THEME:「幼年から今年まで……仲間や家族とのひと夏の思い出」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20100818
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は8月23日(月)正午で終了させていただきます。
中学の時、夏休み中毎日行きました、雨が降ってもです。電車賃をもらってです(最も汽車賃と呼んでました)昼飯はジャガイモを持って行き、薪の中にいれて置きます。昼頃になればめちゃくちゃ美味しい焼けたジャガイモに、皮をむいて・・・忘れられない美味しさ。また、本当はいけないのですが、泳ぎの上手な友達に沢山うにを取ってもらい、オヤジの土産としたものです。アワビは発見もどうしても獲る事はできませんでした。
壮観でしょうね・・・良い習慣もきっと着くのでしょう。
友人と茅ヶ崎へやっぱり駐車場が無い、そこにおばさんがやって来て、海岸近くの家に止めれば一日1000円と言ってくれました。喜んで小屋の中に入ると、海の家使用料一人1000円払えと言うのです!ビンボですからそんな金までは有りません。断り、駐車場料金を返金してもらい退散。しかし、何と車が砂に埋まり、友人と汗まみれ、くたくたになり脱出!憎たらしい思い出です。
私の場合海に行きました、もう彼女の水着にドキドキでした。セミビキニだったかなぁ~懐かしいですね。
もうだいぶ過去の話になりますが、とあるワークショップに友人と参加したことがあります。
日常生活における習慣などから身体と心が硬直しているのをほぐすという内容のそのワークショップはある夏の日、山の中腹にある宿泊施設を借りて開催されたものでした。
当時、私はどう表現してよいのか、どことなく違和感を覚えている毎日だったのですが、踊りをやっている友人が身体関係のワークショップに詳しく、そこを案内してくれたので参加してみることにしたのでした。
1泊2日の予定で行なわれたその中身は、知らない人とペアになって身体をゆるめる体操を行なったり、歌を歌ったり、詩を朗読したりと、ちょっとした演劇ワークショップにも似たものでしたが、主眼になったのはひとが自分として生きぬいていくため、普段使わないような体の動きや感情の表現を試みることなのです。
ワークショップの講師は現在はもう亡くなりましたが、その方面ではかなり有名な方で、ほのぼのとした雰囲気というよりはなにかの稽古のような厳しさがあって、友人とこれはなかなか怖いな、と休み時間にちらっと会話を交わしたりしたことを覚えてます。
そのようなワークショップの中で特に印象に残ったことがあります。
それまでプログラムは室内でずっと行なわれておりましたが、天気があまりにも良い事と、それからこれは推測ですが、プログラム自体にどこか講師が煮詰まったものを感じたのではないか、ということで、外に出ることになりました。
そこで行われたのは、『ブラインド・ウォーク』というもの。
2人一組になって、一人が目をつぶって盲目になり、もう一人がその人の手を引いて敷地のあちらこちらを案内するという内容です。
大抵は知らない人と組むのがワークショップの一般的な姿ではありますが、そのときはどういうわけか友人とペアになりました。
まずは友人が目をつぶり、私が案内人として歩きます。
その取った手の華奢なこと。
友人とはそのとき10年来の付き合いになってましたが、こうやって意識して手をとるのは初めてのように思います。子どもでもないし、普段はそれほど手を繋ぐ機会というものはないものです。
どこをどう案内したか、とにかく友人はいま私の先導で歩いていること、私を信頼していること、こういったことが頭を駆け巡ってそこはほとんど覚えていません。知らない人とだったらそこまで考えたかどうか。
次に、役割を交代して私が目をつぶって歩くほうになります。
やわらかく私の手を取った友人は、他のペアのところへ近づいていって、私の手を、そのほかの人たちの肩や腕のほうへ先導してゆきました。
目をつぶって触れる人の体はどれもこれも温かくて優しい。
終了してからいたずらっぽく笑う友人がいうには
「ほら、あまり人に触れたがらないから、こういうときにちょっと触ってみたらどうかな、と思って」
そうです。私はいろんな意味で人と触れるのが苦手で友人はその反対。
きっと普段から歯がゆく思ってたんだろうなあ、と考えたらちょっとだけ可笑しくなりました。
もし、同じことを目を開けて行なっていたら、果たして私は人のぬくもりを感じ取ることができたかどうかわかりません。
目を閉じて、友人に先導をまかせることは自分自身の頑なさを放棄することでもあります。
ブラインドウォークの後のプログラムでは人に変な風に思われないようにとかいう意識をゆるめることができ、ワークショップに集中することができるようになりました。
その後もやっぱり厳しくて、ブラインド・ウォークだけが今考えると息抜きになってたような気がしますが、講師の気迫に接することができたことと、友人と非日常で過ごしたことは印象深い思い出として残っています。
今年は1個だけでしたがかなり近くていい席で見られました〜!この暑い中、場所取りなど大変ですが頑張っただけありました♪ 小さな花火も大きな花火も、見るとTHE夏!って感じで良いですよね
私の祖母はもうすでにお墓にいます。
私の息子達が産まれたのは8月13日。
息子たちが産まれる時にも祖母は、きっとお盆だしやってきて力を貸してくれたと思っています。
お墓参りはひ孫たち総動員。
全員おばあさんが力付けてくれたので皆元気な、おしゃまさんやワンパク小僧になりました。
8人そろって小さい手を合わせ、目を閉じて先祖にご挨拶のお墓参り。
小さいちょうちんにお墓のろうそくの灯(あかし)を分けて持って、消さないように家の仏壇まで持ち帰る。
その灯におばあちゃんやご先祖様がくっついてやってくると信じていたので、灯を消さぬように持ち帰る。
消えてしまったら、灯を分けてもらって、家の仏壇に灯を移してご先祖様はやってくる。
またそこでも8人のひ孫は仏壇を拝んでいる。
この小さなひ孫たちを見守るのでご先祖も忙しいお盆のようでした。
小学生から中学生までの時期は、毎年、夏になると父親の会社が借りた海のイエに行っていました。
逗子の海岸に近い、普通の民家を会社で借りて、格安で社員と家族の厚生に当てたもので、それを海のイエと呼んでいたようです。
毎年同じ畳敷きの民家を借りたもので、長い時は一週間も滞在して、海水浴などを楽しんだものです。
初日から部屋に入ると、畳のにおいがして、窓の外には山も近く、よく鳶が青空に丸を描きながら飛んでいました。
水着に着替えて住宅街を抜け、道路を渡ると直ぐに海岸があります。
家族で水をかけあったり、波の間を泳いだりと、時間が過ぎるのが惜しくて、いつまでも楽しんでいたものです。
日が落ちてからも、海岸べりには射的の露天やヨーヨー釣り、やきそば、おもちゃなどの屋台が、真っ赤なちょうちんを連ねていて、楽しみは尽きません。
花火を買って海岸で遊んだり、お小遣いを貰って何に使おうか悩むのも、楽しいものでした。
日程が合うと、大型の打ち上げ花火の大会も見られました。
沖合いの岩場の島に打ち上げ場を設置して、黒い海の空を背景に開く花火は美しく、その後の微かな寂しささえ、快く感じたものです。
イエに帰ると大抵は大人達が酒盛りをして、私たち子供も遅くまでおきていても、叱られたりはしません。
一日中炎天下で海水浴をしたりしていると、体が熱くなって直ぐには寝られれないので、かなり遅くまでおきていたりしました。
それでも朝には早く目を覚まし、海のイエを服のまま出て、家族で海岸に行きます。
早朝の海は潮風が涼しく、波も穏やかで、水が澄んでいます
朝の海岸にはいろいろなものが落ちています。
きれいな貝殻や流木、海藻の塊、壊れたおもちゃ、絡まった釣り糸や釣り針など、宝捜しのようです。
極まれには、桜貝などの、めったに見られない美しい貝殻もあり、海岸をどこまでも探したものです。
大きくなると家族で旅行に行かなくなり、海のイエに行く事もなくなってしまいました。
しかし、いつまでも、思い出は残っていく事でしょう。
小学校時代は夏休みになると母方の田舎に行って、海水浴に行って後、風呂を借りて宿泊、翌日は親戚廻りをした後に帰宅というパターンがありました。風呂に入る前に、砂を落とすためにホースの水をかけっこしたりとかも懐かしいです。
私には、年の近い同じ誕生日のいとこがいます
今では、お互いのすんでる家の近さに反比例して
親戚づきあいは、あまりないのですが
自分が小学生の頃は、おばあちゃんの家に行く時は
時々その親戚の家にも行き
自分よりも少し年齢が上のいとこのゲーム機を借りて遊んだり
(時々は、一緒にゲームもやったかな・・?)
とにかく楽しんだ思い出が私の中にはあります
でも自分が小学生の時のある夏
おばあちゃんの家に寄ったあと
一人だけ親戚の家に泊まったと思うのですが
ちょうど
その日・・ものすごく大きな事故が起きてしまい
TVは、そのことをずっと報道していました
正直親戚の家とはいえ
小学生が一人で泊まったわけです
色々、面白いこともあったはずなのに
あまりに強烈な事故のために
TVでそれについての事を伝えてる報道を見てたという
思い出が残ってて
今でも毎年、その事故が起きた日のその事故に関連したニュースを見ると
親戚の家に泊まった日、TVばかり見てた事しか思い出せなくて
少しがっかりする自分なんです
・・
子供の頃、両親の田舎である両祖母の家に、お盆にあわせて合計一週間ほど家族で泊まるのが定番でした。父が子供時代そうしたと聞かされたように、屋根の上に座って漫画を読んだり、母の少女時代の服を着せてもらったり、従兄弟たちと花火をしたり。のどかで冒険心を刺激されました。懐かしい思い出です。
今年は暑いのでやるつもりでしたが、まだです!子供が大きくなったためもあるかな~予定あるんでしょう・・・
伊豆にありました、男共沢山で押しかけ宿泊、酒のつまみは皆で魚屋に列を組んで調達、アワビ、サザエ、鯵等々ゲット!楽しかったですね。また、敷地内には別荘所有者専用のプールもあり、綺麗な女の子の水着姿をば拝見したものです。所謂ハイソサエティーの方々ですからマナーも良いし、もう美人だらけで貧しい田舎者にはカルチャーショックでした。
熱海某ホテルの屋上でみた花火は最高でした!何せ海岸や船で打ち上げるのですから、迫力満点!是はまだ子供の居ない時代でした。
年一度、夏は東京の一流ホテルで約一週間滞在していました。日中はホテルのプールで過ごし、午後から買い物、見学。夜は知っている飲食店で食事。こんな年が5年程度続きました。子供達はホテルでのマナーを学び大変良い経験でした。もう、こんな事は子供が大人になった今は一生無いと思うと残念です。年一度の(正月休み、GW、お盆も無い私の仕事故)贅沢、嫁、自分への御褒美でした。
小学校低学年時、北海道から初めて山形へ、祖母、三歳上の従兄で旅行をさせて貰いました。青函連絡船に乗り青森から列車の旅です。行く先は山形・酒田近郊の田舎です。約20時間の旅でしょうか?そこには祖母の姉妹が住んでました。思いだすのは、着いた夜寂しくて帰りたいと泣いた事、寝るときは蚊帳を張ってもらった事、蛍を歩いている時見て恐ろしかった事、きれいな小川からバシャバシャと音がしてびっくり!見てみると大きなガマガエルが走って逃げて行ったこと、その家は小規模ながら養鶏場をやっておりその餌をスズメが横取りするので、案山子を作った所驚いたのは何と逆に鶏が怖がりパニック状態に・・・。また、最上川の大きさに驚いた事が思いだされます。今も鮮烈に思いだされ、親に感謝したい気持です。可愛い子には旅をさせよ!良い格言ですね。
うちは犬派なので3代に渡りお犬様が住み着いておられます。
小学生の頃のお犬様は外で飼っていたはずなのに、今買われている三代目はクーラーの効いた部屋を我が物顔で闊歩している…。
いろいろと時代の流れを感じました。
猫は両親が子どもの頃に飼っていたそうで、私はまだ猫との生活は体験がありませんが、猫は猫で大変らしいと聞きます。
今年は1個だけでしたがかなり近くていい席で見られました〜!
この暑い中、場所取りなど大変ですが頑張っただけありました♪
小さな花火も大きな花火も、見るとTHE夏!って感じで良いですよね。
しかもその親戚が転勤族だったら、沢山色々な所に行けますね。私も沢山の土地を訪れましたよ。