九州で「これを見つけられれば大発見」「解明できれば大発見」のような歴史上、いまだに解明されていない事象はあるのでしょうか?

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  • 13歳以上
  • 登録:2011/04/28 12:54:48
  • 終了:2011/05/05 12:55:02

回答(7件)

id:taknt No.1

きゃづみぃ回答回数13481ベストアンサー獲得回数11982011/04/28 12:58:32

ポイント18pt

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%B...

邪馬台国

邪馬台国の所在地が九州か近畿かわかりませんが、九州で見つけたら 大発見 言うことなしです。

id:dogmanman

日本最大の謎ですね。

もっと知られざるものはないものでしょうか?

2011/04/28 13:45:05
id:Galapagos No.2

Galapagos回答回数963ベストアンサー獲得回数892011/04/28 20:03:51

ポイント17pt

天孫降臨(ニニギノミコトの降臨)は本当にあったのか?

あったとすれば、西臼杵の高千穂か、霧島の高千穂峰か?


参考「高千穂神社

id:suppadv No.3

suppadv回答回数3552ベストアンサー獲得回数2682011/04/28 22:25:24

ポイント17pt

九州の埋蔵金(「日本の埋蔵金」研究所 サイトの中)

他の地域の埋蔵金もここでみることが出来ます。

http://komiyama.gr.jp/treasure/kyusyu.html#kyusyu

 

◎九州地方の代表的な埋蔵金

◆ 天草四郎の埋蔵金(熊本県)

【埋蔵額】=六キロの黄金の十字架

【埋蔵者】=天草四郎

【埋蔵時期】=寛永年間

【埋蔵地】=天草郡下島本渡

【背景】=キリシタン弾圧による寛永十四年の島原の乱で、原城に立て籠もった一揆軍のリーダー、天草四郎。二ヶ月を越す長期戦でついに勇猛果敢な戦いを示した一揆軍も落城覚悟。その際、四郎は女、子供、そして老人を密かに天草に帰すことを決意。同時に軍資金など、すべての財宝を隠してキリシタンの子孫に残すことにしたのだ。

六キロの黄金の十字架、金銀製燭台二十基、南蛮塗りの宝石をちりばめた王冠、そして大判小判。

財宝の守り役として選ばれた小山田慶信が後に埋蔵地を表すと思われる書き付けを残し失踪。そこには大きな目印となる三角池が描かれていた。そして上島から出た十字架に「さんしゃる二 こんたろす五 くさぐさのでうすのたからしずめしずむる」の文字。内野河の源流が三角池か。


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◆ 伊藤小左衛門の埋蔵金(長崎県)

【埋蔵額】=二百五十万両以上

【埋蔵者】=伊藤小左衛門

【埋蔵時期】=寛文年間

【埋蔵地】=壱岐郡壱岐島

【背景】=筑前粕屋郡の貧農から身を起こし当代の豪商にのし上がった小左衛門。個人で小判を吹くほどの勢いを、さらに二代目の小左衛門が盛り上げた裏には、回船問屋の顔と、海賊という裏の顔があったという。

その裏家業で稼いだ財宝の隠し場所が壱岐島だったという。そして黒田藩に小左衛門が捕らえられた時の没収額が二百五十万両。当然裏の財宝はそれ以上は確実で、懸命の黒田藩の追求にもとうとう黙りを決めたまま冥土の土産、と道連れにした小左衛門だった。

だが、これだけの埋蔵金情報が漏れないはずはなく、生き残った部下の久三郎という男が一部を掘り出し贅沢三昧。その息子に伝わった秘密の場所も、思いもかけない恐怖の出来事で、埋蔵金には近寄らなくなったという。そして小左衛門のの宝はそのまま現代に残るというのだが。


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◆ キャプテン・キッドの埋蔵金(鹿児島県)

【埋蔵額】=一億ドル

【埋蔵者】=キャプテン・キッド

【埋蔵時期】=一七〇〇年頃

【埋蔵地】=奄美大島十島村宝島

【背景】=キャプテンキッドに宝島、とまるで海外の埋蔵金のようだが実は日本を背景にしたもの。

ことの起こりは昭和十二年「日本東京、日本領事館」宛で「コネチカット州サウシントン市米国探偵家秘密情報員」から届いた一通の郵便であった。

「この地図は一七〇〇年頃キッド自身が書き残した記録の写し……」で始まる内容は実に荒唐無稽と言うもの。そこにはなんと、海賊キッドが東シナ海で稼いだ財宝を南西諸島の宝島に埋めたというのだ。夢のような内容だがこれが新聞報道されるや南の島は空前の宝探しブームにわいた。

「宝のある場所は、死の谷と名付けられる窪地、活火山から噴出する有毒ガスが常によどんでいる」宝島では東側の経ヶ峰が当てはまる、そして鍾乳洞の洞窟もあり絶好の場所。しかし、何度かのブームによる宝探しが行われたが発見したという情報はない。

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☆福岡県の埋蔵金

◆ 善徳長者の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=善徳長者

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=大牟田市大字勝立

【背景】=「旭さす夕日てりこむ木の下に油千杯朱千杯座頭の杖の飛ぶ飛ばぬ」の言い伝えとともに善徳長者の埋蔵金伝説が残っている。


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◆ 芦屋海岸の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭八千枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=遠賀郡芦屋町

【背景】=芦屋町幸町の海水浴場で昭和五十三年頃から中国銭が見つかるようになり、人々が探した結果、唐時代の開元通宝から明治の十銭銀貨まであわせて八千枚あまりが収集された。


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◆ 良成親王の埋蔵金

【埋蔵額】=黄金千枚ほか

【埋蔵者】=親王側近

【埋蔵時期】=南北朝時代後

【埋蔵地】=八女郡矢部町

【背景】=南北朝時代に懐良親王のあとを継いだ良成親王が合一後もこれを受け入れず当地で没したが残った側近たちが南朝方の軍資金を埋蔵したというもの。良成親王の陵墓付近と大塚山といわれている。


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◆ 奈良時代の飾り玉

【埋蔵額】=黄金の飾り玉

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=奈良時代

【埋蔵地】=小郡市

【背景】=奈良時代の住居跡などを発掘中の干潟遺跡から純金製の飾り玉が発見された。直径約8mmの球体で、文様などからペルシャ等、シルクロードを運ばれてきたものと推測される。

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☆佐賀県の埋蔵金

◆ 蒜美禰の埋蔵金

【埋蔵額】=二万両

【埋蔵者】=山田屋の娘玉野

【埋蔵時期】=延宝年間

【埋蔵地】=伊万里市立花町

【背景】=伊万里の藩邸の勤めに出た山田屋の娘玉野はめでたく殿の子を産んで“蒜美禰の局”となり宿下がりとなったが、母子ともにはやりの病でなくなってしまた。藩からの二万両を屋敷の庭に埋めたという。


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◆ 波多家の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=波多家家臣

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=東松浦郡北波多村

【背景】=朝鮮の役で加藤清正の配下として戦った波多家だが、策謀により頭首配流、所領没収の憂き目を見た家臣がお家再興を願って埋蔵。岸岳の「姫落としの抜け穴」には怨念がこもっているという。

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☆長崎県の埋蔵金

◆ バルチック艦隊の埋蔵金

【埋蔵額】=財宝

【埋蔵者】=ロシア・バルチック艦隊

【埋蔵時期】=日露戦争時

【埋蔵地】=上県郡上対馬町琴村沖

【背景】=日本近海の海底の黄金の代名詞のように言われるナヒモフ号やイルティッシュ号のバルチック艦隊の沈没船。たびたび引き揚げ計画が話題になるが、引き上げ自体にも数十億単位の金がかかる一大事業。


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◆ デウス号の埋蔵金

【埋蔵額】=白銀二千六百貫

【埋蔵者】=貿易船デウス号

【埋蔵時期】=慶長年間

【埋蔵地】=長崎市長崎港口

【背景】=ポルトガル貿易船、デウス号が有馬晴信との三日に及ぶ戦いで火災を起こし、ペッソア提督自ら火薬庫に火を放ち沈没した。徳川時代に何回か引き上げが実行されたが八百貫程度しか回収されていないという。

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☆熊本県の埋蔵金

◆ 阿蘇の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭一万五千枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=十六世紀前半

【埋蔵地】=阿蘇郡一の宮町

【背景】=平成元年、一の宮町北坂梨の耕地で瓶を発見。明銭の洪武通宝や永楽通宝、開元通宝など四十種、合計一万五千枚の銅銭がでてきた。


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◆ 合志町の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭三万枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=天保年間

【埋蔵地】=菊池郡合志町

【背景】=昭和六十一年、合志町栄で農家の床下から古銭が大量に出現。寛永通宝や仙台通宝、開元通宝などが混ざってその数なんと三万枚。


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◆ 琳聖太子の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=琳聖太子

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=八代市龍峰

【背景】=この地は百済から来た琳聖太子にまつわる逸話が多いが龍峰山には琳聖太子がつれてきたという猫の墓があり、ここに埋蔵金伝説あり。


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◆ 黒峰山の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭千五百枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=上益城郡清和村

【背景】=昭和五十五年清和村大字鎌野で遠足の小学生が黒峰山参道近くから大量の古銭を発見。和同開珎、万年通宝など十二種、千五百枚収集。

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☆大分の埋蔵金

◆ 大友宋麟の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=大友宋麟

【埋蔵時期】=

【埋蔵地1】=別府市四極城跡

【埋蔵地2】=大分市府内城跡

【埋蔵地3】=臼杵市臼杵城跡

【背景】=南蛮貿易で巨万の富を得た大友宋麟。その富を埋蔵したというのだが、最も有望視されるのは難攻不落とされた四極城で四つに分けて埋蔵そのうち三つは軍資金に使い、一つは発掘され、府内城のものも城の手入れ中に発見。臼杵城は地形変化で海中に没したと見られている。


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◆ すみ焼き小五郎の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=小五郎

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=臼杵市

【背景】=炭焼き師から立身出世し長者となった小五郎が子孫のためと財宝を埋蔵したといわれる。


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◆ 平家落ち武者の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=玖珠郡九重町

【背景】=各地に平家落ち武者の伝説が残っているが鹿児島県の内之浦同様に、平家軍資金として九重町大字松木にも埋蔵金伝説が残されてる。平家山と呼ばれる山の向かいの山に埋蔵金を隠したという。

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☆宮崎県の埋蔵金

◆ 坂本城の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭五万枚

【埋蔵者】=高千穂領主三田井氏

【埋蔵時期】=戦国時代

【埋蔵地】=西臼杵郡五ヶ瀬町

【背景】=五ヶ瀬町坂本に残っていた「城内をくまなく調べよ。朝日がいちばん早くさし、夕日がいちばん遅くまで光を投げかけるその場所に財宝の壺が眠っている」の言葉通り城跡から、開元通宝など五十三種の古銭が昭和三十二年に発見されている。


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◆ 石櫃山の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭十二万枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=日向市塩見

【背景】=昭和五十三年、塩見の石櫃山を削っていた造園業者が三百キロの古銭を発見。開元通宝、大定通宝など十二万枚と、日本で三番目の量。


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◆ 浦城水軍の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=松永義清

【埋蔵時期】=中世

【埋蔵地】=延岡市

【背景】=伊予の海賊河野党の一派で日豊海岸の浦城を根城に日向灘を制していた水軍の親分、松永義清が大友宗麟によって滅ぼされたとき再興を期して「オオヤ千軒」に軍資金を埋蔵したという。

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☆鹿児島県の埋蔵金

◆ 平家落ち武者の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=山野孫兵衛

【埋蔵時期】=寿永年間

【埋蔵地】=肝属郡佐多町

【背景】=敗色の濃い平家の婦女子を連れて落ち延びた山野孫兵衛らが船で暴風に流された果てにだとりついたのが佐多岬であった。佐多岬の外の浦に「わが子孫の窮する時は墓を掘れ」の埋蔵金伝説がある。


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◆ 平家落ち武者の埋蔵金

【埋蔵額】=

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=阿久根市赤瀬川桑島

【背景】=同じ平家落ち武者でもこちらは壇ノ浦から流れてきた一家が海賊に会い、船もろとも大量の金とともに沈んだという埋蔵金伝説だ。


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◆ ソンナキの山の埋蔵金

【埋蔵額】=古銭六千二百十五枚

【埋蔵者】=

【埋蔵時期】=

【埋蔵地】=大島郡天城町

【背景】=昭和四十四年、天城町松原の通称ソンナキの山の採石場から重量十八キロの古銭六千二百十五枚が発見された。

id:yam3104 No.4

三十四回答回数499ベストアンサー獲得回数252011/04/29 00:04:46

ポイント17pt

「天孫降臨の地」筑紫日向高千穂峰

福岡(北部九州)か、宮崎県北西部の高千穂町か、霧島連山か……

幾つかな説がありますが一例をば。

 天孫降臨(天下り)の経路については、日向国の高千穂峰に降り、吾田国 長屋の笠狭碕に到達したとする説が有力である。一方、古事記には「竺紫」=「筑紫」、日本書紀には「筑紫」とあり、このため降臨地は「筑紫国の日向」であって、後世の「日向国」ではないと解釈する異説がある。

 これらの「筑紫」の位置、場所の選択と議論によって、「天孫降臨」と「神武東征」の出現という日本史の根源的事件に関して、大きな疑問と混乱を惹起していた。

 しかし、「古事記」によると、古代においては、「九州本島」自体が「筑紫嶋」と呼ばれていたという。

これにより「筑紫」とは、後世に話題となった北九州に限定した場所ではなく、宮崎や鹿児島も「筑紫嶋」に含まれていたことになる。従って、「筑紫の日向」=北九州説は、後世の捉え方であり説得力を失うのである。

 また、「天孫降臨」の表現は、もともと存在していない。日本書紀では、「日向の襲の高千穂峯に天下った」である。「天降り」即ち「天下り」は王族が新天地に移った、遷都した」という意味だという。

天や空から降りてきたという話では無いのである。

(後略)

http://www12.ocn.ne.jp/~n2003ito/sub092.html

id:gtore No.5

gtore回答回数2481ベストアンサー獲得回数4372011/04/29 08:36:07

ポイント17pt

http://blogs.yahoo.co.jp/cjc_skj/23019849.html

原城抜け穴 謎解明へ 天草四郎 脱出探った?


世界遺産登録見据え調査 南島原市 新年度から

 長崎県南島原市は、江戸時代最大のキリシタン一揆「島原の乱」(1637-38年)で天草四郎率いる一揆軍が立てこもった国指定史跡「原城跡」(同市南有馬町)に残る「抜け穴」の発掘調査に新年度から着手する。抜け穴は落城時に一揆軍の一部が脱出に使ったとの説もあり、公的調査は初めて。乱をめぐる謎の解明を図るとともに、世界遺産登録をにらんだ城跡の整備にも反映させる。

 抜け穴は、有明海に面したがけの上にあった同城本丸の地下に存在。干潮時にしか近づけないがけの側面(海岸から高さ約6メートル)に、出入り口(高さ約1・4メートル、幅約1メートル)が残っている。

 穴の存在は古くから知られていたが、国史跡指定(1938年)により発掘を伴う調査も制約されており、建造時期や目的は不明。63年に地元郷土史家グループが測量調査などを行った直後、豪雨で内部が崩落し、人が入れなくなった。この調査で出入り口から約30メートル奥に3畳ほどの空間があることが確認され、中には乱当時のものとみられる瓦や刀片もあったという。

 今年9月、東海大の研究グループの小型ロボットカメラ調査で、これまで判明していた部分より奥に空間があることが判明。空間には石で人為的に埋めた形跡があり、一揆軍が埋めたか、幕府軍が埋めたかを調べることで、穴の用途解明の手掛かりとなる可能性も出ている。

 同城跡は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産登録を目指しており、同市は整備計画を策定中。松島世佳(つぐよし)市長は年明け、文化庁に発掘許可を申請する方針で「空間はキリシタンの祈りの部屋という説もある。当時の信仰の様子も分かるのではないか」と期待している。

(2009/12/30付 西日本新聞)

id:chihiro930 No.6

☆スピン☆回答回数29ベストアンサー獲得回数12011/04/29 11:11:30スマートフォンから投稿

ポイント17pt

加藤清正が書いた手紙などですかね。

加藤清正は、熊本では、有名です。なのでもし見つかったら、大スクープになるでしょう。

id:yk1997kobba No.7

こっば回答回数2400ベストアンサー獲得回数2122011/04/30 11:21:25

ポイント17pt

阿蘇ピンク石は『大王のひつぎ』か?

http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/46297479.html

5世紀後半から6世紀前半の古墳ではピンク石使用石棺の古墳は12例確認されています。ところがそのほとんどが比較的小規模な古墳であり、大王級の古墳は今城塚古墳だけなのです。従って、阿蘇ピンク石を「大王のひつぎ」とする表現は不適当ということになります。この事実には、わたしも少し驚きましたが、更に驚いたのが、九州の古墳では阿蘇ピンク石が石棺に使われた例はないということです(現時点では未発見)。

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