代わりにバランを切って笹の葉型にしてくれたり、

 普通はつけないヒゲも、爪楊枝でつけてみたら、なんだかウサギよりはネズミっぽくなってしまいましたが

家族で作った雪ウサギ

珍しく弟がはしゃいで写真を撮ろう!と言い出して寒~いベランダでパチリ

 お盆のウサギは翌朝には溶けてしまいましたが、その思い出は今でも暖かく想いだされます。

障子 seek41582010/06/21 00:13:13

そういえばありました!

ほんの少し陽がさしてるときの障子って趣きありますよね。

いろんな思い出が蘇ってきます。

祖父と過ごした夏の光景 Catnip2010/06/20 21:43:48

短期間ですが、わが家に祖父が滞在していたことがありました。祖父は見るからに厳格な雰囲気で、近寄りがたい感じの人だったので、その祖父としばらく同じ屋根の下と聞いて、私はかなり緊張していました。ところがです。一緒に暮らしてみると見かけとは全然違って、優しくて面白くて、私の知らないことを何でも知っている、素晴らしいおじいちゃんだったのです。私はすぐに祖父の大ファンになりました。


今でもわが家には、そんな祖父の思い出につながる場所がたくさんあります。リビングの掃き出し窓の下には、祖父が瓶ビールのケースを置いて板を渡した、即席の濡れ縁がありました。そこで食べたスイカの美味しかったこと。祖父と種の飛ばしっこをしましたが、私はプッと吹いてもなかなか種が飛びません。

「なんでおじいちゃんそんなに上手なの」

「なぜかな、小さい頃から歯を大切にしてきたからかもしれないな。ほれ全部自分の歯。この年になっても一本も入れ歯がないんだぞ」

この日から私は、きちんと歯磨きをするようになりました。


祖父は何かの用事でわが家に滞在していたらしいので、昼間はほとんど不在でしたが、何も予定がない日には私の夏休み工作なども手伝ってくれました。というより、祖父は祖父で別の工作に熱中していたというのが本当なのですが。

祖父は日曜大工程度のわずかな道具を駆使して、すごい御神輿のミニチュアを作ってしまいました。祖父は子供の頃、模型作りが大好きだったそうです。しかも時代が時代ですから、素材は木。パーツも一から手作り。学校で借りた本を見ながら、御神輿だの、お城だの、船だの飛行機だのと、様々な模型を手作りしては楽しんでいたそうです。その時の立派な御神輿のミニチュアは、今も私がその時作っていた工作と並べて飾ってあります。


柱の傷はおととしの…という歌がありますが、それと同じような印が、わが家の壁にも残っています。壁の角になった部分に、よくよく見なければ見つけられないような、小さな小さな印が二つ付けられているのです。それは、祖父と私の背の高さの印です。

お前がここ、おじいちゃんがここ、お前がここを越す時、おじいちゃんはまだ元気でいられるかな。

そんな言葉に私は少しべそをかいて、当たり前だよ、ぼくはすぐこれを追い越す、おじいちゃんも長生きしないと追い越し返せないよ、なんて言っていたのが昨日のことのように思い出されます。


祖父とこのイエで過ごしたのは、三週間にも満たない短い間の出来事でした。しかしその記憶は、今でもこのイエの中にたくさん刻まれています。祖父が置いてくれたビールケースの濡れ縁があった場所には、今は私が作った濡れ縁が置いてあります。今年の夏もそこでスイカを食べることでしょう。今はかなり上手に種が飛ばせます。

ベッドがあった窓辺 Fuel2010/06/20 18:10:38

父母の寝室は二階ですが、一時期、一階の窓辺にベッドが移動されていたことがありました。長く体調を崩していた母が、それを使っていたんです。具合が良くないといっても、やはり主婦としてはイエの中が気になるもの。どうしても無理をして起きあがって、色々仕事をしたくなります。いいから寝ていろと言っても聞いてくれないので、それなら少しでもイエの中が見渡しやすい位置にと、リビングの続きの部屋にベッドを持ってきてしまったわけです。


もう何々が無いでしょう、悪いんだけど帰りがけに買ってきてくれる?

へいへい。

洗濯物たまっちゃったねぇ、悪いんだけど。

へいへい。

明日はいいお天気だって。あなた休みでしょう?お布団干してくれない?

へいへい。

何々の花、そろそろ終わりかけの花を摘まないと来年よく咲いてくれなくなるの。

へいへい。

このベッドが、わが家の家事の司令塔になりました。


具合が悪いといっても極端に深刻な病気ではなく、寝たり起きたりといった感じでしたから、ベッドに伏せりっきりだった期間はそんなに長くはありませんでしたが、それでもそんな時期は、母が眠ってしまうとテレビの音すらイヤホンで聴くような気の使いよう。キッチンでもあまりガシャガシャ音を立てたくないので、父と二人、カップラーメンで夕食を済ませたりしていました。が、母が目を覚ましてカップラーメンの匂いがすると、

「あなたたちまたそんないい加減な食事を」

と叱られてしまうのです。ふ、不条理な(笑)。


父はよくこのベッドで、母の体を拭いてやっていました。私にもやって出来ないことはありませんが、母親と息子ではお互い気まずいですからね。こういう看病は父の独擅場です。大変だねぇと父に言ったら、これは世界中でお父さん一人しかできないことだからなと、逆に嬉しそうだったのが印象的でした。今になって思うと、病気という困難も結びつきの強さに変えてしまう、愛というものの偉大さを感じます。私はいい両親に育てられました。


今、そのベッドがあった窓辺には、傍らに置かれていた小さな椅子だけが残されています。ベッドを二階に戻した後、何となくそのままになっていたものですが、今はすっかり元気を取り戻した母が、時々そこに座って外を眺めていることがあります。


「ここから外を見てるとあの頃を思い出すのよ。みんなにいっぱい迷惑をかけちゃったけど、こんなにも家族に恵まれたイエに暮らしてるんだなぁって、ここに座ると実感できる。だからね…」

「だから?」

「あんたたちが憎たらしく思えてきたら、ここに座って気持ちを落ち着けるのよ(ニヤリ)」

「ひぇぇぇぇ」


私も、時々その椅子に座って読書などをすることがあります。あの頃もよくこの椅子に座って、母のベッドの横で本を読んでいたなぁと思い出します。父がコーヒーを淹れて持ってきてくれました。床の上にあぐらを掻いて座った父が、あの頃も懐かしい思い出だなと言いました。困難も結びつきの強さに変えてしまう愛という偉大な輪の中に、私も入っているんだと実感できるひとときでした。

障子 twillco2010/06/20 15:21:14

昔はよく障子に穴をあけるのが楽しくて遊んでましたね。

いけないことだとは分かってましたが、いけないといわれるとやりたくってやりたくって・・・。

母になってみるとその大変さがよくわかりますね。

コタツ dacks12010/06/20 12:06:54

休みの日など、家族みんながなんとなく集まってコタツにあたってました。

誰かが立ち上がると、「ミカン持ってきて」「ちょっとゴミ箱こっちに寄せてくれる?」といろいろ頼まれてたのも、今思えば微笑ましい。。。

twillco2010/06/20 10:31:38

我が家もまだ新しいので畳の良い香りがしています。

そこでごろごろお昼寝をしていると

とっても癒されてつい時間を忘れてしまいます。

日本のいい文化ですよね。

観葉植物 twillco2010/06/20 10:29:46

部屋にみどりがあるというのは涼しげにもなりいいですね。

我が家には、雑貨屋さんで買った小さな観葉植物があります。

お値段も500円以内で買えてとってもお値打ち。

部屋にあわせて色々な形もえらべていいですね。

父母の祈りの姿 TomCat2010/06/20 04:26:19

私の好きだったイエの光景。それは食卓での、父母の祈りの姿でした。何の宗教とも全く関わりを持たないイエでしたが、食前食後には必ず手を合わせる。それが私の父と母のならわしだったんです。どちらが先にそういう習慣を持っていたのかは分かりません。父方の実家も母方の実家も全く宗教とは縁がないイエでしたから、もしかしたら結婚して家庭を持ったその後に、何か思う所あって二人で話し合って始めた習慣だったのかもしれません。

 

天地の恵みに感謝してから箸を取り、箸を置いた後も同じように手を合わせる。この時必ず二人とも、静かに目を閉じるのです。この姿がとても印象的でした。

 

父はいつも言っていました。神様っていうのは願い事をする対象ではないと。人がこの世に生まれる前から、生きるために必要な物を全て揃えていてくれた。それが神様。その与えられた恵みに感謝することが祈り。

 

もちろん祈りの中にはお詫びもある。人は生きている中で、やむなく、あるいは知らず知らずのうちに、天地の恵みの源泉である自然を損なってしまう。それを詫びて、少しでも自然のあり方に沿った生き方暮らし方をしていこうと心新たにすることも必要だ。

 

こうやって感謝とお詫びに終始していたら、個人的な願い事なんて入る隙間はないだろう。願い事は自分の未来に向かってするものだ。自分のためではない誰かのための祈りなら、その人の未来に向かって。そのための生きる力なら、神様は祈る前から準備していてくれると。そんなことを。

 

しかし、毎日の食事にそんな難しい話はありません。

「今日はご馳走よー」

「わあ、すごい」

「これはうまそうだ」

わいわいわいわい。

それが一瞬にして静寂に変わります。父母が目を閉じて、静かに手を合わせています。私も慌てて手を合わせます。そう躾られたわけではありません。私の父母はそういうことをあまり押しつけないタイプだったんです。でも子供は、親のすることを真似ますよね。教えられて身に付いた習慣ではなく、父母の姿を見て真似始めた習慣だったからこそ、今でもこんなに印象深いのかもしれません。

 

とにかく私も、そんなふうにして一緒に目をつぶって、手を合わせます。フッと空気が動いた感じがして目を開けると、さ、頂きましょうと母の声。みんなせーので「いただきまーす!!」。あとは談笑をしたりテレビを見たり。普通の食卓風景です。

 

私達の家族は、外で食事をする時にも、これをやっていました。外で他人と違うことをするのはちょっと気恥ずかしい感じもありましたが、いつもの習慣なので、手を合わせてから食べないと、なんだか落ち着かないのです。おそば屋さんでも合掌。ラーメン屋さんでも合掌。親子でドンブリに手を合わせている姿は、他の人にはさぞ奇異に見えたことでしょう。でも、それがまた家族の結びつきを実感させてくれるのです。こんなわが家の特別は、子供心に、ちょっと誇らしくもありました。

 

父母を亡くしてからしばらくは、この習慣が途絶えていました。でも、自分で料理をするようになってから、いつの間にか自然に復活していました。今は料理をする前にも、食材を通して天地の恵みに感謝するのが私のならわしです。こうして作った料理を食卓に運ぶと、懐かしい父や母と一緒に食べている気がするのです。食卓に、大好きだった在りし日の光景が蘇ってきます。

金魚 mika10012010/06/20 00:08:19

我が家の金魚は、どんどん増え、水槽も1つから2つになり、もう、これ以上増やさないで!!というくらいになってしまいました。まぁ、私は、ノータッチなのでいいんですけど・・・。たいして、きれいでもないし、なついたりしないし、あまり、ペットって感じじゃあないんですけど、息子は、よく、うれしそうにえさをあげています。どこが、いいのやら・・・???

観葉植物 mika10012010/06/20 00:01:10

うちもパキラも、もう、10年も元気でいてくれてます。

他の観葉植物は、みな、すぐに枯れてしまうのに、不精な私でも育てられる、頑丈な植物です。やっぱり、部屋に、グリーンがあるのって、いいですよね。

草むしり mika10012010/06/19 23:57:46

たまーに、子供と草むしりをします。

そういうときって、とーっても、張り切ってくれます!

草むしり adgt2010/06/19 22:47:15

母や祖母と草むしりをしながら色々な話をしていました。ああいった作業は何気ない会話を促進してくれて、コミュニケーションの機会になりますね。

映像・ビデオ adgt2010/06/19 22:45:34

撮影された昔の家族の映像は、何気ないのだけれどなんだかウルッときてしまう。亡き祖父母や、変わってしまった風景はなんとも切なさを感じさせる。

庭の緑 adgt2010/06/19 21:31:03

実家は相当に田舎だったので、祖母が庭で花を育てていました。生活に緑があると心が落ち着くと最近になって分かるようになってきた。

お弁当作り!! CandyPot2010/06/19 20:08:31

家族でドライブが大好きな父。でもそれ以上に、お弁当が好きなのです。今度の休みにどこかに行こう。そう決まると、出かける先よりも、お弁当の内容を決める方が重要課題になります。この前はお握りだったから、今度はサンドイッチがいいかな、いや、お重に一杯のおかずを詰めて、いやいや先日買ったランチバスケットも使いたいし…。などと、父の頭の中はもうそっちで一杯のようです。子供もお弁当は大好きですから、どんなお弁当になるかとわくわく。母はもう勝手にしなさいモードです。


はーい、勝手にしまーす。土曜日、母からお金を受け取って、父と私で買い出しです。お握りでもサンドイッチでもウインナは必需品だよね、それを言うなら唐揚げも、そういえばしばらくおいなりさんしてないよ、じゃあおいなりさんと海苔巻きで助六だ、おいなりさんの中はごもくごはん、よーし海苔巻きも太巻きだ。色んな相談をしながら買い物をするのも楽しいひととき。家に帰るとさっそくお弁当作りの準備に取りかかります。


ここで勝手にしなさいモードの母が登場。油揚げ煮てあげるわよ、辛口好きのお父さんにも甘口好きの○ちゃんにもおいしいって言わせられる油揚げはお母さんしか作れないんだから、なんていいながら。


私と父は、お弁当の入れ物や水筒などの準備。ねぇ飲み物何にする?お茶がいいな、あったかいの?やだー冷たい麦茶がいいよー、麦茶切らしてるわよ、お買い物行くー。あ、お弁当に欠かせない卵買ってくるの忘れてない?、そうか卵も切れてたんだっけ、などとまだバタバタが止まりません。その間に母は手際よく五目おいなりさんの具の調理までしてくれています。結局大事な所はみんな母に任せっきりで前日は終了。明日は早起きです。だってお弁当作りがあるんですもの。


翌朝はみんな早起き。お弁当作り本番です。私はタコさんウインナ作り。これは毎回やって慣れてるから任せて。あはは、ウインナ一袋全部タコにしちゃった。フルーツも切ります。ほんとはオレンジとか食べる直前に切った方がおいしいんだけど、お弁当と一緒に入ってないとつまらないんです。はい、卵焼きも任せて。おさとういっぱい入れたりする~。え?だめなの?お父さんたら好き嫌いしちゃいけません、あまーい卵焼きを食べなさい!


なんてわいわいやりながらのお弁当作り。どんな場所に行くことよりも、この時間が楽しい時間。ここから後のドライブは、おまけみたいなもんです。だから、今日は東京の奥地、奥多摩まで行くぞーなんて意気込んで出かけても、途中で道が混んでいるとわかると、「目的地、奥多摩湖から奥を取って多摩湖に変更」「最悪の場合、多摩湖から摩を取ってタコもあり~」「道端に車を止めてタコさんウインナでお弁当~」「お~」なんていうことも多々ありました。それでもいいんです。みんなでお弁当を作って、それを持って出かけるだけで楽しいんですから。


こんなお弁当作りを何回やったでしょう。でも、まだまだ父も母も私も飽きていません。いつか私も結婚して両親とは別々に住むことになるでしょう。でもこれを、もう戻ってこない昔の思い出の光景にはしたくありません。私のダンナ様になってくれる人は、この楽しいお弁当作りに参加してくれることが必須です。私とあなたのイエでも、私の実家でも、ね(はぁと)。

なーんて非現実的な夢を見るより、明日のお弁当作りだわ。明日はどんより曇り空になりそうなので、どこにも出かけずイエでドライブごっこの予定です。

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