1279083115 【イエはてな】"ディア・ライフ" #003


THEME:「一枚の写真に焼きつけられた、わが家の小さな物語」

“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!

*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!

「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731

テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20100714

※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は7月20日(火)正午で終了させていただきます。

回答の条件
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回答(115件)

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写真館。 nakki13422010/07/20 10:09:47

家族で写真館に行き

写真を撮ったことはなかったですね・・

どうしても自分、写真をとってもらうと

変な顔になってしまうので

 見るたびに嫌になるんですよね・・

(赤目になってしまったり・・)

プロが撮ると

いい顔できる気がするんですけどね・・

(もう、この年になると家族そろって

写真を撮りに行くのは、気恥ずかしいので

嫌なのですが)

雪が降った日の写真 r-zone2010/07/20 09:38:51

我が家は雪国だったので、家族写真の3分の1は雪に埋もれてますww

逆に海に言ったときの写真が我が家では貴重で

綺麗な海で撮った写真は大切にしています。

ペット nakki13422010/07/20 07:54:39

事情が違いますが・・

私の住んでる家にも猫ですが

ほんのわずかな間ですがすんでる時がありました

一枚も写真がないのでどんなな猫だったのか

もう忘れてしまったのですが・・

懐かしい思い出です

(一枚くらい、写真があったらなあ・・)と思いますね

家族写真 inio2010/07/20 02:17:58

家族の写真は中々取る機械が無くて、全員揃っているものは本当に貴重です。今思えばもっといっぱい取っておけば良かったと思います。

兄弟の写真 inio2010/07/20 02:16:41

弟と純粋な顔で手を握っている自分の写真などみているとチョット恥ずかしくて、でもあいらしく感じます。小さな頃の無邪気な中のよさって一瞬だけれど大切ですね。

ペットの写真 inio2010/07/20 02:14:58

残っているペットの写真はすごく大切な宝物になります。ペットの寿命は短いので、形として残るものがあるというのは有難いです。

懐かしいイエの庭のニシキギの写真 C2H5OH2010/07/20 00:10:35

私は物心が付くか付かないかの頃に、一度引っ越しを経験しているそうです。普通なら記憶に残らないはずのそのイエの、特に庭の様子を、私はハッキリと知っています。それは、庭いじりが好きな母が、四季折々の庭の様子を克明に写真に納めていたからでした。それを見て、私は自分が生まれたイエの様子を、記憶に刻みつけることが出来たのです。


家の前は広い空き地になっていて、庭との間は生け垣で区切られていました。生け垣といってもまばらに木が植えてあるだけで、ほとんど竹垣といった感じです。でもその見通しの良さがとてもいいのです。


特に印象的な一枚は、庭の一角に植えられていたニシキギの写真でした。真っ赤に紅葉したニシキギ。

「きれいだねぇ。」

すると母は、もみじの歌の二番を歌ってくれました。

渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉

波に揺られて 離れて寄って

赤や黄色の 色さまざまに

水の上にも 織る錦

(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)

「この歌が出来たのは明治時代。でもきっともっと前から、ニシキギは山の錦と呼ばれていたと思うよ」

このやりとりもまた、子供心に印象的でした。


しかし今のイエの庭には、ニシキギがありませんでした。そこで私はニシキギを植えようと思いたちました。どこでニシキギが買えるのかも分からない子供でしたが、友達に聞いて回って、なんとか売っているお店は突き止めました。でも毎月決まった小遣いをもらっていなかった私には、すぐに買える値段ではありませんでした。


お正月を過ぎ、お年玉で懐が温かくなった私は、さっそくニシキギの苗を買いに行きました。新春セールで、通常の値段よりずっと安く買えたようでした。意気揚々と自転車を漕いでイエに帰り、庭にいた父に「これ植えてくれ」。

「どうしたんだこれ。」

「お年玉で買ってきた。」

それを聞いた母が、「ぷっ、なんていうお年玉の使い方をするの」と吹き出していましたが、「お母さんへのプレゼントだよ、この木好きなんだろう」と言うと、最高のお年玉よと喜んでくれました。


植え付けが終わったニシキギの横に立って記念写真。これも懐かしい一枚です。今もそのニシキギは、秋になると真っ赤に紅葉して、庭を美しく彩ってくれています。

一週間だけの家族だった犬の写真 momokuri32010/07/20 00:00:42

ペットとはあまり縁がないわが家ですが、ほんの一週間ほど、家族として過ごした犬がいたんです。それは私がまだ小学生だったころ。わが家の庭に迷い込んできた小型犬でした。よく人になれていましたので飼い犬には違いありませんが、首輪がなく、飼い主を探す手だてがありません。母が交番や保健所に電話をして、それらしい犬を探している人はいないか聞いてくれましたが、そういう届け出はないとのこと。しばらくわが家で面倒を見ながら飼い主を探すことにしました。


その夜、帰ってきた父と一緒に飼い主探しのポスター作り。翌日は土曜日で父も私も休みでしたので、犬を連れて散歩がてら、あちこちにポスターを貼らせてもらいに歩きました。行く先々で聞き込みも行います。

「この犬なんですが、心当たりありませんか」

しかし有力な情報はなかなか掴めませんでした。


犬の方はとても私に良くなれてくれて、たった二日一緒に過ごしただけで、もう十年も一緒に過ごしているような仲良しになりました。翌日の日曜日も聞き込みとポスター貼りを兼ねて犬と一緒に歩きました。途中、同じく犬を散歩させている人と出会います。お互い引き綱を短く持って、会釈をしながらすれ違います。その犬はとてもいい子で、けっしてよその犬とうなり合ったりすることがありませんでした。私は自分でしつけたわけでもないのに鼻高々。帰ったらご褒美においしいおやつをあげるよと声をかけると、うれしそうに跳ねるポーズをします。もうこの犬がかわいくてたまりませんでした。


翌日の夕方、ハッと気が付いて、犬を自由に歩かせてどこに行くかを観察してみようと思い立ちました。もしそれで本当の飼い主の家がわかったら、それは犬にとってはとてもうれしいことですが、私にとってはとても悲しいことになります。私は実行を迷いました。もうこの犬を手放したくない、飼い主なんか見つからない方がいい。そういう思いと、いやいやこんなにかわいい犬のことだ、飼い主はすごく心配しているに違いない、それにこの犬にとっても元の家に戻れるのが一番の幸せだ、そういう思いが心の中でぶつかり合いました。


やっと決心が付いて立ち止まり、引き綱をゆるめたのですが…。犬はぴったりと私の真横に着いたまま、一歩も動かなくなりました。この犬は、絶対に人間の先を歩こうとしない犬だったんです。帰宅した父にそのことを話すと、それはとてもよくしつけられた犬の証拠だ、犬のしつけはまず飼い主を敬うことから始めていく、飼い主を敬う気持ちが育った犬は、絶対に先頭を歩こうとはしないんだ、先頭は群れのボスの位置だからねと教えてくれました。

「しかし、そんなによくしつけられているとすると、ますます捨てられたっていうことは考え難くなってくるな。飼い主探し、頑張らないとな」

私は複雑な気持ちで、うんと首を縦に振りました。


その日から、父も母もことあるごとにカメラを構えては、犬と私の写真を撮りまくってくれました。短い間しか一緒に過ごせないこの犬との思い出を、たくさん残してくれようとしたんでしょう。結局次の土曜日に電話が鳴り、飼い主さんと連絡が付きました。私は犬を抱きしめて泣きました。別れの辛さと、家に帰れるんだよ良かったねの涙が一緒になって、もうすぐ飼い主さんがやってくる時間になっても、なかなか泣きやむことができませんでした。


飼い主さんが、私とほぼ同年齢の女の子を連れてやって来ました。女の子は犬を見るなりわんわん泣いて、さっきの私と同じように抱きしめていました。本当の飼い主だ。犬もあんなに嬉しそうだ。ちょっとそのことが喜べる心の余裕が生まれてきました。でも、よかったね、これでお家に帰れるねと犬を撫でると、私も涙が止まらなくなってしまいました。二人の子供の大泣きが続きました。


しばらくして、写真が出来上がってきました。犬の表情、しぐさ、一つ一つに、思い出が込み上げてきました。さらにしばらくして、飼い主の家の女の子から、犬の写真が同封された手紙が届きました。犬は優しい家族に囲まれて、とても幸せそうでした。その写真も大切な思い出の一枚です。

従兄が撮ってくれた告別式の写真 Catnip2010/07/19 22:38:16

父が突然、この世を去りました。何が起こったのか噛みしめることもできないまま、葬儀の準備が始まりました。母が喪主ということになっていましたが、あまりのことに母は駆け付けてくださった人々に黙って頭を下げるのがやっとの状態。喪主としてのほとんどを、私が代行することになりました。


冠婚葬祭と言いますが、予め丁寧な準備をして行う結婚式などと違って、たった数日で全てを行わなければならない葬式は、信じられない忙しさです。いったい自分は今何をしているんだろう。そんな判断も出来なくなりかけるほどに、私も心身共に衰弱しきってしまいました。


そんな時です。子供の頃から兄のように慕っていた従兄が駆け付けてくれました。そして、

「お前の父上は稀に見る立派な人だった。俺がその別れの様子を全てカメラに収めてやる。お前は今、忙しすぎて泣く余裕もないだろう。だから俺の撮る写真を見て、あとで落ち着いてからたっぷり泣け。あれほど立派な人との別れに涙する時間もないとしたら、それはお前にとって大きなマイナスだから」

と言ってくれたのです。


式が終わった後、私の所に、たくさんのプリントとネガが届けられました。アルバムには、時系列で式の様子がまとめられています。私の知らなかった、忙しすぎて見えていなかった式の様子が、克明に記録されていました。それを見て、やっと心からの涙が込み上げてきました。


母が、一緒に見せてくれと言いました。母の心に再び悲しみが押し寄せることを心配しましたが、親子で共に悲しむなら大丈夫だ、一緒に悲しむなら、あとで二人で手を取り合いながら元気を出すこともできると思い、写真を渡しました。母はやはり号泣していましたが、お前のお陰できちんとした式が出せた、最後にいい親孝行が出来たねと言ってくれました。


今もその写真は大切に保管してあります。今は開くこともないアルバムですが、アルバムの背を見るだけで、父の後を継いでしっかり母を支えて生きていこうという気持ちにさせられています。

ぎょ!心霊写真?!でもそこから生まれたご先祖様との絆 Fuel2010/07/19 22:08:00

数年前のお盆の帰省の時、お墓参りの後で撮った記念写真。デジカメでしたので、PCのない親戚の家にはプリントしてお配りすることにして、すぐできますよと地元のコンビニでプリントアウトしたのですが、なななな、なんと、親戚一同が並んでいるその上に、虹のような光が写り込んでいるではありませんか。


おかしいなぁ、集合写真のセオリー通り撮ってたからハレーションなんか起こるはずがないのに、と思っていたら、親戚一の長老格のおじいちゃんがその写真を見て、涙を流さんばかりに感激して、こう語ってくれました。


その昔、村が干ばつで苦しんでいた時、夢の中にご先祖様が虹に乗って現れて、子孫の善徳のおかげで下の方に落とされていた身内もみんな救われて、これから揃って天国に行くところなんだ、お礼に明日虹を出すから空を見ていてくれ、と言ったそうなのです。虹が出るということは雨が降るのかと待っていると、雲一つ無かった空がにわかにかき曇り、滝のような豪雨。すっかり田んぼが潤うと、サッと雨が上がって、美しい虹が空にかかったということでした。


おじいちゃんは、伝説の虹だ、今日の供養でご先祖様が救われたに違いない、子孫の私たちが日々真面目に人の務めを果たしてきたおかげだ、とりわけ写真を撮ったお前(私)の努力が認められたんだなぁと、私の手を取って、そう語ってくれました。


まさか、日々ぐうたらに過ごしてきた私にそんな善徳があろうはずはありませんが、私の父なら、そのくらい真面目にやってきていたかもしれません。


その夜、そのおじいちゃんから、ご先祖様の話を色々聞かせてもらいました。初代の名前は誰々、その何代後の子孫がどこそこに渡り何々村を開いた、などなど、系図を紐解きながらの説明はとても興味深い物でしたが、中でも興味を惹かれたのは、伝説や言い伝えのたぐいではない、現代に近い時代のご先祖様方の話でした。


たとえばあるご先祖は、村八分にされて田んぼに水を引かせてもらえない農民のために田んぼを畑に変えてそこで大豆を作ることを提案したが、連作障害が出てうまくいかなかった、小麦との輪作もやってみたが土地柄からか小麦はうまく育たず、一計を案じたご先祖はその農民と土地を交換して自分の田んぼを使わせて、かわりに自分は水を引かせてもらえない田んぼで一人、育たない大豆作りを始めたというのです。これを見た村の人たちが慌てて、申し訳ないことをした、ちゃんと水が引けるようにするからと言いに来たので、なぜ自分には水を引かせて、あの農民には水を与えなかったのか、自分とあの農民のどこが違うのかと諫めて村八分をやめさせた、なんていう話がありました。多少の蓄えがあったから出来たことなのでしょうが、それでもそのご先祖は、何年も米を口に出来ない貧しい暮らしをしたそうです。


ただ村八分にされていた人を哀れんでじゃないんだな、けっして豊かとは言えない農村で、人と人とのいがみ合いから生まなくてもいい貧しさを生んでいたら、それだけで村の力が弱くなる、それをやめさせたかったんだなとおじいちゃん。ほかにも、そんな感動する、あるいは教えられる話がたくさんありました。


例の写真は、おそらく何らかの光の写り込みです。デジカメに心霊写真なんて有り得ないでしょう。でもご先祖様が、自分たちの築き上げてきた歴史を子孫に受け継いでもらいたいと、何かの信号を送ってきたのかもしれないと、ちょっとそんなふうにも思えてきます。


供養とは、先祖に喜んでいただくこと。先祖に最も喜んでもらえることは、子孫がその歩みを受け継いでいくことだろうと思います。今年の夏も、そんなご先祖様の話を聞かせてもらいに行ってみたいと思っています。

父親はオタク仲間だった(笑)20世紀のコスプレ写真 watena2010/07/19 18:34:04

父の部屋の大掃除を手伝っていたら、ごっそりと写真が詰め込まれた箱が出てきました。父も既に忘れていた物だったらしく、へぇ懐かしいなと、掃除の手を休めて懐かしの写真鑑賞会が始まりました。ほとんどが学生時代の写真です。整理していない写真の束を実家から持ってきて、そのままにしておいた物のようでした。

服装も髪型も今とは随分違います。それだけでもとても面白い物でしたが、ハッと目を引いたのは、とある古いアニメの登場人物に扮した写真でした。

「こ、これって○○○○?」「おー、知ってるか。」「本編は見たことがないけど、一応有名だからだいたいは知ってる。」「そうかそうか。」

明らかにオタクが集まるイベント会場での写真ですが、父はそれを隠そうとしませんでした。むしろ熱く当時の作品や活動について語り始めたのです。これには驚きました。

「お父さんてオタクだったんだ。」「そうだな、でもお父さんの時代にはマイナーすぎて世間には知られてなかったから、そんな呼び方すらなかったけどな。」「同人誌作ってたの?」「お父さん達は実写映画作りが中心だったな。だから作品発表は大学での自主上映会が主だった。でも映像制作には資金がかかって、撮ってるよりバイトの方が忙しかったよ。」

そう語る父は、学生時代に戻ったようにキラキラとして見えました。

「本も何冊か作ったぞ。といっても評論誌だけどな。当時の同人界では、そういう評論活動も盛んだったんだ。本のテーマが決まると、みんなで草稿を書いて持ち寄って、それから討論会なんだ。作品の世界観の解釈一つを話し合うだけで丸一日費やすこともあった。そうして議論を積み重ねて、各自読み応えのある評論に仕上げていく。そういう過程が楽しかったな。しかし出来上がった本は悲惨だった。まだワープロもない時代だったから全て手書きなんだが、みんな字が汚いんだよ。」

「当時のコスプレは、今で言うコスプレとは随分違っていた。当時は大型フィギュアを作る感覚でロボットやアーマーや小道具などを作り、それを実際に身につける。衣装を真似してキャラに扮するというより、自分の製作物を発表することの方が中心だった。といってもお父さんは手先が器用な方じゃなかったから、随分苦労したけどな。」

今のオタクとはちょっと違う世界。でも魂は同じ。何だか父がとても身近に感じられてきました。一枚の古い写真から知らなかった父の一面が発掘されて、断絶しがちな青年期の息子と親との絆が深まったことは、今思うととても幸せなことでした。

父もあと少しすると仕事から解放されて、第二の青春を楽しめる世代になります。もしまだオタクという呼び方すら無かった頃の世代がもう一度創作の世界に戻ってきたら、面白いことになるかもしれません。父は、何か考えているようです。

父の寝顔の写真で知った愛のカタチ TinkerBell2010/07/19 15:38:52

女の子には、父親の存在が素直に受け入れられなくなる時期があります。

私にもそんな時期がありました。

ちょっと前までは一秒でも長くそばにいたい、大好きなお父さんだったのに、です。


なんとなく父と過ごす時間がぎくしゃくしはじめました。

それまでは何でも話せていたのに、隠しごとをしたいわけでもないのに、自分のことが話せなくなる。

父に指先が触れただけでギクッとしたように手を引っ込めてしまう。

年頃の女の子は誰でもそうなのだろうと思います。

そして、そんな時期をきっかけに、父親と娘というのはだんだん距離が離れてしまうものではないかと思います。


そんな私が今でも心の底から「お父さん大好き!」と言えるのは、その頃に見た一枚の写真のお陰だったかもしれません。

それは、父がテーブルに突っ伏して寝ている顔のアップでした。

母が、「お父さんかわいい~」と笑いながら、その写真を見せに来たんです。


「古い写真を整理してたら出てきたのよ、ほら」

「へー、お父さん、ずいぶん若いね」

「そうねぇ、あなたが一歳ちょっとのころの写真だから」

「ふーん」

「この時ねぇ、あなたが風邪引いて熱出しちゃってね、お父さん、寝ずにあなたの看病をしてたのよ」


母は元ナースです。

私が付いているから安心して。

母はそう父に言いましたが、父は夜は自分が付きそうと言って聞かなかったのだそうです。

翌朝はそのまま一睡もせずに出勤。

仕事が終わるとまたすっ飛んで帰ってきて「明日は有休が取れたから今夜も自分が看病するぞ」。


もう熱も下がってるし食欲も出てきたから大丈夫よと言っても、父はもう一晩寝ずに付き添うの一点張り。

「そんなに心配なの?」

「いや、大丈夫なのは寝顔を見ればわかる、でも自分がそうしないではいられないんだ、頼むから今夜も一緒にいさせてくれ」

こうして父は、丸々二晩、一睡もせずに私の隣で夜を過ごしてくれたのだそうです。


そして翌日。

往診に来てくれた先生から「もう心配ありません」の一言を聞いて、やっと安心した父は、母に濃いお茶が飲みたいと頼んだそうです。

はいはい。

母がキッチンでお湯を沸かしてお茶を入れて持っていくと…。

父はもう、テーブルに突っ伏して爆睡していたそうです。

そこで母は、これぞシャッターチャンスとばかりにパチリ。


「ほら、よく見るとこのへん、ちょっとよだれ」

「やだー、かわいー」

「いい寝顔でしょう」

「うん」

「これがあなたを愛してくれている人の顔よ」

「うん…」


私は母に頼んで、その写真をもらいました。

今もその写真は、大切に持っています。

もしかしてあの時母は、父親と娘の間に生まれはじめた溝を埋めようと、この写真を見せたのかもしれません。

そう思うと、ちょっと作戦に引っかかってしまった悔しさがありますが、そんなのどうでもいいですよね。

愛は宝。

愛も、写真に写るんです。

宝物と言える写真を持っている人は幸せです。

雪が降った日の写真 gtore2010/07/19 11:51:50

子どものころ、めったに降らない雪が珍しくて、大喜びで遊んでいるときの写真があります。

イエのまえに雪だるまをつくったり、雪を投げあったりして、無邪気にはしゃいでいた記憶がよみがえります。

南極を想起したのか、雪でペンギンを形づくったりもしましたね。

何時間かしたら、雪だるまが解けてしまっていて、それを見たときは、なんだかとても悲しかったですね。

兄弟の写真 koume-11242010/07/19 11:31:49

懐かしい思い出です。

姉といつも一緒で、姉のやる事をいつも真似したくて、よくおそろいの服を着せてもらってならんだ写真がたくさんありました。

七五三 koume-11242010/07/19 11:29:19

私の七五三の写真も家にありますね。

可愛い着物を着て千とせあめをもって嬉しそうにしている顔が

写真にバッチリ収められてました。

父も母も若くて、きれいな服を着てビシッとしていて

今では考えられない出で立ちでした(笑)

モノクロ koume-11242010/07/19 11:26:11

親世代の写真はモノクロやセピアですね。

時代を感じますし、味も出ますね。

今はカラーでデジタル管理なので色あせる事もなく

いつまでも想い出を新しいまま残せるかもしれませんが

色あせた写真も年月を感じさせていいものなんですけどね。

卒業アルバム koume-11242010/07/19 11:22:14

たしかに!卒業アルバムは誰にも見せられない(笑)

嫁に行ってもコレだけは実家に置いておいて

こっそり一人で楽しみます(笑)

家族写真 koume-11242010/07/19 11:20:16

改まって家族で写真を撮るなんて

なんだか恥ずかしい気持ちが入り混じって

顔が引きつってしまう事が多々あります。

妊婦写真 twillco2010/07/19 11:14:12

うちも撮ってました。

日に日に大きくなるお腹を横から周期ごとにとってました。

初めは平らだったお腹も臨月には大きくなって

妊娠って不思議だな~と改めて凄い事だなと思いました。

子どもが大きくなったらまた見せてあげたいです。

イエのなかで見つけた写真 gtore2010/07/19 00:15:41

整理をしているときなど、なにかの拍子にひょっこりと思い出の写真が見つかるというのは、

たまにありますよね。

このまえ、整理をしていると、幼稚園のときのプールの写真が出てきました。

私と友だちが一緒に写っているものでした。

幼稚園の友だちの顔なんて、ずっと忘れていたのに、

顔を見ると、それぞれの子の名前がいえました。

不思議なものですね。

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