詩写梅花月 茶煎谷雨春
と書かれているのですが、どういう意味なんでしょうか?
茶を歌った5字の対聯(ついれん)。
対聯の意味はこちら↓など参照ください。
http://www.chinawork.co.jp/e-sasaki/sasaki-18.htm
この画像↓の
http://img1.ddmapimg.com/poi/960917_174632_28.jpg
入り口両脇に掲げられているのも、そうですね
(これは7字の対聯、なんて書いてあるのか自分には読めませんが)。
「詩写梅花月 茶煎谷雨春」は、
詩は梅花の月に写し 詩を写す(書く)なら梅花の月(が良い)
茶は穀雨の春に煎る 茶を煎る(煎れる)なら穀雨の春(が良い)
かな、と。
ここで言う「穀雨」(“穀”は簡体字では“谷”と書く)とは二十四節気のひとつで4月20頃もしくは
この日からの15日間。中国ではこの頃、新茶が出回るようです。日本の八十八夜は穀雨の終わり頃(5月2日頃)。
風流な読み方をすれば「梅花をうたう詩、穀雨の頃の茶はともに季節をしみじみと感じさせてけっこうなものだ」と取れるだろうし、
意地悪い読み方をすれば「ヘボでも梅花をうたえばそれなりの詩になるし、ヘタが煎れても新茶はうまい」という意味にも取れそう。
まあ、両方のニュアンスを含んでいるんでしょう。
いずれにせよ、中国ではよく知られた茶詩(茶をうたった詩、中国にはそういう詩のジャンルがあるんですね)として
親しまれているようです。
古典中国の残影を求めて によれば、「単に漢字を対にならべればよいというものではない」そうです。
意味のほうですが、私が検索した限りでは、日本語で解説したページは見つかりませんでした。
诗写梅花月,茶煎谷雨春_古今茶事_中国茶叶网 や 茶煎谷雨春--宁海新闻网 を エキサイト翻訳で機械翻訳 した結果からの推測です。
「詩は梅の花の月を詠み、茶は穀雨の春を煎じる」
前半は、梅の花の月(3月ごろの月だと思われます)が詩の題材に良い時期である、ということでしょう。
後半ですが、原文の 谷雨 は、日本語では 穀雨 ですので、新暦の4月20日ごろになります。
春の穀雨の前後に摘んだお茶は、天候に恵まれているので、葉の色も良くビタミンやアミノ酸にも富んでいて、味も香りも良いもののようで、珍重されているそうです。
ご参考になれば幸いです。
ありがとうございます。
茶を歌った5字の対聯(ついれん)。
対聯の意味はこちら↓など参照ください。
http://www.chinawork.co.jp/e-sasaki/sasaki-18.htm
この画像↓の
http://img1.ddmapimg.com/poi/960917_174632_28.jpg
入り口両脇に掲げられているのも、そうですね
(これは7字の対聯、なんて書いてあるのか自分には読めませんが)。
「詩写梅花月 茶煎谷雨春」は、
詩は梅花の月に写し 詩を写す(書く)なら梅花の月(が良い)
茶は穀雨の春に煎る 茶を煎る(煎れる)なら穀雨の春(が良い)
かな、と。
ここで言う「穀雨」(“穀”は簡体字では“谷”と書く)とは二十四節気のひとつで4月20頃もしくは
この日からの15日間。中国ではこの頃、新茶が出回るようです。日本の八十八夜は穀雨の終わり頃(5月2日頃)。
風流な読み方をすれば「梅花をうたう詩、穀雨の頃の茶はともに季節をしみじみと感じさせてけっこうなものだ」と取れるだろうし、
意地悪い読み方をすれば「ヘボでも梅花をうたえばそれなりの詩になるし、ヘタが煎れても新茶はうまい」という意味にも取れそう。
まあ、両方のニュアンスを含んでいるんでしょう。
いずれにせよ、中国ではよく知られた茶詩(茶をうたった詩、中国にはそういう詩のジャンルがあるんですね)として
親しまれているようです。
茶器(タンブラー)には、この言葉の上に、梅の枝の絵も描かれています。
お茶を飲むたびに疑問に思っていました。ありがとうございます。
茶器(タンブラー)には、この言葉の上に、梅の枝の絵も描かれています。
お茶を飲むたびに疑問に思っていました。ありがとうございます。