実はこんな遺跡が隠されているとか、地下に道があるなど。
(トリビアでなくて基本事項かもしれませんが)
荒川放水路の工事を指揮した技術者は青山士
(あおやま あきら)で、アメリカでパナマ運河の
工事にあたっていた人。日本で荒川の仕事を
した後、新潟県に移り、信濃川の大河津分水路の
工事を指揮した。
(参考:http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/aoyama/index.html )
東京都を流れる「荒川」は水深が深い為、殆どの鉄道が橋梁を通るようになっております。
http://blogs.yahoo.co.jp/t_matuda/13747240.html
家康は、これらの河川の流路を整理し、洪水を防ぐと同時に利根川と渡良瀬川を鬼怒川につないで太平洋と結び、東北地方からの舟運の便を図ることを計画しました。
この大工事は数多くの工事の集合体とでもいうべきもので、関東平野一円にわたって行われました。1594年に始まり、1654年には一段落しましたが、最終的には明治まで引き続き行われるという気の遠くなる規模のものでした。
工事の結果、荒川は利根川から分離されて入間川と合流し、かつての湿地帯の西の端を流れるようになり、利根川の流れは整理されて湿地帯の東を流れるようになりました。武蔵国の平野の真ん中を貫いていた暴れ川を、東西の端に押し込めたわけです。
http://www.asahi-mullion.com/column/edojyou/81201edojyou.html
コメント(0件)