平地に見える小山の成立についての質問です。

枡形山や浅間山、二ノ宮山などの[周りにほぼ平地があって、ぽこっと小山が飛び出しているところ]の、地形の成立について教えてください。

周りの平地の地質(?)の成立の時期と、山の中身ができた時期は、山の方が遙かに古いのでしょうか。

地盤が浸食などで削れただけでは、山頂だけが平地に飛び出るのではなくて、山地でよく見かける谷ができてしまうと思います。平地に山がせり上がる溶岩ドームのようなことは考えにくいし、褶曲でもないと思います。山間部(V字谷や緩やかな山間)に砂礫土砂が堆積して山頂だけが残ったのだろうと思います。

流れてきた砂礫土砂が埋める前の地形は山地のようなもので、その付近の高低の標高差の70%が埋まると、そんな形になるのかなと想像します。

現在小山が所々飛び出している平地部分の堆積土砂を取り除くと、元の山地地形が見えるのかしらと思うのです。
Yahooの地図で、東京都西多摩郡奥多摩町を表示させ、縮尺カーソルを市町の中間に置き、写真モードで表示させたような地形が、堆積した土砂を取り除くと現れるのでしょうか。

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ベストアンサー

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suppadv回答回数3552ベストアンサー獲得回数2682010/06/18 18:31:46

ポイント60pt

隆起と浸食と堆積が組み合わさって出来たと考えられています。

ここに判りやすく説明がありますので、参考にしてください。

http://inaginanzan.k-server.org/tamakyuuryoutisou.html

id:hathi

ありがとうございます。

これはすごくわかりやすいです。 http://inaginanzan.k-server.org/tamakyuuryoutisou.html

この説明だと、緑の上総層がなだらかに傾斜した平坦な面を作り、その後隆起して東側が海の中で砂礫を堆積させ、西側は陸で河原で礫を堆積させ、その後全体が関東ロームで覆われ、さらにその後で多摩川や相模川や支流が浸食して、現在のような丘を丘陵のように残したとなります。

単純に言えば、最後の段階で河川や関東ロームが堆積させた堆積物を除去すれば、平地が現れ、谷などは出てこない。と言うことでしょうか。

秩父山地の隆起&関東平野部の沈降が起きたのが200万年前で、その結果、関東平野部の土地(それがどのような凸凹だったのかを問題にしているのですが)が海中に没して、堆積が始まったのだそうです。

 各地域別の形成地層と年代の表がありました。

  http://www1.tecnet.or.jp/museum2/images/c03d.PDF

 下記のP5にある三浦層という名称は上総層の誤りのような気がしますが

 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/shisei/kekaku/chikibousai/TiikiBo...

 三浦層=100万年以上前の層(上総層&三浦層を総称している)と理解してP7~P11を見ると、

 三浦層の上面の高さが非常に凸凹しているように見えます、P10の柱を見ると、ごく近い場所なのに地層の境の高さがかなり違います。

 P9の三浦層上面の等高線を見ると浅間山は三浦層の山です。

枡形山の上総層が海抜40m点では出現しているように見えます。生田付近で海抜40mが上総層形成後海中から陸地に浮上した平面であって、上総層形成後の浸食や堆積はそれ以降となります。枡形山の周辺は海抜30m以下で関東ロームもかなりの厚さで存在しているとすると、これで、つじつまは合うのでしょうか。

高低差が200mあってもその間が2kmならば10%の勾配ですから、山谷がある感じではないですね。

上総層の上面は比較的平坦な地形で、所々数十mの山が飛び出ている程度というところでしょうか。

秩父山地の隆起&関東平野部の沈降が起きたのが200万年前と言うことは、上総層の下面・三浦層の上面の境辺りが、この隆起/沈降前の地形と思えます。

ここに広域地図ですが、地層面の等高線図(等深線図)があります。

 上総層の上面はなだらかな面に見えます。

http://www.j-shis.bosai.go.jp/j-map/result/tn_261/html/html/fig3...

 下図は上総層の下面(三浦層の上面)で、上総層の上面よりは複雑で急傾斜が多く、

 上図は三浦層の下面(三浦層の基底面:新第三紀の上面)でもっと複雑で急峻です。

問題にしているのはもっと狭い地域での山谷凸凹が深い地下の地形にあるかどうかです。

http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/23/pdf/23_2_3.pdf#search='多摩丘陵 地質'

 の中で『上総層群の構造』について『上に述べたような上総層群の堆積相の分布は,上総層群の地質構造とも深く関わっている.地質図に示されているように,本地域東部の溝口から西南西方向に半盆状の向斜構造(溝口向斜)が地質構造としては特徴的で,向斜軸を境に北実の地層は東北東ないし南東に傾き,南翼では北あるいは北西に傾いている.地層の層厚は,向斜軸の北側に厚い傾向がある.また,鶴見川上流部の渕野辺から鶴川の北を通り,百合ケ丘を結ぶ線を境として,北側では東北東傾斜であった地層が南側では東南東傾斜とわずかな変化をみせる.この線は溝口向斜ほど顕著ではないが,これを境に北側では砂質層からなるのに対し,南側では泥質層となり,かつ厚さも急に厚くなる.

つまりこの構造は,既に地層の堆積時から存在していた構造であり,三角州の底置層として堆積した上星川層や鶴川層の一部は,構造的に沈降しつつある海底に累積していった可能性がある.』

地層の構造を作った原因を、褶曲、向斜としていますが、かなり深い落ち込みを想定していると思います。

 http://www.geocities.jp/horiuchihiroe/tishitu/tishitu09/i_r09122...

 ここでは水平距離が読めませんが、堀之内タフが400mくらいは落ち込んでいますので、堀之内タフの下面が400m級の高低差を持っていたことを示していると思います。

 平山層、大矢部層などの上総層の下部になると、もっと凸凹が強いのかもしれません。

 そうすると、

  上総層の上面まで露出させて眺めると、緩やかな起伏で所々に小高い部分がある景色になる。

  上総層の下部を170~200万年前まで露出させると、相当に急峻な高低差のある地形・景色になるのでしょうか。

2010/06/19 00:15:11

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