個人的に、はっきりと誤用であるとは思いませんが、
使いかたによっては、少々強制的な印象を受けることもありますね。
突然、「わたしって、人見知りじゃないですか~」などといわれると、
そんなこと知らないよ、と思いますね。
若者ことばとして、ある意味で流行になったのは、1990年代半ばあたりのようですね。
◆「じゃないですか」の自己主張 - 鳥居寛之 (平成6年6月稿)
http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/home/language/janaidesukafull.html
しかしこう頻繁に「じゃないですか」と言われては、「そんなこと知らんわい、勝手に決めるな!」と怒鳴りたくなる人もいるだろう。そもそもこの言い方は典型的な反語表現であり、「そうに決まってるでしょう」という話し手の強い主観が含まれているので、言われる方にしてみれば、時としてかなりきつい印象を受けるのである。
このように、若者ことばとしての「~じゃないですか」とは、
若干意味合いがちがうかもしれませんが、
「眉山」(1948年)や「吾輩は猫である」(1905年)などにも出てきますね。^^
◆眉山 太宰治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/243_20190.html
「白痴じゃないですか、あれは。」
◆吾輩は猫である 夏目漱石
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html
なかなか味(あじわい)があるじゃないですか
以上、ご参考まで。
個人的に、はっきりと誤用であるとは思いませんが、
使いかたによっては、少々強制的な印象を受けることもありますね。
突然、「わたしって、人見知りじゃないですか~」などといわれると、
そんなこと知らないよ、と思いますね。
若者ことばとして、ある意味で流行になったのは、1990年代半ばあたりのようですね。
◆「じゃないですか」の自己主張 - 鳥居寛之 (平成6年6月稿)
http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/home/language/janaidesukafull.html
しかしこう頻繁に「じゃないですか」と言われては、「そんなこと知らんわい、勝手に決めるな!」と怒鳴りたくなる人もいるだろう。そもそもこの言い方は典型的な反語表現であり、「そうに決まってるでしょう」という話し手の強い主観が含まれているので、言われる方にしてみれば、時としてかなりきつい印象を受けるのである。
このように、若者ことばとしての「~じゃないですか」とは、
若干意味合いがちがうかもしれませんが、
「眉山」(1948年)や「吾輩は猫である」(1905年)などにも出てきますね。^^
◆眉山 太宰治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/243_20190.html
「白痴じゃないですか、あれは。」
◆吾輩は猫である 夏目漱石
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html
なかなか味(あじわい)があるじゃないですか
以上、ご参考まで。
「眉山」(1948年)の用例を追加しました。
回答ありがとうございます。
別に「おかしい」とか「間違っている」事はないです。
「~じゃ」 は 「~では」と言い方が違うだけで、相手や雰囲気によっての使い分けに過ぎません。「ないですか」は自己の思いを相手に尋ねている、もしくは同意を求めている言い方です。前に「Aだ」とあれば「Bじゃないですか」は否定の同意、前に他の人の発言が無ければ、自己の意見への同意です。決して押し付けや強制ではありません。
関西では「あほちゃうか!」とよく聴かれますが、「あほだ!」とは意味もニュアンスも異なります。言っている真意はほぼ同じでしょうけど。
「あほちゃうか!」は意味合いが違いましたが、「~じゃないですか」を「~ですね」「~です」「~だ」と置き換えた場合、そちらの方が正しい表現になっているか、と言えば必ずしも正しくはありません。
例えば、探検隊で助手がxxザウルスの骨を発見、早速博士に「xxザウルスです」と報告に行けば、博士は「何かはワシが調べて決める、勝手な事を言うな!お前、自分がそんなにえらいと思っとんのか、クビ!!」となりかねない。例の、「わたしって、人見知りじゃないですか~」は押し付けがましいですが「~じゃないですか」は自分の考えに100%の自信がなく、同意or否定,助言・補強を求めている言い方で、決して「典型的な反語表現」ではありません。
回答ありがとうございます。
「~じゃないですか」をどういった用法として用いたかはさておき
Google Books検索でいくつか検索にかかりました。
岩波新書より1998年出版された「丸山眞男座談」の中より
・丸山眞男座談: 1950 - 丸山眞男 - Google ブックス
... 早く解放されるということだったわけです○島崎フランスが全くドイツに押されて
いる頃は、レジスタンスは営まれていなかったのじゃないですか。 ...
137 ページ
それが教育という仕事には非常に大事じゃないですか。 ...
215 ページ
ですから、福沢の具体的な見通しゃ判断が間違ったことはありましたが、しかし、その
根底の彼の政恰に対する考え方は、残念ながら日本人には少なすぎるのじゃないですか
...
・丸山眞男座談: 1958 - 丸山眞男 - Google ブックス
203 ページ
現代の人間には、つ氷遠に女性なるもの」なんていつてももはやピンとくるものがないの
じゃないですか。岡本女というのはすげえもんだなという鮮烈な印象が男の中に ...
209 ページ
そのほかにも広告というものがありますが、これを一人々々の排優の主役、脇役とすると
、左さんは主役と脇役がダブるような性格がかなりあるのじゃないですか。 ...
215 ページ
... ばならないという問題でしょう○それがやはり、からだ全体と部分の関係にも
当てはまるのじゃないですか。クロ|ズ.アツプの話が出たけど、ある場合には手のクロ|
ズ. ...
「丸山眞男座談(岩波ブックサーチャー)」で見ると、
それぞれ第2巻1950-1958年、第3巻1958-1959年の内容が収録されているようです。
1950年ですと昭和30年代ではありませんが、後者の第3巻は昭和30年代に当てはまります。
実際、書籍の内容を確認を取らないと後年書かれた解説部分の可能性もありますが
文面から丸山眞男がその当時語った話に見えます。
・≪Nenkan daihyō shinarioshū - シナリオ作家協会 - Google ブックス≫
240ページ 黒い潮 | 172ページ 夜の河 | 271ページ 流れる |
この本は1957年シナリオ作家協会より発刊された「年鑑代表シナリオ集〈1956年版〉」だと思われます。
※上記画像引用したように「年鑑代表シナリオ集〈1954年版〉」でした。
※1955年6月30日に三笠書房より発刊でシナリオ作家協会編です。
収録されている3作品内に「~じゃないですか」の記載が見られます。
また質問内容とは離れますが以下書籍内に
「~じゃないですか」の表現がなぜ不快感を与えるのか解説されています。
中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック-庵功雄,高梨信乃,中西久実子-Google ブックス
マウスでのスクロールや右上のページめくりボタンで次ページを見ると
「~じゃないですか」について考察された資料がいくつか紹介されてあります
個人的な素人意見としては
関東弁の「~じゃん」を無理矢理丁寧に用いた用法の気がします。
関西だと「~やん」を改まった場では「~やないですか」と使っていた記憶があります。
また回答№3のやまだまや(真優)さんが言われるように
「ではないですか」の砕けた用法もあるように思います。
[追記]
Googleブックスの文字スキャンの精度を加味し
「じやないですか」で検索すると山ほど出てきました。(113件)
大半は「ではないですか」系の用法のようですが参考に検索結果置いておきます。
⇒ Googleブックス検索「”じやないですか”(1964/12/31以前)」
丁寧な回答ありがとうございます。
「眉山」(1948年)の用例を追加しました。
2011/10/30 15:30:06回答ありがとうございます。
2011/10/30 22:06:27