あなたが「大切なことを(自分が)知らないということを知っている」ことを教えて下さい。
>私、ソクラテスは、大切なことを知らないということを知っている。「無知の知」をもっている。だから、賢者といわれる人よりも、私の方が勝っているのだ。
http://lovead.seesaa.net/article/137097194.html
http://girlgood.blog49.fc2.com/blog-entry-12.html
http://www.casphy.com/bbs/test/read.cgi/kirei/1232944453/l50
ぼくは自分が男だというのに、
どんな女の子が可愛いのか分からないです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1224658...
ぼくは漫画を描く際に、時々落下速度の計算をしますけど、
空気に抵抗で、落下速度が一定になるまでの計算を、
自分で出来た事がありません。
終端速度を自動で計算するソフトを使っています。
微分積分のやり方を覚えられないです。
重力レンズの効果で、ブラックホールの近くでの、光の曲がり方を、自分で計算出来ないです。
ブラックホールの近くでの戦闘を描きたいと思っているんですけど、
描けないです。
西洋に【無知の知】があるならば、東洋には【無用の用】がある。(^_^;
●【無用の用】
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-323.htm
http://nice.ciao.jp/works/No13/No13page.html
●【曲学阿世の徒!?】 「無用の用」を知ってこそ 皿木喜久 【風の間に間 ...
全ての入れ物は、「何もない空間」という無用の用があるから、「物を入れる」という仕事ができるんですね。
知れば知るほど、知らないと言うことに
気づいていくというのは、事実だと思います。
しかし、中には、知らない・気づかない方が幸せなことも…。
知りたいという知的欲求のかたわらで、この矛盾を、
自分が知らなかったこと充てがって、これは知らない・
知らせない方が幸せ…と考えるのが、私の無知の知でしょうか。
特に、他人のプライバシーとかは、何でもかんでも知れば
いいというものではないし、こと恋愛に関して言えば、
何でもかんでも知って知らせて暴け出すというよりは、
ちょっとしたミステリアスな面もたまに見せたり、
相手のファンタジーの夢を潰さないで優しく受け入れて
サポートしてあげるような態度の方がうまくいく様な気がするのです。
無知の知も良いですが、知らないで良いことも
知っているというのも良いのではないかと思います。
本文とは余り関係ありません。:
「「自分は○○を知らない」ということを自分は知っている」そして「○○は大切なこと」」
この条件を満たすものを質問してみました。
「「知らなくてもいいものがある」ということを知っている」ということでしょうか。
自分が今こうして無事平和に生きていられることのありがたみに対して、「自分って鈍感なんじゃないか…?」と思うことは時々あります。
こういうことに気がついても、そのうちに忘れてしまいます。気にかけるには余りに当たり前すぎて、また他に気になることが多くて生きていることのありがたみまで噛み締めている余裕がないようです。
こうして言葉にして説明してみても、頭だけで解ってることを実感がないまま単なる言葉にしているなという胡散臭さを感じます。ありがたみに気づくときは、苦痛を覚える体験をしたり、体調を崩して思うように動けないとき、当たり前に生活できていたことへのありがたみが実感されます。
「「幸せであることを忘れてしまうこと」が本当の幸せである」ということでしょうか?
そもそも私は私自身について知らないところがあります。
もちろん自分がどう考え、どう感じ、どう思っているかについて、他の人にわからない部分があるのは当然です。しかし、「自分からは見えないが他人からはよくわかる」ことも多いのもまた当然です。そういう意味では私は自分自身のことを知らない部分が多々あるはずだと確信しています。
このことを言い換えれば、特に親しい人については、本人より私の方がよく知っている部分があるわけですが、しかし、当人でなければわからない部分も当然多いわけです。わたしがわかったつもりになっているのは、ごく一部でしかありません。
そうすると、自分についても他人についても、私は(知っている部分もあるが)知らない部分がたくさんある、ということになります。
私は外界のものごとを知るのに、この目や耳や鼻や舌や皮膚を使い、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感を通してのみ知ることができます。あと直感というのもあるかもしれませんが、いずれにしても私はこの肉体を通して外界を認識しています。それを言い換えれば、肉体が異なるならば認識する外界の姿も異なってくるはずです。
私は高校のときに視力ががくんと落ちましたが、それ以前とそれ以後で外の見え方が全然違います。メガネを通して矯正した外界の姿は、小さいときに見た光景とまったく同じではありません。おそらく、違う目を通して違う脳を通して見るならば、世界そのものが違って見える、あるいは同じものを見ていても私と同じように見ている人は誰一人いないかもしれない、と考える方が妥当でしょう。
そうすると、私が認識しているこの世界の姿は、私一人のものであり、決して普遍的なものではない、ということにもなります。
言い換えれば、私は世界の本当の姿を完全には知り得ない。ということを私は知っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98#cite_note-1
私の考え方は無相唯識(無形象唯識)に近いようです(日本に伝わっている唯識は有相唯識派の方です)
「私は世界の本当の姿を完全には知り得ない。ということを私は知っています。」
私は「物の存在とは何か」が疑問です。つちくれにしてもその性質は説明できても「物とは何か」というのは説明できないと思ってます。
>あるいは同じものを見ていても私と同じように見ている人は誰一人いないかもしれない、と考える方が妥当でしょう。
R・A・ラファティの「他人の目」を思い出しました。久しぶりに読んでみたくなりました。
以前までは、好きな楽曲に出会うと、その歌詞を調べて、
必死で覚えて、歌えるようにしていたものですが、
いつからか、気に入った楽曲の歌詞を全部知らないほうが、その曲を楽しめるのではないか、
と思うようになりました。
(歌詞を知っているほうが楽しめる場合もあるかとは思いますが。)
本当の歌詞を知らなくても、「そうきこえた」というもののほうが楽しめる、ということです。
たとえば、桑田佳祐さんが、ときに英語っぽく歌ってみたり、
フランス語っぽく歌ってみたりするのも、そうした面白み、遊びなのかもしれません。
(http://haradakun.cool.ne.jp/otayori/shitumon_47.html)
すべての歌詞がきき取れないわけではないので、
曲調や前後の歌詞から、それが私にとって大切なものというのはわかるのです。
ありますよね。
http://q.hatena.ne.jp/1259327561
以前あった質問ですが、有名な曲の歌詞だということに気がつかず、回答された方も多そうです。
歌詞の意味を知らなくても、その曲から伝わってくるものがあるのでしょう。
逆に歌詞の意味がわかることによる楽しみもあると思います。
先ほどの歌詞にしても、普遍的な質問で思わず今でも答えたくなる内容なんだなと思いました。
昔合唱やってたときは英語の歌詞の意味やラテン語の歌詞の意味を知るのも楽しかったです。
無知の知は、個人的には、知ったかぶりをして向上しないものは愚者であり、知識欲をみたそうと昨日の自分を追い越す努力家こそ真の賢者だ、と認識していました。
大切であることは知っているがその本質を知らない、という命題であれば、いろいろあると思います。例えば命、生命が大切であることは誰でも分かりますが、生命の神秘を完全に解き明かした人は未だいません。
世界が大切だということは大体の人が認識していると思いますが、世界(宇宙)生成の秘密は誰も完全には分かりません。
ちょっと厨二っぽくなってきましたね。
あっさりと禅問答っぽい回答を出すとすると、
「明日が大切であることはわかっている。でも明日がどんなものなのかは今の僕には分からない。だから大切にしようと努力する」
といったところでいかがでしょうか? (明日を未来に書き換えても可)
>大切であることは知っているがその本質を知らない
こういうのを聞いてみたいです。
他人の目から見た世界が自分と同じ世界とは限らないとか。
履歴書用などに写真をとってもらったとします。
何枚かある中で、私がこれがいい、と思う私の顔と、
他人が選ぶこれがいい、という私の顔は毎回違います。
はてなで最近回答するようになりました。
私が、これはど真ん中だ、と思った回答にはいるかはつきません。
ちょっと正解から離れているけど参考になれば…と思ったものに何故かいるかがつきます。
「主観的に自分がOKを出すもの」と「他人が客観的にOKをくれるもの」とは乖離しているな、
と感じているのでなるべく自分で自分を判断しないようにしようと思っています。
…単に空気が読めない人の可能性も…?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%AE%A...
>「主観的に自分がOKを出すもの」と「他人が客観的にOKをくれるもの」とは乖離しているな、
そんなもんだと思いますよ。
── 時間とはなんであるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは
知っている。しかし、だれか問うものに説明しようとすると、わたしは
知らないのである。── 聖アウグスティヌス/服部 英次郎・訳
《告白(下)19761216 岩波文庫》P114
──(私釈)時間とは何か。だれかがわたしに問うなら、わたしは説明
できる。しかし、ひとりになって考えると、さっぱりわからない。
http://q.hatena.ne.jp/1252368019#c182511
音は、惜しみなく時を奪う。
http://q.hatena.ne.jp/1278649036#a1026213
>だれもわたしに問わなければ、わたしは知っている。
これってレビューの本質ですよね。
相手がぬいぐるみでも、説明するためには、自分で理解していないといけない。
逆に言えば、人に説明しようとすれば、自分の「無知」に気がつくわけですね。
この宇宙について何パーセント知っていて、何パーセント知っていないかも私たちはわからない。
宇宙からみたら私たちは自分に肉体があると気付いた胎児のようなものだ。
あなたは自分が自分であるということを証明できますか?
あなたの人生そのものが夢でないとどうしていえるのですか?
つまり、この世のすべては仮説でしかないということです。
>ぼくは自分が男だというのに、
>どんな女の子が可愛いのか分からないです。
その場合、女の子目線になるのでしょうか。
確かに、少女向けアニメの主人公は男からみて「かわいいのか?これ?」と思うことがありますよね。