THEME:「幼年から今年まで……仲間や家族とのひと夏の思い出」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
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※質問は8月23日(月)正午で終了させていただきます。
ありましたね、波のあるプール。子どもの頃にいきました。
たしかいくつかの家族ぐるみのグループでいったと思います。集合場所を決める前に勝手に飛び出してあちこち遊んでいたせいで、行方不明になったと捜索されていて随分と叱られてしまいました。
波の出る発生源がどうなっているのか探りにいったら、プールの奥は子どもには深くて足がつかない場所だったので、立ち泳ぎしながら鉄棒で封鎖された柵の向こうがどうなっているのか興味深々でした。
蚊取り線香の香りは、私もとても懐かしいものを感じます。
いまは、電子式液体蚊取りをつかっていますからね。
昔は猛暑になることがあまりありませんでしたから、
クーラーなどをつけず、網戸の近くに蚊取り線香を焚いて、眠りにつきましたね。
かき氷は、代表的な夏の風物詩ですよね。
暑い日が続いていますので、飽きることなくいただいています。
食べると、すーっと、ほてりが冷めていきますよね。
なるほど、みぞれは「せんじ」というのですね。
はじめて知りました。
砂糖水を煎じてつくるから、「せんじ」というのだそうですね。
私は、かき氷のなかでは、みぞれが一番好きですね。
宇治金時や練乳なんかも好きです。
暑い夏の楽しみは、なんといってもカキ氷でした。
しかし母が着色料の入ったものは体に悪いと絶対食べさせてくれなかったので、いつもカキ氷はミルク金時か
せんじ(ミゾレ)ばかり。
密かに舌が真っ赤に染まるような、氷イチゴを食べることが夢でした。
小学校4年生の夏休みに祖母のイエに泊まり、祖母と一緒に近所へお遣いに行った帰り道、
駄菓子屋さんの前で氷と書かれた旗を見つけて「氷イチゴが食べたい!」という私に、おばあちゃんは
「お母さんには内緒ですよ」と、言いながら買ってくれました。
駄菓子屋のおじさんが手回しの氷かき器でけずった細かい氷粒が、器の中で太陽の光を撥ね返し、できあがった氷の山にかけられた鮮やかなイチゴシロップの赤。
ほのかにシロップの甘い香りが漂って、出来上がったその氷イチゴの美味しそうなことったら
ありませんでした^^
お店の前のベンチに腰掛けて念願の氷イチゴを美味しそうにほおばる私を、祖母はやさしく見つめていました。
急いで食べておでこがキーンとなったのはいうまでもありませんw
その後も何度か祖母と氷イチゴを食べに行きましたが、ある日ベロが真っ赤なのを母にみつかってしまいましたが、
禁止されていた氷イチゴを食べたことを不思議と怒られることはありませんでした。
だいぶたってから母に聞きましたが、実は祖母は天然・無添加至上主義者?で母が食べ物に厳格になったのは
祖母からの教えを受け継いだものなんだとか。
そういえば、祖母は自分で米や野菜を作っており、帰省時にはもちろん旬の季節には色々野菜や漬物を
届けてくれました。
この漬物、大根や梅干、生姜などさまざまな野菜を漬けていて、祖母特製の漬物が食卓に並ぶと
私も弟も普段は滅多にしない、ご飯のおかわりをしたものです。
母は「おばあちゃん、私には厳しかったのにあんたには甘いんだから」って笑っていました。
しかし、その厳格だった母も今、私の子どもには、なんとも甘いことw
人間、年を重ねると性格が丸くなるって本当なのね。
大人になる途中で、氷イチゴとせんじ(ミゾレ)の違いは実は色だけ!という衝撃の事実を知ったり、
白玉クリーム宇治金時なるものを食べて、これぞカキ氷の王様♪なんて思ったりしましたが、
いまだに氷イチゴは大好物です。
氷イチゴを食べると祖母と過ごした小学4年生の夏が想い出されます。
かなり小さいころに、波のできるプールに連れて行ってもらったことを憶えています。
そのころの私には、波がかなり大きく思えて、ちょっと怖かったです。
私はずっと浅瀬のところにいたのですが、大きな波が来るところに、
けっこう人がいるのを見て、すごいなぁと思っていました。
また波のプールや流れるプールなどにも行ってみたいですね。
そうめん流しは、あまりやったことがないんですが、
小学生のころに校区の仲間とやったそうめん流しは、いまでもよく憶えています。
そうめんはけっこう速く流れていくので、すくえたときはとってもうれしいですよね。
イエのなかでできるそうめん流し機があるようですが、やっぱり外でやったほうが楽しめます。
夏になると、親戚のイエの近くにある浜辺で、すいか割りをよくしました。
すいか割りは、夏の風物詩のひとつですよね。
これは、年齢に関係なく楽しめる遊びだと思います。
思い切りはしゃいだあとに、いただくすいかは、格別においしかったです。
あれはまだ、弟が中学生のころでした。今年こそは海に行きたいと言っていたのですが、あいにく両親は都合が付きません。擦った揉んだした結果、姉の私が同行するなら行ってきてもいいよということになりました。
しかし久し振りの海なので、二人ともろくな水着を持っていません。さっそく姉弟で買いに出かけることになりました。弟は中坊のくせにお洒落っ気満点で、前にTVで誰々がはいていたみたいなのがいいかな、それとも、などと出かける前から研究に余念がありません。
「姉ちゃんの分も俺が選んでやるからな」
ええ~~。
いくつかのお店を回りましたが、事前研究の甲斐あって、弟の分はすぐに決まりました。しかしいくらお洒落にうるさいといっても、やはりまだ中学生。私の分を選ぶのには手こずっていました。そこで私がいくつか候補を選び、その中から選択してもらうことに。
やっと決まって帰り道。「あんたお洒落を気取ってる割にはずいぶん迷ったじゃない」とからかうと、弟は「分かってねぇなぁ」と唇を尖らせました。そして視線をずらして恥ずかしそうに、「大事な姉貴が着るんだから、かわいくて、それでいてやらしい視線を受けない水着を探してたんだよ」と。あ…そうなんだ。ちょっと弟の思いやりにキュンとなった瞬間でした。
いよいよ海に行く当日です。眠い目を擦りながら、早い電車で出かけます。運良く座れたので、弟はずっと電車の中で寝ていました。こういうところはまだまだ子供です。そろそろ目的地。弟はハッと目を覚まし、隣を向いて「姉ちゃん!」。しかしそこには私が席をお譲りした和服のおばあちゃんが。電車が止まるまでの、弟の恥ずかしそうな様子といったらありませんでした。ククククク♪
到着です。更衣室を借りて着替えていざ海へ。さぁ泳ごうかと声をかけると、弟は「ばっかもーん」。あ、準備体操かというと、それもあるけどまずUVケアだろという答え。あ、そうか。
「俺の付き合いで大事な姉ちゃんを火ぶくれにするわけにはいかないからな」
またまた大事な姉ちゃんて…。きゅん。
弟に日焼け止めを塗ってもらって、準備体操もして、いざ海に。きゃー、つめたい。きゃーしょっぱい。でも最初は二人で浅瀬で楽しんでいたのですが、弟はすぐ深い方に向かってクロールしていってしまいました。自慢じゃないけど、私は生まれてこの方、足の届かない水に入ったことがありません。しばらく一人で浅瀬で遊んでいましたが、そのうち飽きて、砂浜に座ってぼーっとしていました。すると知らない男の人の声。
「彼女一人?俺らと遊ばない?」
「あ…あの…」
断ろうと思うのですが、びっくりして、緊張して、うまく言葉が出てきません。
「連れがいるとしても、今は一人なんだろう、あそこで冷たい物でも一緒に飲もうよ、おごるからさ」
えと、えと、ご厚意は有り難いのですが、私はそんなことにお応えできる人では…。
「いいじゃん、行こうぜ、海は楽しまなくちゃ」
い、いえ、私人見知りするたちなので、知らない人とは楽しめないんです~、ひぇぇぇぇぇぇん。
心の中の言葉も出せないでいたその時、弟の声。
「わりぃな、その子は俺の連れだ」
う、うわぁぁ、これぞ乙女の永遠の憧れの王子様。大げさですが、この時は弟が本当にそう見えてしまいました。
危機が去って、私はちょっと涙目です。
「姉ちゃんは自分が思ってるよりずっと、その、なんだ、人の目を引くんだから気を付けなきゃダメだろう」
「う、うん…」
それから弟は、ずっと私のそばにいてくれました。
「私はここにいるから一人で楽しんできていいよ」。そう言うと、「いやこれもけっこう楽しいから」。うそばっか。地味に砂山を作ってるお姉さんのお付き合いをして楽しいわけがないでしょう。お礼に浜茶屋で、焼きそばとかき氷をおごりました。
「やっぱ海へ来たらこれだよな、うめ~」
そんな言葉にも、私を思いやってくれる優しさが感じられました。
帰りの電車の中では、やはり眠そうにウトウトしている弟です。「今日はありがとね」と言うと、弟はコテっと頭を私の肩にもたれてきました。今の顔は小学生だったころと同じ顔をしています。でもあの時は、年上の私の連れとしてもおかしくない顔をしていました。あなたはもう、人を守れるほど強くなったんだね、今日はお姉ちゃん、もうちょっと甘えていい?私も弟にもたれかかって目をつぶりました。短い時間でしたが、とてもすてきな夢が見られた気がしました。
小学生のころには、海によく行きましたね。
さらさらした砂を踏むのは、なんともくすぐったいような、気持ちのいい感覚です。
砂山くずしとか、よくやりました。楽しかったですね。
うきわをつけて、沖のほうまで行ったとき、海の底が見えなくてちょっとこわかったという思い出もあります。
昔は大好きで浴衣が崩れる程踊ってましたww
今はあまり盆踊りのあるお祭りはいかなくなってちょっと寂しいですね。
小学生のころに、よく山へ行って、バーベキューをしたのを覚えています。
家族で行ったこともありますし、校区の仲間と行ったこともあります。
飯盒炊さんをしたのですが、焦がしてしまい、ご飯が食べられなかったなんてこともあります。
とてもなつかしい思い出です。
校区の夏祭りで、盆踊りが催されていましたね。
輪のなかに入っておどることはありませんでしたが、
結構大音量で流れる音頭をきいていると、なんだかうきうきしてきましたね。
出店のなかでは、金魚すくいがいちばんの楽しみでしたね。
夏休みに田舎に帰るのは、恒例ですね。
よくみんなで机を囲んで、すき焼きをいただきました。
親戚のみんなで川遊びに行ったこともありますね。
あのころは、いまのような猛暑はありませんでしたから、
暑さにまいったりすることなく、遊ぶことができましたね。
私は打ち上げ花火よりも、手持ち花火(おもちゃ花火)のほうが好きですね。
打ち上げ花火は見るだけですが、手持ち花火は自分でできますからね。
なかでも、線香花火は、なんとも風流できれいでいいですね。
家族でだれがいちばん長く続くか、よく競い合ったものです。
友だちのお宅に泊めてもらったときに、初めて「蚊帳」で寝ました。
いまでこそ、天蓋は珍しくないですが・・・その頃は絵本で見る、天蓋のように思えて、ますで自分がお姫様になったような気分でうれしかったのを覚えています。自宅に帰ってから、さっそく親に「買って!」とせがんだものです。
出店も少なくなってきましたよね。あそこで買って食べるとなぜか美味しく感じたものです。
ものすごく幼かった頃は、ラムネのビー玉を必死で取り出そうとしていたようで、いまでも語り草になっています^^;
なぜかドキドキしますね。いま思い出しても、ドキドキしてしまいますw 打ち上げもいいですが、夜になるとふたりで線香花火をしたのが良い思い出です!
大学時代に、北海道に男女8人で行きました。お風呂が岩風呂になっていてビックリしました!
その日私は夏休みを利用したバイトの帰りでした。乗換駅のホームで仕事帰りの父とよく行き会いますので、今日もいるかなと探してみると、いつもと同じ場所に立っていました。その日の気分によって、知らんふりして離れたところで電車を待つか、声をかけに行くかが違いますが、その日はなぜか、とても父と一緒に帰りたい気分でした。
「よぅ、今帰り?」
「お前もバイト帰りか、ご苦労さん」
仕事は慣れたか?、うん、なんか俺ああいう仕事向いてる気がするよ、なんて話しながら電車を待ちます。電車が来ました。一緒に乗り込んで、隣り合わせの吊革に掴まります。父親と同じ勤労帰りというところが、ちょっと誇らしげな私です。なんたって、一日働いてきたという立場では対等なんですから。いよっ、親父、あと何年かして俺が二十歳を超えたら、一緒に酒を飲みたいだろうw。そんなことを考えると、クスッと笑みがこぼれてきます。
「なんだ、バイト先で何かいいことあったのか?」
「いやぁ、今日チーフがさぁ」
窓の外に雨粒が流れていくのが見えました。あ、かなり本格的な降りになってきたようです。電車の騒音で音はよく聞こえませんが、かなり雷も光っています。すると、駅でもないのに電車が止まりました。
「大変ご迷惑をおかけします、停止信号です」
ありゃりゃ。ま、いいか。
しかし、電車はなかなか動きません。
「お急ぎの所、大変ご迷惑をおかけ致しております。ただ今落雷のため、ダイヤが乱れております。いましばらくお待ちくださいますようお願い致します」
わはは、夏の風物詩だね。そうだね。付近が一斉にざわめく中で、親子でここにいる私たちは平然としています。家族と一緒というのは心強いです。電車はずいぶん長く止まっていましたが、やっと次の駅にたどり着きました。
ここで電車は立ち往生。いつまでたっても発車する気配がありません。ダイヤは大混乱のようです。「あと3駅だし、ここで降りて歩いちゃおうか」と私。「でもまだかなり雨が強いぞ」と父。「改札を出てすぐにハンバーガーショップがあるから、そこで何か食って待とうよ、もちろんお父さんのおごりで」。「よーし、そうしよう」。交渉成立。今日は久し振りにサイドメニューがたくさん付けられそうです(笑)。イエに電話をして事情を説明すると、あらうらやましい、私もおごってもらいたかったと母。母が雷嫌いでなくて助かりました。ポテトにナゲットにシェイクも付けて、ゆっくりと雨が上がるのを待ちました。
やっと雨が上がりました。
「そろそろ行こうか」
「うん」
豪雨の後の道はまだ人通りも少なく、いつもと違うマチみたいです。私たちは二人、雨に洗われた爽やかな空気の中を肩を並べて歩き始めました。
「思い出すなぁ、お前が子供のころ、よくこんなふうに一緒に散歩したな」
「うん、なんだか早朝に散歩してるような涼しさだよね」
「コンビニあったらあのころみたいに何か買ってやりたいんだがな」
「この道にそんなの無いよ」
「知ってて言ってるんだよ」
楽しい会話が続きます。
おや、踏み切りに続く道の角にパトカーが止まっています。お巡りさんがマイクで迂回案内。どうやら踏み切り故障のようです。雷にやられてしまったのでしょうか。
「遠回りして帰ろうか」
「うん」
親子二人の散歩のような帰り道。今はこんなアクシデントも楽しい出来事です。
久し振りに父とゆっくり話しました。普段話せないこと、学校のこと、進路のこと、お互いが抱えている、相談するほどではないけれど心に引っかかっている悩み事、などなど。遠回りの道は、そんな親子の語らいの時間を、たっぷりと与えてくれました。
遠くでまだ、時々稲光が光ります。子供のころのお祭りの帰りを思い出しました。あの時は遠くの雷を恐がって、必死に父の手にすがりついて歩いていた私でした。
「お父さん、ここからもうちょっと遠回りしない?」
「なんだよ」
「ほら、向こうにコンビニ」
アイスと焼きそばと花火を買いました。焼きそばと花火は母へのおみやげです。あの雷雨は、家族とのコミュニケーションが途絶えがちな世代の私への、天からのプレゼントだったのかもしれません。些細な出来事ではありましたが、今も思い出す、懐かしい夏の日の一コマです。