THEME:「やっぱりわが家が一番!と実感した幸せエピソード」
“ディア・ライフ”=『親愛なる日々』。イエは暮らしと人生の舞台。「LIFE」という言葉に、生活と人生の2つの意味をこめて、イエと家族のストーリーを語り合いませんか? 心のページに刻まれた思い出も、現在のイエでの愛しいワンシーンも。毎回のテーマに沿って素敵なエピソードを、豊かな暮らしを創っていく〈イエはてな〉のマインドで投稿ください!
*回答条件* 下記のページをご覧になってご投稿くださいね!
「Welcome to イエはてな」
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20080731
テーマ詳細とアイデア例
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20110112
※ピックアップ受賞メッセージは、〈みんなの住まい〉サイトにて記事紹介させていただきます。またメッセージは表記統一や文章量の調整をさせていただくことがございます。
※〈イエはてな〉では、はてなスターを「おすすめメッセージ」として活用しています。投稿期間中ははてなスターのご利用を控えていただけますようお願いいたします。
※質問は1月17日(月)正午で終了させていただきます。
こんな私とお付き合いしてくれるという女性が現れ、舞い上がりまくってしまった私。お勧めスポットなるものや話題の店などを調べまくってのデート作戦を展開してきましたが、「外」っていまいち落ち着かないんですね。最長でも2~3時間で場所移動の必要があるんです。仕事帰りに会うならそれでもいいですが、休日をゆっくり二人で過ごすためには、事前に何か所もの移動先を考えておかなければなりません。もちろんテーマパークや遊園地なら同じ場所で一日楽しめますが、毎週毎週似たような所に繰り出すわけにもいきません。
何かいいプランはないかなと考えていた所、彼女から仰天リクエストがありました。あなたのウチで会おうよ、と言うのです。えぇー、うち、築年数もけっこう経ってるし、親もいるし、付き合っている女性なんか呼べる環境じゃないだろうと戸惑ったのですが…。動物不可のマンションで一人暮らしをしている彼女にとっては、猫を膝に抱きながら過ごす家族のような時間というのが、何より魅力的なデートプランなのだということがわかりました。
しかし問題は、この来訪を両親にどう話すかです。付き合っている女性がいるのでウチに連れてきますなんて切り出したら仰々しすぎます。だいいち恥ずかしい。というか、両親を交えて彼女と過ごすという図が想像できません。まぁいいか。普通に友だちを家に呼ぶように、何の前触れもなくやって来た彼女を自分の部屋に上げ…。いや、それも余計な憶測を呼ぶ、どうしようと考えている間に当日になってしまいました。
とりあえず猫にだけ話をして(笑)、彼女と駅で待ち合わせ。やってきた彼女は、手みやげの紙袋を下げて準備万端の様子です。えぇい、俺も大人だ、こんなことで恥ずかしがってどうすると覚悟を決めてイエの玄関に到着。ドアを開けると、いつものように足音を聞きつけて待っていた猫が出迎えをしてくれました。すると突然「いやー、かわいいー」と彼女の歓声。それを聞きつけて、何だ何だと出てきたうちの両親。あとは彼女が勝手に挨拶を済ませ、そのまま勝手に家族と馴染んでしまいました(笑)。
いったん私の部屋に通し、お茶など飲みながらそれなりにいい雰囲気の時間が過ごせましたが、猫が父母と一緒のリビングに落ち着いているので、彼女のたっての希望でリビングに移動。その後は猫と両親を交えた奇妙な時間となってしまいました。でも、彼女は念願の猫を膝に抱いてご満悦。父も母も自然に接してくれて、夕食まで一緒にすることに。あとは「お母様、お手伝いしますわ」「あらまぁ、ありがとう」とお約束的展開が続きました。
彼女を送っての帰り道。こんな一日でよかったのかと聞いてみました。そうしたら、彼女曰く、何よりうれしかったのは家族のように迎え入れてくれたことだったと。久し振りに家庭の温かさに触れることが出来て本当に良かったと。そう言ってもらえました。親父、お袋、彼女と自然に接してくれてありがとう。いつものわが家のそのままを見せてくれてありがとう。イエはてなと出会い、イエという存在が大好きになって、大切に大切に紡いできた家族との絆。それがこんな形になって現れました。帰宅してあらためてわが家を見回して、「やっぱりわが家が一番!」と実感することが出来ました。
まさか付き合っている女性と会う場所としてまでそう思える日が来るとは予想もしていませんでしたが、外で会っている時にはなかなか出来ないような落ち着いた語らいもできるわが家という場所は、そういう意味でも「一番!」になっていきそうな予感です。
だいぶ趣味に走った話になってしまいますが、わが家の特色は、父と私が同じ趣味を持っているという点です。音楽、電子工作、そしてオーディオ。この趣味に走りまくったわが家の話を、少しさせてください。
父が、うれしそうに私を呼びました。「ほら、見ろ」。箱を開けると出てきたのは、いかにも旧型のスピーカーユニットでした。型番はP-610B。オーディオ好きの人ならこれだけでお分かりになるでしょう。そうです、NHKのモニタスピーカーを開発したノウハウを生かして作り出された、日本の誇る名器と言えるスピーカーユニットです。発売は1970年代初頭。このスピーカーはエッジがウレタンフォームなので、現存する多くのユニットはこの部分が劣化していますが、父の持ってきたそれは、ほとんど劣化が感じられません。よくもこんな貴重品を探してきたものです。
「これ、どんな箱を作って入れる?」
「やっぱり標準箱で聴いてみたいと思うんだ、寸法とかの資料、持ってないか?」
「標準箱」とは、このスピーカーの取扱説明書に記されたエンクロージャ設計例に基づいて作られる箱のことです。しかし、父の手に入れてきたスピーカーに取説は付いていませんでした。ネットで調べてみましたが、「標準箱」という名前は出てきても、その寸法などの詳細は、なかなか見つけられません。やっとの思いで取説を写真に撮った物を発見。「おやじー、見つけた!」「でかした!」。まずはコーヒーで乾杯です。
エンクロージャ作りは、それを楽しみにこの貴重品を手に入れてきた父に任せることにして、私はこれに合わせるアンプを用意することにしました。スピーカーの持ち味を最大限に生かすためには、その特性に合わせたアンプで駆動してやる必要があります。が、今のオーディオ機器と70年代のそれは、回路構成もデバイスも特性も大きく異なっています。ようするに、70年代にタイムスリップしたようなアンプを持ってこないと、このスピーカーの持つ本来の音は再現できないということなのです。
「真空管、何使おうか」
「いやまて、ここは安易に真空管にするんじゃなくて」
「じゃトランジスタ?」
「うん、昔、50Wクラスの回路をAクラス動作させて、電力のほとんどを熱にしてしまうというもったいないアンプがあって」
「あ、知ってる」
「それで聴いたP-610の音が忘れられないんだよ」
「回路、調べてみようか。でもメーカー品の回路じゃ見つかるかなぁ」
結局これは回路が見つからず、ネットで探せるスペックを元に、想像で似たような特性の得られる回路を考えて組み立てました。いざ、音出しです。音源は70年代そのままのアナログレコード。スピーカーの性質を考えるとクラシックのピアノ曲などを鳴らしてみたくなりますが、わが家は親子共にロック好きなので、用意したのは当時のアコースティックな音楽の良さを代表するCrosby,Stills,Nash & Youngのライブアルバム「4 Way Street」(1971年4月リリース)でした。
黒い大きな円板の上に静かに針を下ろすと、かすかなチリチリチリというノイズ。しかし音楽が始まると、その奥深く瑞々しい音。これが70年代のスピーカーか?と耳を疑ってしまうほどの豊かな音の世界が広がりました。たった16センチの口径しかない旧型のスピーカーが、ホールの空気まで再現しています。
「すごい…」
「すごいな、これは…」
親子で聴き入りました。この一曲の再生までに二人が費やした時間は膨大なものでした。アンプからエンクロージャまで全てが手作り。この音は、わが家でしか聴けません。ナンバーワンの音が聴ける場所ではありませんが、オンリーワンの音が聴ける場所。それがわが家です。趣味に走った話になってしまいましたが、親子で作り合った音の世界が広がるわが家は、本当にオンリーワンの存在です。
飼っている猫が病気になってしまいました。急いで動物病院に連れて行かなければなりません。治療が早ければ命に関わることは無さそうですが…、でもこれは入院になるなと直感しました。クルマは父が使っていてイエになかったので、タクシーを呼ぶことにしました。ぐったりした猫をキャリーに入れて、タクシーの到着を待ちました。
タクシーが来ました。イエの玄関を出ようとすると、さっきまでグダッとしていた猫が鳴くんです。いやだよー、どこにも行きたくないよー。そう言っている感じがします。それもそのはず。動物には、群れの存在に守られて生きる動物と、テリトリーの存在に守られて生きる動物がいますが、猫は後者。この猫にとっては、イエという空間が、身を守る砦のようなものなのでしょう。病気で弱っているその時にイエから連れ出される不安は、きっと人間の想像以上のものがあったと思います。
でも、病院に連れて行かないわけにはいきません。ごめんよ、おそらくお前の場合、往診じゃ対処できない。行くしかないんだ。心を鬼にしてキャリーを担いで玄関を出ました。猫はドアを閉めるまで鳴き続けていました。ところがドアを閉めると、ピタッと鳴き止んだんです。テリトリーの外に出てしまった。そのことを感じ取ったのでしょう。テリトリーの外で不用意に鳴けば、かえって身を危険に曝す。そういう野生の勘が働いたんだと思います。
診察の結果は、やはり入院でした。「それではお預かりします」。そう言われて、お願いしますと猫を置いて診察室を出る時の辛さ。猫も一声、ニャーと鳴きました。行かないで。そう言っているに違いありませんでした。
翌日から、連日面会に病院に立ち寄りました。この病院の診察時間は21時まで。仕事の帰りに立ち寄れます。先生から、この子は昼間は一日中グダッとしてるんですよ、でもあなたが来るとこんなに元気そうに振る舞う、今はどんな薬より面会が効いているようですから毎日来てあげてくださいと言われました。猫の病状はなかなか好転せず、入院は予想外の長期に及びました。猫も大変だったと思いますが、私も不安で不安で、イエに帰っても全くくつろげない毎日が続きました。
そしてやっと迎えられた退院。この日は自家用車で迎えに行きましたが、私は泣いてしまって、しばらく車を動かせないありさまでした。でも、まだ猫は声を出しません。私と一緒でもここはテリトリー外。そう認識していたんだと思います。
イエに帰って、部屋の中でキャリーの扉を開けると…。数秒、猫は戸惑っていたようでしたが、すぐにニャーと声を上げて出てきました。部屋のあちこちの匂いを嗅ぎ、壁や家具の脚などにすりすりと頬ずりを始めました。ニャーと鳴いては匂いをクンクン。またニャーと鳴いては頬ずり。これはテリトリーの確認行動です。ボクの匂いだ、ここはボクのイエだ、帰ってきたんだね、ばんざーい!!猫の言葉を翻訳するならば、きっとそんなことを言っていたことでしょう。
ひとしきりそんなことを続けた後、床にごろりと寝転がって、お腹を上に向けました。これは大安心のポーズです。入院中は一度も出来なかったこのポーズ。全身で「やっぱりわが家が一番!」を表現していました。あ!聞こえます!コロコロコロコロ。かすかに喉が鳴っています。私も猫の横に寝転びました。あ~、この幸福感。いったい何日ぶりのゆったりした時間でしょう。隣の猫の喉の音が大きくなって、ゴロゴロゴロと響きました。お茶が入ったよと呼びに来てくれた母が、その様子を見て笑っていました。
人も動物。ヒトという生き物にとってのイエも、命を守るテリトリーです。そして、家族という名の群れの愛と絆を育む場所でもあります。猫でさえこんなにイエを大切に思うんです。人間の私にだって、ただ寝に帰ってくるだけの巣じゃありません。世界でただ一個所の、かけがえのない場所、それがイエ。猫の入院と帰宅は、このことを強く感じさせてくれる出来事でした。
中学の時、グループ同士のいさかいの間に入って仲直りしてもらおうと思ったら、どちらのグループからも敵扱いされてしまったことがありました。大きなグループ二つに反感を持たれてしまうことは、クラスの女子の約半分から仲間はずれにされることでした。すると、今まで仲のよかった人までが、少しずつ私から離れていきました。いえ、本当は私の方から殻に閉じこもりはじめていたんだろうと思います。
そんなことが起こってからしばらく。朝は晴れていたのに、午後から天候が崩れて雨になりました。いつもなら折り畳みの傘を持っていますが、その日に限って忘れてきていました。こんな時は、いつもなら誰かに「入れてって」と声をかけます。でもその日はできませんでした。一人で濡れて帰るしかありませんでした。冷たい雨に濡れながら、傘わすれてきてよかった、だって今の私じゃ、持ってても誰も入れてあげることができなかったから。一人で傘をさして帰ったら私はもっと嫌われる。そんなことを考えていました。
雨足はけっこう強く、イエに着いた時はずぶ濡れでした。翌朝、熱が出て起きられなくなりました。体中が痛くて、喉も頭も痛くて大変でしたが、これで学校を休めると思うと、心はとても安らぎました。父が心配そうに「ゆっくり休めよ」と声をかけてくれました。だいじょうぶ、いってらっしゃい。そう言おうとしたら声が出ませんでした。でも父には通じたような気がしました。母にも、なにもしゃべらなくても、気持ちが通じているようでした。
風邪引いて学校休むなんて小学校以来だなぁ。午後になって少し声が出るようになると、私はとても甘えんぼさんになっていました。翌日も熱が下がらなかったので学校はお休み。でも二日目になって少し食欲が出てきたので、お母さん、りんごすって、プリン食べたいと、すっかり私は小学生でした。学校という針のむしろで張りつめきっていた心がほわ~んとゆるんで、すべての緊張がとけていくのがわかりました。
翌々日も大事を取って学校を休むと、次は土曜日。父も一緒のお休みの日になりました。「もう起きて平気なのか?」「うん、もうすっかりだいじょうぶ」。楽しい家族の団らんになりました。でもしばらくして、父が真顔になって、お前、学校でちょっとつらい立場なんだって?と切り出してきました。母が学校に休みの連絡を入れたら、そんな話をちょっと聞かされたようなのです。
うん、つらいにはつらい。でもみんなには嫌われたわけじゃなくて、誤解されちゃっただけだから。いつかきっと元に戻れると思う。もし元に戻れなくても、私にはこの家があるから。いつでも私をやさしく受けとめてくれる場所に、たった20分歩けば戻れるんだもん。だから学校で何があってもだいじょうぶ。私はそんなことを答えたと思います。
父も、辛くなったらいつでも帰ってこい、無理に下校時間まで頑張らなくていいぞと言ってくれました。やだー、親のくせに子供に学校さぼらせようとしてる。そう言うと母が言葉を挟んできました。
「お父さんは大学時代に講義をさぼってね、それでお母さんと出会ったのよ、つまりあなたはお父さんのさぼりのおかげで生まれた子」
「あはは、ひどーい」
いっぱい笑って、翌日の日曜日も楽しく過ごして、そして迎えた月曜日。どんなことがあっても私をやさしく受けとめてくれる場所に20分歩けば帰れる。この大きな安心感に見送られて、私は新しい一歩を踏み出しました。どんな時も私を守ってくれるわが家がある。だから何も恐くない。こうして私は学校に通い続けることができました。それからあと、私は学校でたくさんのすてきな思い出を作っていくことができましたが、それも、わが家という守りの場所が、私をささえてくれていたからだと思っています。
突然、何かが欲しくて欲しくてたまらなくなることがあります。私の場合は、世界初の裸眼3D技術採用というグラスレス3D液晶テレビでした。それまで、メガネをかけて立体的に見せるというテレビには、ほとんど興味がありませんでした。昔からあった赤と青のセロハンのメガネで覗く子供のおもちゃとどこが違うんだよ、って感じです。でも、視聴位置に応じて異なる複数の映像を映し出して立体映像を実現するという新しい方式は、なかなか本物という感じがしました。とても興味をそそられます。一度興味が出てしまうと、それが欲しくて欲しくてたまらなくなります。しかし、値段が高い。発売前の予定小売価格は、12インチという小さな画面の物が10万超え。20インチ型では20万円くらいになる模様でした。
しかも、画面の大きさに比べて、ボディがやたらでかいのです。12型は普通の小型テレビと似たようなパーソナルサイズですが、20型は今どきカラオケ店でも見ないような脚付きの大型です。これは設置場所に苦労しそうです。が、欲しくなってしまうと、そんな点も魅力のうち。新聞紙で実物大の型紙を作ってどこに設置できるかなどとシミュレーションを始めてしまうと、もう心は、手に入らない物を空想して夢の世界で遊ぶ子供と変わりません。その先は、際限なくおねだりを続ける駄々っ子になっていきます。
これ買ったら友だちに自慢できるなぁ。こういうのは発売直後に手に入れるからいいんだ。まだ扱っている店も少ない。話題を取るなら今だ。毎日毎日真面目に働いてるんだ。ちょっとくらい贅沢をしたってバチは当たらない。20万円、出せない金額じゃないぞ。そうだ、これは自分へのご褒美だ。買おう、買ってしまおう!!
発売予定日はクリスマス。これを予約すれば、最高の自分へのプレゼントになるはずでした。しかしその年のクリスマスは「クリスマス二日制のススメ」と題して、家族と過ごすクリスマス計画。
http://q.hatena.ne.jp/1288155028/275012/#i275012
家族と一緒にクリスマスの準備をしている間に、だんだん自分のご褒美への熱は冷めていくのを感じました。この私へのご褒美は、自分の部屋に置くことが前提です。でも、イエで時間を過ごすなら、私は家族と一緒にいたい。なんだ、せっかく買っても部屋でテレビなんて見ないんだ。それではせっかく買っても、新しいテレビが可哀想だ。やめたやめた。将来家族が3Dテレビを欲しがったら、その時に買おう。それでいいや。だんだんそんな気持ちにシフトしていきました。
テレビはリビングで家族と一緒に見るから楽しいんです。一緒のものを見て、それを話題にして楽しむ。家族の団欒の中に共通の話題を提供してくれる。それこそが家庭の中でのテレビの役割と言えるでしょう。家電マニアの自慢のタネで終わらせてしまったら、本当に製品が可哀想です。
リビングでは、「今日は○曜日だったか、このままこれ見ていいか?」。父がお気に入りの番組に目を輝かせています。「いいよ、俺もこれ見たい」と私。母がお茶を淹れて持ってきてくれます。こういう家族の輪が繰り広げていく何気ない日常の姿が、数十年後、きっと鮮やかな3Dの思い出となってよみがえっていくことでしょう。
幸せの青い鳥は実はすぐ近くにいるんだなんて言いますが、本当に欲しい物も、実はねだる前から与えられているんですね。それが、わが家。ここには私の本当に欲しい物が、望む前からあったんです。わが家、サイコー!!使わなかった20万は、しっかり貯金しておきました。いつか家族みんなの笑顔のために役立つ使い方が見つかった時、それを下ろそうと思っています。
一時期、年末年始を旅行先で過ごすのが恒例になっていたことがありました。父がそういう家族サービスに燃えていたのです。私も、有名な神社仏閣で除夜の鐘や初詣、海の初日の出、雪の中での新年などなど、自宅では味わえないお正月を、しかも毎年違う場所で迎えられることが楽しみでした。
でも、私が社会人になり、年末年始も関係なく仕事で飛び回るようになってしまったことが、この習慣を終わりにしてしまいました。このお正月、やっと私も少しワーク・ライフ・バランスのとれた働き方が出来るようになったので、どこかに行こうかと言ってみたのですが、父は、それなら敢えてイエでくつろぐお正月にしようという希望でした。母も、旅行しなくなってからお節の準備などが忙しくなったけど、手伝う人がいれば楽ちんになるからイエでのお正月がいいなという意見です。よ~し、それなら思い切りイエでのお正月を楽しもう!と、とてもイエはてな的な新年を迎えることになりました。
年末は、お正月のしつらいを整えたり、お節作りをしたりして、とても勤勉。ふー、くたびれました。やっと紅白歌合戦。ここで年末のイエしごとは全て終了です。母も私もゆっくりコタツに座って紅組がんばれー。おやおや、サービスで一杯つけたら、父はもう早々に横になってうとうとしています。
お父さん、こんなにお酒弱かったっけ?旅行先でも大晦日の夜は飲んでたけど、こんなことなかったよ。すると母が、旅先ではそれなりに気を張っているからよ。あ~、そうか、イエだから心の底からくつろげちゃうんだ、イエっていいね。
私たちもちょっと飲んじゃおうかと、女だけでかんぱ~い。あら、久し振りに頂いたら酔ってきちゃったと母。私もほんわか、いい気分です。寝ちゃダメ、新年のカウントダウンするんだから、むにゃむにゃむにゃ。結局父も母も私も、コタツでうとうとしながらの新年を迎えてしまいました。ハッと気が付くと、もう2011年。みんなでぼーっとしながらお茶をすすって、ぐだぐだの新年となりました。でも、最高のくつろぎで迎えた新たな年。素晴らしい温もりに満たされた年迎えになりました。
初詣、行く?行こうか。みんな、あったかくしてね。近所の神社にお参りして、うー寒いと、帰りがけにコンビニでおでん。うわー、お節より先にこんな物食べちゃったね、すごいお正月ね~と初笑い。みんなの息が白くなっています。イエに帰って、またかんぱ~い。初日の出、見損なっちゃうよ。いいよ、目を覚まして最初に見た太陽が初日の出。そうだね。あ~、また酔っぱらって、おこたでぐだぐだです。
元旦も、のんびりゆっくりの寝正月。去年までは私がイエに落ち着いていなかったせいか、父も母も、こんなにのんびりしている雰囲気ではなかったような気がします。誰も出かけない。誰も時間を気にしない。こんなくつろいだお正月は、私も久し振りでした。
家族がみんな揃うからこそ得られるくつろぎ。しかもそれは、場所がイエだからこそ実現できる特別なくつろぎなんですよね。このお正月は、そんなことを久し振りに実感しました。世の中には色々な幸せの感じ方がありますが、やっぱりわが家で感じる幸せが一番です。
先のいわしで「頑張れの代わりになる歌を集める」という通年サプリを書かせていただきましたが、実はこれにはもうひとつの切っ掛けがあったのです。友人の事情に関わることですから詳しく書くわけにはいきませんが、とてつもなく素晴らしい夢を持っている友人がいました。その夢は私の理想とも重なることでしたので、ずっと応援し続けてきました。しかし、夢半ばで彼は東京を離れることになってしまったのです。実家の事情で、どうしても家業を継がねばならなくなってしまったからです。
彼が東京を去った後、私はかなりガックリきていました。いつまでも親友だから、そのうち必ず会いに行くから、その時はきっとお前の新しい未来像を見せてくれよと明るく見送りましたが、正直落ち込みました。本当に辛いのは彼の方なのに、私までが自分の夢を摘み取られてしまったような虚無感に襲われました。
そんな時、父が愛用のギターを掻き鳴らしながら、一曲の知らない歌を歌い始めたのです。昔のフォークソング世代の父にしては、かなり新しい感じの曲でした。何気なく聞いているうちに、歌詞の内容が心に染み込んできました。
何それと聞くと、いい歌だろう、若いミュージシャンなんだけど、父さんと同じハミングバードで歌ってる人がいてね、気に入ったので覚えてみたんだよとのこと。ハミングバードとはギターの名前。もちろん父のは国産のコピーモデル、向こうはプロですから本物だと思いますが、父はとにかくそのギターが気に入っています。今までも、同じギターを使っているという理由だけで、たびたびCDを買ってきたりしていました。でも今回は、それだけの理由ではないと直感しました。歌詞の内容が、あまりに今の自分にぴったりすぎたからです。
東京を去っていった友人は、わが家にもよくやってきていました。父も交えながら、酒など酌み交わしつつ夢を語り合ったことも一度や二度ではありませんでした。ですから私たちに起こったことのだいたいは、父も知るところとなっていました。そんな私に聞かせたくて、この歌を覚えたに違いないと思えたのです。
その歌、俺にも教えてよと父に頼み、一緒にギターを弾きながら歌ってみました。いい曲です。あぁ、そうなんだ。自分も彼も、まだまだ目標や希望に向かって赴いていく途中。失った物を数えるだけでなく、今ある希望、これから手にする希望の数も数えていこう。まだ自分は彼と手を取り合っている。形は変わっても、夢の本質は変わらない。父にその歌を教えてもらいながら、そんなふうに思えるようになってきました。今度彼に会いに行く時は、ギターを抱えていこう。そしてこの歌を一緒に歌おう。そう思いました。
親というのはありがたいものです。時には、世代が違う、考え方も違う、わかりあえるはずがないなどとも思ってしまいますが、本当は誰よりも子供の本質を理解し、見つめ続けてくれている人なのですね。こんな親のいてくれるわが家に、心から感謝しています。
家族での誕生会は楽しいですね。
核家族が進む現代は家族の絆が薄くなる。
その状態の家族による誕生会は斬新で嬉しくて何か照れクサイもの。
誕生会の誕生日プレゼントを何にするかの選択は意外と贈る方が楽しくなるものなんですね。
人の寝顔は微笑ましく感じます。
それは赤ちゃんであれ大人であれ同じだからです。
顔の表情は顔筋が作り出しますが、寝ている時が一番表情の緩む自然の形です。
これを見れば”ホッ!”とする一時が得られますね。
でも”いたずら”支度なる顔表情でもありますね。
人は環境の激変を嫌います。
気分一新にと旅行をして環境の一時変化を望みます。
そして、気分一新をした後には自分の今までの環境に帰還したいという願望が生まれます。
住み慣れた環境、安住出来る環境。
自分の住み慣れた環境に戻る事で人は安住安心を得ます。
それが人の本能なんですね。
確かに”鼻歌”は気分の良い乗っている時に出るものですね。
でも気分の悪い絶不調の時にもこの手法は使えます。
自分が絶不調で気分の乗らない機嫌の悪い時にも”鼻歌”を唄う事で不思議と気分が乗って来ます。
そして機嫌が悪くても”鼻歌”を唄い続ける事で気分も良くなるのです。
不思議ですね。
人は感情の動物たる所以ですね。
お試しあれ!
私も入院したことがあります。
大病というほどではなかったけれど、数日間家に帰れませんでした。
急性胃炎だったので、病院食はおもゆとかおかゆばかりで、あまり味わうことが出来ませんでした。看護婦さんがくるくる・ぱたぱたと、よく働いていた(というか、あまりにも過酷そうに見えた)のを覚えています。
私はケチなので、テレビを見るカードを買いませんでした。体調のよい時には文庫本を読んだりしていましたが、退屈でした。
そして何よりも猫!(←id:fumie15さんと同じ!)
猫は病院にお見舞に来れないですし、やっぱり、淋しい。
猫も「いつもいる人が居ない」というのは分かっていて、家で淋しそうにしていたそうです。
入院すると、健康と、普段何気なく過ごしている日常とが、とても大切なものであるなということを、痛感いたします。
私がイエで、幸せに思う瞬間は、いくつもありますが、その一つが家族のうた(鼻歌)です。
もちろん自分で歌うのもいいけれど、なんだかしあわせな気分になれる家族の鼻歌を聞くひとときが好きなんです。
それは小さい頃から、歌のある暮らしの中で育ってきたことがとても大きいと思います。
たとえば、父が日曜大工をしながら鼻歌を歌っていると、それに合わせて他の家族も一緒に歌い出し始めたりして、
いつも誰かしらが「うた」を歌っているような家でした。
それが当たり前だと思っていたのですが、友だちが家に遊びに来たときに
「どうして、ムッシー(私のこと)さんの家族はみんな歌ってるの?」
と言われて、とてもビックリしたのをよく覚えています。
家族の歌や鼻歌ってうつりませんか?
これは我が家では普通のことだったのですが、その友達は賛同してくれなくってあれ?っと思いました。
娘の鼻歌はいくら調子っぱずれでも、すぐに元歌がわかるので、ついつい一緒にハミングしてしまいます。
夫も気付くと娘と一緒にお風呂で鼻歌を歌っていることがあるので、この感覚は私と一緒だ~。
娘、現在2才。小さい頃から音楽に合わせておどっている子で、音楽が大好き。
お風呂に入ると自然に鼻歌が出てきますw
彼女はゴキゲンだと歌を歌いだすので鼻歌で機嫌のよしあしが分かりやすいです♪
また、月末になるといつも鼻歌を歌いながらあちこちを相棒のスチームモップで掃除をする夫。
家族の鼻歌が聞こえてくると「あ~、いい気分で過ごせてるんだなぁ~」っと嬉しくなります。
そしてついつい私も一緒にうたを口ずさみながら、幸せをかみしめています。
これからも、大好きな人たちがいつも歌を歌いたくなるようなムードのイエでありますように。
自分は以前は子供が苦手だったが、今ではいわゆる「子煩悩」な方だと思う。
結婚し息子が生まれ、次に娘が生まれてからこの方、いままで自由を満喫するのが幸せだと思っていたが、
それまでの自分だけの世界が色褪せ、家族が待っている我が家が一番の楽しみになった。
仕事が終わるとスッ飛んで帰り、子供としりとり(今息子のマイブーム)やレンジャーごっこをしたり、
娘の面倒を見ながら一緒に遊ぶことが一番の癒しであり、楽しみになった。
妻ともその日会社であった話をしたり、一緒にテレビを観て感想を言い合ったりする、そんな時間が活力になっている。
だから、我が家で過ごす家族との時間が自分にとって一番大事な時間、他の何ものにも代え難いものとして。
いつか・・・・想像し難いことではあるが、多分あと10年もしたら子供達は反抗期を迎え、自分達とは反目しあい
また15年もしたら長女は自分の手を離れ、20年後にはきっと嫁に行ってしまうのだろう(;´Д`)
限りがあると分かっているからこそ、この時間を大切にしなくてはと思う。
そんな我が家では、家族の誕生日会が大事なイベントだ。
誕生日はそれぞれ年に1度のことだが、家族全員そろって祝うことにしている。
年末に下の娘の誕生日会をした。早いものでもう2歳。
娘の誕生日には、妻と一緒に特製「オレンジのシフォンケーキ」を作った。
見事ふんわり膨らんでたっぷり入れたオレンジの皮の香りもよく、手前味噌だが美味かった!!
ちなみに生クリームと果物のトッピングは息子が担当。
ケーキを回さず果物を載せたので上と手前側しかデコレーションされていない(笑)
娘は、自身の写真と飾りが付けられた部屋でケーキとみんなからお祝いの言葉と歌とプレゼントをもらえて、大興奮!
きっと夢のような日だったことだろう。
自分は、みんな揃っての食事が家族の基本だという両親に育てられた。
なので、定期的に一族で集まって食事を共にしたり、両親の誕生会も子供達と一緒に行ったりする。
みんなで食事をすることで食を通して心が通い、お互いを思いやる気持ちが持てるのではないかと思う。
世代間の交流もできて子供達にとって良い刺激になるため、有り難い。
親が子供の成長を祝い、今後の日々の幸せを望む姿、子供が親の苦労や心配に対して何ができるか、どうするかを考えていく姿を、家族の誕生日に毎回確認しあうことが、思いやりの気持ちを育むのだと思う。
年をとるのを楽しめる、毎年お互いの誕生日を祝いあう家族でこれからもありたい。
わが家には、やさしく大人しい息子と、よく男の子と間違われる、やんちゃな娘がいます。
夫は二人とも、よくかわいがっており、イエにいる時には大抵一緒になって遊んでいます。
私もうらやましいので、家事が一段落すると、よくそこに混ぜてもらいに行きますw
たとえば、フローリングの居間にプレイマットを2畳分ほど敷いてあるところに寝転がった夫に
みんな、ぎゅ~ぎゅ~とくっついて寝ころがりTVをみたり音楽を聴いたりしています。
夫の大きな上下するおなかに、頭を載せると一番気持ちよくって、幸せを感じる場所なのでみんな取り合いです。
力では子どもは私にはかなわないのでw、そんな時にはジャンケンで順番決めをします。
また風呂に入る順番を決めたり、物を取って来るのを決めたりするのもジャンケンで。
子ども達の会話やTVを見ながら笑う主人につられて、みんなで笑う、そんなひとときが大好きです。
家族の触れ合いを通して元気のエネルギーを家族に与えてくれる夫のおかげで、外での仕事や人間関係でエネルギーを消耗しても毎晩こうして充電しています。
必要な時には厳しく叱ることもありますが、優しくて面白く、時に厳しい夫がみんな大好き。
そんな夫が朝起きてすぐと、仕事に行く前、そして仕事から帰った時と夜寝る前に私たちとすることは、ハグ&キスです。
最初はもちろん私w
ギュっと抱きしめて、それからほっぺかおでこにチュ~。
子ども達も当然のこととして、順番に待っています^^その次は私と子ども達。
うっかり忘れたフリをしていると、息子は大袈裟に「も~ぼくを忘れないで~」と言って催促します。
娘は「あ~」といいながら後をおいかけてくっついてきます。
子どもたちは、きっと保育園の友達み~んなも、イエでは家族でハグ&キスをしていると思っているにちがいないw
また、私が体調が悪い時に、夫と子ども達を居間に残し、一人隣の和室で横になっていると襖ごしに三人の話し声や笑い声、
オモチャの音や夫が片付けをしたり、お皿を洗う音などが聞こえてきます。
そして私ってあまり役に立っていないなぁ~と思ったりして落ち込んでいると、音が途切れてどうしたのかな?と思ったら「大丈夫?もうよくなった?」と夫や子ども達がオモチャや本、飲み物を持って交代でのぞきに来てくれるんです。
すると、現金な私は、私ってみんなに必要とされているんだなぁって、じ~んとしてしまいます。
私にとっても夫と子ども達はとても大切な存在、家族とはみんなの思いやりで作られているものだと日々実感しています。
こんな家族にいつも大感謝です。
やっぱり家族皆んなで食事するのは美味しく戴けますね。
気心の知れた家族は心の栄養までも美味しく感じさせてくれる。
外食と内食の違いは心の存在。
楽しく笑顔の会食は栄養満点。
”家族食”万歳ですね。
やっぱり家族皆んなで食事するのは美味しく戴けますね。
気心の知れた家族は心の栄養までも美味しく感じさせてくれる。
外食と内食の違いは心の存在。
楽しく笑顔の会食は栄養満点。
”家族食”万歳ですね。
生活の環境は自分ではどうにもならないものです。
そのどうにもならない環境に逆行するのでなく順応する事でその環境をより良いもので出来るのですね。
そしてその環境を保ち不足している環境を提供してあげる事で皆んなが幸せを感じる事が出来ますね。
住み慣れた環境、生活馴れした生活は自分の心を充実させますね。
それが心の栄養補給ですね。
食べる時間帯が、仕事等で普段はばらばらですが、年末年始はさすがに揃って食べましたね。
なかなか成人すると、難しい状況ですが、できれば家族揃って食卓を囲いたいですね。
私もまさにそのことを考え付きました。
友人たちとの楽しい旅行。
実家への帰省。
すべてが楽しくて、その時間も最高のものですが
旅先から戻ってきた時、玄関のドアを開けて荷物を置いて電気をつけた瞬間。
まだ冷え切った部屋、旅行の荷物の後片付けすべてのことをおいておいて
「やっぱり家が一番落ち着くなぁ」
と感じます。
そう思える、帰る場所があるということは本当にすばらしいことですね。