アルテミスは、ローマ神話にディアーナとして登場しています。
そのため、ローマにアルテミスがあったとしても不思議はありません。
このことは、エフェソスはローマの支配下にあったということと関係が深いのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8...(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%A5%9E%E8%A9%B1)
ディアーナ(ラテン語:Diāna) あるいはディーアーナ (Dīāna) は、ローマ神話に登場する、狩の女神。日本語では長母音記号を省略してディアナとも呼ぶ。英語読みダイアナ (Diana) でも知られる。ギリシア神話ではアルテミスに相当する。
エフェソスはヘレニズム都市として栄えたが、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り、小アジアの西半分を占めるアシア属州の首府とされた。共和制ローマ最末期に第二回三頭政治の一頭として権力を握ったマルクス・アントニウスがプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した地で、かつクレオパトラとの内戦で敗北して捕虜となったアルシノエ4世が送られ、そしてアントニウスら2人の意向により殺害された地としても知られている。その後、古代ローマ帝国の東地中海交易の中心となった。現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので、巨大な図書館と劇場を備えていた。劇場は当時最大のもので、5万人が収容された。エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったが、土砂の沈降により2世紀頃から港湾の規模は縮小されていった。これは、エフェソスの側にある2つの山から流れ込む土砂の堆積によるものであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B...
ティヴォリのエステ家別荘 にあるエフェソスのアルテミス像の事だと推察します。
画像:Fontana di Diana Efesina-Tivoli, Villa d'Este
(英語圏では Altemis ではなく Diana と誤解している人が多いようです)
Tivoli - Villa d'Este の Villa d'Este - Goddess Nature fountain によれば、この像は最初の所有者であるイッポーリト2世が作らせたもので、古代ローマ時代のアルテミス像のコピーだそうです。
元々は、オルガンの噴水(The Fountain of the Organ)の中央、現在オルガンが置かれている場所にあったそうですが、1605年にエステ家別荘の所有者になったアレッサンドロ・デステが大改修を行った際に、現在の場所に移動されました。
移動された原因は二つあって、
1. オルガンを入れるため
2. 対抗宗教改革 によって異教的なものが攻撃される流れになったため
との事です。
イッポーリト2世は考古学が趣味で、エステ家別荘を設計した ピッロ・リゴーリオ(ピーロ・リゴーリオ)とともに、ヴィッラ・アドリアーナ を発掘して多数の彫刻を入手したそうですので、その中にアルテミス像の原型になったものがあったのかもしれません。
ヴィッラ・アドリアーナの完成は西暦133年で、アルテミス神殿の歴史 によれば、ゴート人がアルテミス神殿を破壊したのは西暦262年です。
以上、ご参考になれば幸いです。
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