1315458450 【大正時代風の石造りの家】


たま〜に当時の石造りなノスタルジックな家を発見し、実際に住んでらっしゃる気配を感じると素敵だなぁーと思います。大正時代の石造りの家カッコイイ!!
先日も一軒発見しました。

そして、よく見ていると…「アレ?」と気づいた事があります。

3軒程しか見つけたことはないのですが、どの家にも共通のように「海沿いにありがちな木」が植えてあります。私の生活圏内には近場に海がないので自宅に海沿いにありがちな木を植えているお家は殆どないのですが。。。なんとなく「グラバー園」絡みのような気がしますが、敢えて自分で調べずに、良い答えがいただけるここで質問してみることにしました(^_^)宜しくお願いします

★「わかりません」「なぜでしょうね」等答えになっていない回答は不要です。
★内容が正しくともURLをズラズラッと貼っただけの回答は不要です。

回答の条件
  • 1人2回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2011/09/08 14:07:31
  • 終了:2011/09/13 02:55:38

ベストアンサー

id:meefla No.6

meefla回答回数984ベストアンサー獲得回数4602011/09/11 18:23:10

ポイント70pt

決定的なソースが見つからないので、私見を含むことをお断りしておきます。


シュロの木そのものは、棕櫚・棕梠という漢字が当ててあったり、棕櫚紋佐々氏富士氏米津氏)が存在する事からもおわかりのように、江戸時代以前から知られていました。

和歌山県での棕櫚栽培の起源は、およそ千二百年もの昔に、弘法大師(空海)が唐(中国)から持ち帰った種子を、寺院の庭先に蒔いたことに始まると言われています。

棕櫚の木 より。


しかし、一般家屋の庭先にシュロを庭園樹として植えるようになったのは、近年になってからであると思われます。


中国では寺院に多く見られる。古来シュロやソテツを眺めていると色情を失うというので特に寺院に植えるのだといわれる。

棕櫚 より。


おそらくは id:sibazyun さんの回答#1にある洋館付き住宅(文化住宅)以降の事でしょう。

戦前につくられた洋館付き住宅(文化住宅)には必ずといっていいほど

「玄関前にシュロの木三本」が植えられていたそうです。

約束事として暗黙の了解があったんですね。

玄関前の3本のシュロの木を探して@東京|ウーマンエキサイト  おでかけ  旅とお散歩 より。


文化住宅の誕生 を見ると、大正11年の文化村にも、大正13年の同潤会アパートにも、シュロらしい植栽はありません。

しかし、大正14年にできた御茶ノ水文化アパートの方は、お茶の水文化アパートメント | 一粒社ヴォーリズ建築事務所 のサムネイル一番右の写真にあるように、玄関脇にシュロかソテツと思われる植栽があったものと思われます。


また、大正末期から昭和の始めにかけて、世田谷の奥沢二丁目に海軍村ができました。

奥沢海軍村ゆかりの風景 によれば、

例えばこの海軍村でも最初に誰かが洋風の建物を建てれば、村全体がそういった風潮の建物になり、棕櫚(シュロ)を植えると、それを真似て他の庭にもシュロが植えられていくといった感じだったようです。

との事で、逆に言えばそれ以前には「暗黙の了解」は存在していなかったと考えられます。


まとめます。

一般家屋で洋館とシュロがセットになったのは、大正末期から昭和初期の事であり、起源は御茶ノ水文化アパートか奥沢海軍村あたりと推察されます。


以上、ご参考になれば幸いです。

id:inmage

回答ありがとうございます。

この拙い質問にこのように詳細で面白いお答えがいただけるとは感激です!!

勿論、私見を挟んでいただいて構いません(^_^)

まず、「棕櫚紋」という家紋があったことに驚きです!あの異国情緒満々な木がまさかの家紋!しかも江戸時代以前にあったというのが凄いです。

家紋のデザインもスタイリッシュですね。天狗が持っているうちわのようです。

日本に渡ってきたのはきっと明治時代くらいだろうなぁーと漠然と想像していたあの木を最初に植えられたのが弘法大師と知ってこれまた驚きました。しかも色情を抑える効力も。。。逆に異国情緒を感じて浪漫チックに盛り上がってしまいそうだと思っていたバチ当たりな自分ですが、色々な由来を知ることが出来、有難い事に脳の皺が一本増えたように思います(^^;)

貼っていただいた「お茶の水文化アパートメント  一粒社ヴォーリズ建築事務所」の検証写真、とてもアパートに見えないくらい立派な入口です!サイトも洒落てますね。

世田谷に海軍村があったことも初めて知りました。余りにも初めてだらけで言葉が薄っぺらく感じてしまうかもしれませんが、本当にただただ検索の凄さに驚かせていただいてます。今度世田谷の友達のウチに遊びに行ったときはこの海軍村ゆかりの地に連れて行ってもらおうと思いました★

ここがやるからウチも真似しよう、な日本人気質は昔からあったのですね。村全体で洋風文化住宅&棕櫚大流行…それはそれで壮観かもしれませんが、先の正岡子規の句のような情緒は余り感じなくなってしまいますね(^_^)

洋館と棕櫚のセット建ての意味を様々な角度から詳しく教えていただき、的確完結にまとめていただけ感謝いたします。

本当にハイレベルなアンサーをありがとうございました!!!

2011/09/13 02:49:25

その他の回答(5件)

id:sibazyun No.1

sibazyun回答回数1756ベストアンサー獲得回数2362011/09/08 14:34:26

ポイント30pt

しゅろ(棕櫚)ですね。

「洋館付き住宅とは」

http://yyjk.web.infoseek.co.jp/bj_1.html

のなかほどに

「■洋館付き住宅の特徴

◎目を引く洋館の屋根と棕櫚」

というのがあります。


(追記)正岡子規の句に

村落に洋館ありて椶櫚(しゅろ)の花

 というのがあるそうです。

id:inmage

回答ありがとうございます。

あの海辺にありがちな木は「棕櫚」というんですね!見たことはあっても調べたりはしたことがなかったです(^^;)

「しゅろ」という響きは着物で聞いたことがあると思って、検索してみたら夏の生地で棕櫚柄があり、上記の記事を拝見して思ったのですが意外にも和とゆかりがある木なんですね。

教えて頂いた情報には色々な洋館付住宅の図があって面白かったです。

文化住宅と聞くとなんだか古いアパートを想像してしまうのですが、昔は「洋館付住宅」の事を指していたのですね。

正岡子規の句もありがとうございます。

簡潔な文であるのに、当時の庶民感いっぱいの和風家屋の村落の中にスッと建つ異国の雰囲気たっぷりの洋館がある景色が浮かびました。

きっと空は青々とした眩しいほどの晴れ模様でしょうね(^_^)

2011/09/13 01:04:33
id:mdfmk No.2

mdfmk回答回数981ベストアンサー獲得回数1972011/09/08 15:10:37

ポイント50pt

洋館に棕櫚。の由来を知りたい。ということですよね?



当時、欧米から見た東洋はイスラムも日本も含むイメージであったのが根底にありそうです。


例えば、旧岩崎家住宅洋館ですと、

デザインは、イギリス・ジャコビアン調を基調とする、フランス・イタリアルネッサンスの様式に加え、更にコロニアル調、イスラム調のテイストを加味し、ゴシックの味わいを醸し出した、まったくもって節操のない「東西・折衷様式」の建築である。(笑)

建築日誌59


こういった東西折衷の様式(日本人はすべて洋館と言いますが)の建物が多く作られ、

さらにその後も洋館というと、そういった複数の様式が統合したスタイルを基調としたからではないでしょうか。



wikipedia:ジョサイア・コンドル

この方が有名な建築を多数手がけていますが、上記のような複数の様式の特徴を併せ持った建物を数々作っています。

その後の洋館のイメージ付けにも影響を与えていると思われます。



株式会社INABA建築設計事務所_建築散策記

明治政府は、最初こそ西洋建築のなんたるかを知らず ジョサイア・コンドルに重要な建築設計を次々と任せるのだが、ジョサイア・コンドル当人は、西洋建築を日本に建てるにあたり、なぜかインド・イスラム様式を取り入れた。それは西洋人の視点によれば『フランスの温泉町にあるカジノ』のような代物なのだ。

  イギリス発祥のスポーツ、サッカーのワールドカップ大会の折、極東の日本と西洋と東洋のはざまの国トルコやイラン、イラクが同じアジア地区とされていることに違和感を覚えた日本人はすくなくないだろう。西洋そのものを求めていた明治政府はジョサイア・コンドルに解雇をいいわたす。

id:inmage

回答ありがとうございます。

そうです!!まさに「洋館に棕櫚。の由来を知りたい。」という事が言いたかったのです。そして言っているつもりでしたが、自分の超ボキャ貧な文章を読んで余りの勢い書きというか感覚書きに全然「洋館に棕櫚。の由来を知りたい。」になっていないと気づきました…(とほほ)

しかしながら、あの質問でよくぞ此処まで!という素晴らしいアンサーを付けてくださってありがとうございます(^^)

そうです、確かに普通に考えると洋館に棕櫚はかなり違和感があります!なんだかアラビアンチックというかエキゾチックな雰囲気満々で…。

「欧米から見た東洋はイスラムも日本も含む」というくだりで大納得しました。明治時代頃の欧米人が描いた日本人のイラストを見ると、着物の襟が丸首だったりして中国文化と日本文化がごっちゃになっている感じなのと同じなんですねぇ。

添付していただいたURLもとても面白いです。ジョサイア凄い(笑)!!!有名な洋館をたくさん建てていますね。六華苑は案外近場にあるので機会を作って行ってみようと思います(^^*)

しかし、こんなに功績を残しているのに解雇されてしまうんですね。。。

政府の言いたいことも分からなくはないですが、いいものはいいと思います。

きっとこのイスラムな雰囲気が無ければもう少し影が薄い(?)パンチの無い(?)面白みの欠けた建造物になっていたのではないかな。

余談ですが、和洋折衷といえば「兼六園 成巽閣」がかなり面白かったです(^^)

http://www.seisonkaku.com

とても丁寧で面白いアンサーありがとうございました!

2011/09/13 01:27:18
id:you1031931 No.3

you1031931回答回数323ベストアンサー獲得回数32011/09/08 20:48:47

いかにもおしゃれ感を出していると思います

実際あれがないと平凡に見えがちです

ある画像とない画像で比較してみて下さい

全然違いますから!

id:inmage

うーん、何といっていいのやら…。

この2つのお答えの後にこの文章を書き込める図太さには感服いたします。

あなたのこたえ、かなりおしゃれ!!


今回は私の質問の仕方も悪かったのですけど、あなたの回答履歴を見せていただくと(っていうか同じ質問に答えていたことがあるのでそれが目に入っていたのですが…)とてもじゃないけど今後も益のあるお答えがいただけそうも無いので、今後はお答えいただかなくてもいいかな、と思います。

2011/09/13 01:36:09
id:natukawa1 No.4

野武士旅団回答回数38ベストアンサー獲得回数22011/09/09 15:51:47

ポイント30pt

観賞用のみならず、飲料水を確保するという切実な目的説

庭の棕櫚(シュロ)には意味がある


戦時下の物資欠乏を補う目的説

幸運をもたらす木説

観賞用説

ハワイ(外国)への憧れ説

棕櫚(しゅろ)の木ブームは、どのように起きたのでしょうか?


個人的には外国への憧憬説に1票。

id:inmage

回答ありがとうございます。

拙い質問文でしたのに、これまた切り口の違う面白いお答えです!!!

観賞用+α「飲料水の確保」の役目も果たせるとは、棕櫚、あなどれなし。

昔の方の知恵にはほんとうに驚きますね(@■@)

幸運をもたらすとも言われているのですね。

ついついアラビアンなイメージだけに捕らわれておりましたが、ハワイというのもありです!確かに!!

ほんの少しの違いでも見慣れた木ではなく、棕櫚の木が風にさわさわ揺れ異国の風情をふりまいている風景を見ていれば、凹む事があっても「何とかなるかな~」と言うような気分になりそうですネ。

…貼っていただいたはてなの質問の文章が率直すぎて笑えました(^▽^*)棕櫚そんなにたくさんは見ないんですけどね。

2011/09/13 01:53:31
id:bluex00 No.5

BLUE回答回数50ベストアンサー獲得回数22011/09/11 18:12:45DSから投稿

単純にそこらにある木より少しでもオシャレな木がいいということではないでしょうか?

id:inmage

NO.3さんに引き続き空気を全く読まないお答えありがとうございますが、生憎ポイントは均等配分ではない主義なので(^v^)


こんな回答していたら大好きなお星様がいつまでたっても手に入らないよ!!

2011/09/13 02:00:06
id:meefla No.6

meefla回答回数984ベストアンサー獲得回数4602011/09/11 18:23:10ここでベストアンサー

ポイント70pt

決定的なソースが見つからないので、私見を含むことをお断りしておきます。


シュロの木そのものは、棕櫚・棕梠という漢字が当ててあったり、棕櫚紋佐々氏富士氏米津氏)が存在する事からもおわかりのように、江戸時代以前から知られていました。

和歌山県での棕櫚栽培の起源は、およそ千二百年もの昔に、弘法大師(空海)が唐(中国)から持ち帰った種子を、寺院の庭先に蒔いたことに始まると言われています。

棕櫚の木 より。


しかし、一般家屋の庭先にシュロを庭園樹として植えるようになったのは、近年になってからであると思われます。


中国では寺院に多く見られる。古来シュロやソテツを眺めていると色情を失うというので特に寺院に植えるのだといわれる。

棕櫚 より。


おそらくは id:sibazyun さんの回答#1にある洋館付き住宅(文化住宅)以降の事でしょう。

戦前につくられた洋館付き住宅(文化住宅)には必ずといっていいほど

「玄関前にシュロの木三本」が植えられていたそうです。

約束事として暗黙の了解があったんですね。

玄関前の3本のシュロの木を探して@東京|ウーマンエキサイト  おでかけ  旅とお散歩 より。


文化住宅の誕生 を見ると、大正11年の文化村にも、大正13年の同潤会アパートにも、シュロらしい植栽はありません。

しかし、大正14年にできた御茶ノ水文化アパートの方は、お茶の水文化アパートメント | 一粒社ヴォーリズ建築事務所 のサムネイル一番右の写真にあるように、玄関脇にシュロかソテツと思われる植栽があったものと思われます。


また、大正末期から昭和の始めにかけて、世田谷の奥沢二丁目に海軍村ができました。

奥沢海軍村ゆかりの風景 によれば、

例えばこの海軍村でも最初に誰かが洋風の建物を建てれば、村全体がそういった風潮の建物になり、棕櫚(シュロ)を植えると、それを真似て他の庭にもシュロが植えられていくといった感じだったようです。

との事で、逆に言えばそれ以前には「暗黙の了解」は存在していなかったと考えられます。


まとめます。

一般家屋で洋館とシュロがセットになったのは、大正末期から昭和初期の事であり、起源は御茶ノ水文化アパートか奥沢海軍村あたりと推察されます。


以上、ご参考になれば幸いです。

id:inmage

回答ありがとうございます。

この拙い質問にこのように詳細で面白いお答えがいただけるとは感激です!!

勿論、私見を挟んでいただいて構いません(^_^)

まず、「棕櫚紋」という家紋があったことに驚きです!あの異国情緒満々な木がまさかの家紋!しかも江戸時代以前にあったというのが凄いです。

家紋のデザインもスタイリッシュですね。天狗が持っているうちわのようです。

日本に渡ってきたのはきっと明治時代くらいだろうなぁーと漠然と想像していたあの木を最初に植えられたのが弘法大師と知ってこれまた驚きました。しかも色情を抑える効力も。。。逆に異国情緒を感じて浪漫チックに盛り上がってしまいそうだと思っていたバチ当たりな自分ですが、色々な由来を知ることが出来、有難い事に脳の皺が一本増えたように思います(^^;)

貼っていただいた「お茶の水文化アパートメント  一粒社ヴォーリズ建築事務所」の検証写真、とてもアパートに見えないくらい立派な入口です!サイトも洒落てますね。

世田谷に海軍村があったことも初めて知りました。余りにも初めてだらけで言葉が薄っぺらく感じてしまうかもしれませんが、本当にただただ検索の凄さに驚かせていただいてます。今度世田谷の友達のウチに遊びに行ったときはこの海軍村ゆかりの地に連れて行ってもらおうと思いました★

ここがやるからウチも真似しよう、な日本人気質は昔からあったのですね。村全体で洋風文化住宅&棕櫚大流行…それはそれで壮観かもしれませんが、先の正岡子規の句のような情緒は余り感じなくなってしまいますね(^_^)

洋館と棕櫚のセット建ての意味を様々な角度から詳しく教えていただき、的確完結にまとめていただけ感謝いたします。

本当にハイレベルなアンサーをありがとうございました!!!

2011/09/13 02:49:25
  • id:inmage
    貼ってある画像はイメージ画像で実際のお宅ではないです。
    なのに、やっぱり植わっています。
  • id:inmage
    既に面白い記事を寄せて頂いていますが、(NO.3除く)まだ質問して日が経っていませんので引き続き掲載させていただきます★

    ここには博識な方が多いですね!!
  • id:inmage
    もの凄くいいお答えばかりで大変楽しませていただきました!ありがとうございます!

    最初に私の意を汲んでくださったmdfmkさんと、庶民の文化住宅と棕櫚のワンセットがいつどこで「暗黙の了解」になったか調べてくれたmeeflaさんと本当にベストアンサー迷いましたーー(>_<)

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