レベルなら同じ年代だし一緒にすればいいのに…
どうして違うのだろうか??
誰か分かる方いませんか?
この質問内容に興味があります。
質問の意図をより明確にされると、ノキさんにとってより適確な回答が得られると思います。
私は、この質問の意図を3通りに解釈しました。
1.なぜ、学校によって、同じ(はずの)学力を異なる指標で示すのか?
1の例:A君は、B学校では優良と評価され、転校先のC学校では良と評価された。
1の原因として考えられる事:
1-1.相対評価方式をとっているから
相対評価方式を取る場合、母集団が異なると偏差値に差が生じる可能性がある。より小さな母集団に何らかの要因(学生選別や教育の差など)があれば、偏差値の差はより大きくなる。学力は正規分布であるとは限らないが、より大きな母集団の偏差値(統一テストなど)を見る事で、正確度の高い偏差値を得られる。
1-2.より大きな集団における絶対評価を必要としないから
個人の学力は、所属している学校の評価で表示できれば良いのであって、より大きな集団における偏差値などが求められていない場合が考えられます。(小学校より前の教育など、絶対的な指標が無い場合は多く考えられます。また公立小学校なども該当すると思います。)
2.なぜ、学校(または地域)によって、学力に偏差が生じるのか?
2の例:○○県の学校の平均学力よりも、○○県の学校の平均学力の方が高い。
2の原因として考えられる事:
2-1.学校に入学試験が存在する場合、学生を選別しているので、他の学校と比べて学力の差が有り得る事は自明です。ある地域に入学審査基準の厳しい学校が集まった場合、その地域の学力だけ高くなる事は十分にあり得ます。
2-2.同じ年代の学生を教育する学校でも、教育内容に差がある場合が考えられます。それは2-1とも関連性のある事です。また同じ公立学校で同じカリキュラムを与えられるはずの場合でも、地域や学校、教師個人によって副次的な教育内容(というか教え方)を付加する場合があるかもしれません(2-3とも関連します)。
2-3.教育者個人または教育者集団の文化が関係する事はあり得ます。
教育者個人またはその集団が、効果的な教育方法の研究に熱心な場合、その成果が顕在化する場合は十分に考えられます。情報化社会の今でも、学校独自の文化、地域の文化があっても不自然ではありません。
2-4.学生(教育を受ける者)側の文化
あの学校は教師が優秀らしいとか、都会に行けば良い教育を受けられるとか、時代や年代にもよりますが、教育を受ける者側にも古くから定着している文化があり、その事が実際に集団の学力に影響を与えている可能性はあり得ます。選ぶ側もいれば、選ばれる側の意識も影響を与えるという事です。
3.学校(集団)の学力に差が生まれるような事があって良いのか?
差が出ないようにすれば良いのではないか?
3の例:同じ公立学校なのに、統一テストで偏差値を測ると差が有る。
しかもそれを公表しているのは宜しくないのではないか?
3の原因として考えられる事:
3-1:受験制度の存在・私立/公立の違い等を無視しても、同じ年代の公立学校でも学力差が生じる可能性は2の回答のように沢山考えられます。
3-2:実際に公立学校の統一テストによる学力偏差値を公表する事を良しと思わない人は沢山います。
3全体に関する所感:政治的な問題です。学生側に「より良く評価されたい」「他人と自分を差別したい」と欲がある限り(自然な事です)、その意欲を受けビジネスを行う組織(学校・塾など)も現れ、現在に至るのでしょう。たとえ公立学校に絞っても、競争意識を取り除く事は難しいと思いますし、社会主義的な教育をすると、学生の学習意欲に何らかの影響を与えかねないと思います。
他にも色々考えられる事はあります。
質問の意図を絞れば、より的確な回答が得られるのではないでしょうか。
用語として「学生」を用いましたが、必要に応じて生徒・児童等に置き換えて読んで下さい。
ご回答ありがとうございます。
ふと頭に浮かんだことを書いたので回答がもらえるか心配でしたが、もらえました。ありがとうございます。
そうだったんですね!? 私の知らないことばっかりで ww
よく分かりました。
私はかなり頭が悪いので、「別にレベル一緒でもいいのに」とよく思ったりします。
ちょっとした質問に興味を持っていただけるなんて思わなかったです。
本当にありがとうございました。