読書の魅力がわかりません。切実に悩んでいます。読書の魅力を語ってください。

4月から勤務する職種の関係上、読書経験を蓄えておく必要があるのですが、なぜか読書が習慣付きません。「読まなきゃ」という強迫観念でいくらか本は買うのですが、数十ページ読み進めたところで、気付いたら放置されています。

そんな私に【読書(特に小説)の魅力】を語ってください。あなたが個人的に思っていることで構いません。「新しい世界に出会えるから」などの抽象的な一般論よりもむしろ、あなたの読書経験を踏まえた読書の魅力に関する具体的なエピソードなど語っていただけると嬉しいです。「この本を読めば、読書の魅力がわかるよ」のような本を紹介する形の回答も歓迎します。

切実に悩んでおりますので、お力をかしていただける方、ご回答よろしくお願いします。

回答の条件
  • 1人50回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2012/01/10 04:32:59
  • 終了:2012/01/17 04:35:03

回答(19件)

id:yotaca No.1

よたか回答回数426ベストアンサー獲得回数462012/01/10 05:02:59

5年前まで、漫画を含めて、ほとんど本を読みませんでしたけど、
娘がいろんなアニメを見始めたのをキッカケに、深夜アニメまで見るようになったんです。
深夜アニメを見てると、コミックだけでなく、ラノベ原作の物も多かったので、続きを知りたくて読みはじめました。
物語の続きを知ってると、娘とガチの話が出来て、とても楽しいです。
 
最初は、十二国記。
次は、涼宮ハルヒシリーズだったかな?
そして、化物語シリーズ。
ラノベは、かたり言葉が多くて、あまり考えずに読めるので割と読むのが楽でした。1冊2日以内。
それから、始まって、ラノベ以外も含めて、月に10冊程度読んでます。
 
ところでお勧めですが、
ラノベではないし、かなり古いけど、綿谷リサの「インストール」が読みやすいと思いますよ。

id:akito1063

早速のご回答ありがとうございます。
アニメの続きを知るためという動機で読書習慣が始まったのですね。なるほど。
しかし、キャラクターに動きや声や表情があったり、背景やBGMがあったりするアニメと比べると、本はその辺りの魅力が半減していると感じることはありませんか?


映画やドラマやアニメは、視覚的表現・聴覚的表現をフル活用して、物語世界を表現してくれます。ですので私は、映画やドラマやアニメには魅力を感じます。ちなみに、生で役者さんが演じる演劇やお芝居にはそれ以上の魅力を感じています。
ですが小説の世界は、文章で書き表されているのみです。映画やドラマやアニメは、目と耳に向けて多角的・直接的に訴えかけてきてくれます。しかし小説は、文章でしか表現されていませんし、文章を読んで自分で物語世界をイメージしなければなりません。私には想像力がないのか、小説を読んでその世界をうまくイメージすることができません。

このような捉え方なので、私が魅力を感じている順番は、演劇>映画・ドラマ・アニメ>小説という順です。誤解を恐れず言えば、小説は映画やドラマやアニメの劣化版と思ってしまっています。

しかし、本当はそうではないのではないか、とも思っています。映画やアニメや小説はそもそも比較できない別物であって、小説には小説の魅力があるはずだ、と思っているのです。

映画やドラマやアニメに勝る、小説の魅力ってなんでしょう?
映画やドラマやアニメにはない、小説ならではも魅力ってあるのでしょうか?

引き続きのご回答、お待ちしております。

2012/01/10 05:36:17
id:shino_j No.2

shino_j回答回数11ベストアンサー獲得回数12012/01/10 07:58:06

小説の魅力という疑問ですが、
私は、映画も、演劇も、文学も別個の物として楽しんでいて、特徴が違うため比較はしてません。

映画や演劇は作者の世界観を受動的に楽しむもの。
小説は作者の世界を、読み手が能動的に楽しむものです。

映画や演劇は、世界観を受け手の想像に全てを託すような表現手法はありませんが、
小説では、当然、登場人物の顔、世界の景色、音、色、匂い、温度、感触。
これら、すべてを読み手が能動的に想像する行為が必要です。

逆に言うと、この世界観を自由に想像するという行為が快感となった人は小説にのめり込むのです。
作者が書いた物語を媒介にして、読み手が自分の想像力を使って読み手世界を創造するような事ができるわけです。
想像という作業に慣れていくに従って、いつしか小説のほうが自由に想像力を発揮できる物として、より楽しく感じる時もあるわけです。

漫画と小説の差も上の話と同じです。想像する余地が無いために漫画を読まない人がいます。

ただし、映画も演劇も漫画も小説も別個の物で良し悪しや優劣の議論は学者に任せておけば良いと思います。
全部楽しめばいいと思います。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
文学は、映画や演劇と比較することのない別物であり、その楽しみ方が「能動的な楽しみ」であることが理解できました。とてもわかりやすい説明をありがとうございます。
shino_jさんのご回答を踏まえて、私は「想像する作業」を煩わしく思っているために、「世界観を自由に想像するという行為に快感を覚えたことがない」ということに気付きました。
私には想像力が不足しているのでしょうか。それとも、受動的享受と能動的享受とは個々人の好みであって、抗うことができないのでしょうか。
しかし、私には文学作品を読む必要があります。そしてできることなら、「必要だから仕方なく読書する」のではなく、「文学を読書することの喜びを知っているから読書する」状態になりたいと思っています。

・想像力を鍛えるためにはどうしたらよいでしょうか?
・「世界観を自由に想像する快感」を覚えることができるような文学作品には、どんなものがありますか?

新たな質問が生まれてしまいました。引き続きのご回答をお待ちしております。

2012/01/10 16:02:46
id:yotaca No.3

よたか回答回数426ベストアンサー獲得回数462012/01/10 11:36:34

直接小説の魅力ではありませんが、小説を読みながら、自分ならどんなアニメにするか、舞台にするか配役は誰でとか、BGMはこれがいいとか、考えて読むのも好きです。
特に、化物語のシリーズはシャフトがいろいろやってくれるので、原作とアニメを見比べるのも楽しいですね。
 
乱暴ですけど、小説の方が優れて部分は2つあると思います。
 
1つ目は、原作者との共有感
アニメだと、制作プロダクションの都合で絵や、カットが可哀想になる事があります。
一例として「いつか天魔の黒ウサギ」娘はこの原作が好きでずっと揃えて読んでいたのですけど「パンツアニメ」になっていたので、シラケてしまって作品自体が嫌いになってしまいました。
原作を見る限りにおいては、そんな話じゃないと思いながら1巻を読みましたけど。
 
2つ目は、感情移入
ドラマや、アニメでも十分可能なんですけど、時間的な制約の中だと限界があるような気がします。
ましてや、自分とにても似つかないキャラだと余計だと思います。
でも小説だと、デフォルメして自分に重ねやすいので、私は入り込みやすいですね。
 
特に、文学少女シリーズはよかった。50歳近いおじさんが、高校2年生の井上言葉に感情移入してしまいました。
そういえば、文学少女も、いろんな制約からでしょうけど、アニメは沢山端折ってました。
 
 
少し趣旨とはずれますが、最近ジャンヌ=ダルクに関する本を沢山読んでます。
神様の使いだと絶賛する本や、偶然の産物だと言う本、そうかと思えば彼女と対話して書いた。と言う本まであってとても興味深いです。
 
もし、ジャンヌダルクというテーマで映画や、芝居をみてたら似たような作品にしか出会えないような気がします。
細かいエピソードや、通常切り捨てられてしまうであろう視点なども含めて、書籍を読む価値がある様に感じました。

id:akito1063

二度にわたるご回答ありがとうございます。
原作と二次創作物とを比較するからこそ気付くことができる、小説ならではの魅力があるのですね。
はなまち の よたかさんが語ってくださった魅力は、作品の世界を能動的に楽しむ力があるからこそ感じられるものですね。原作に作者が描こうとした世界を想像したり、登場人物をデフォルメして感情移入したり、小説をアニメ化するときのことを考えたり、と。
やはり「文章から物語世界を想像する力」は、小説を楽しむために必要不可欠なのでしょうか。

引き続きご回答よろしくお願いいたします。

2012/01/10 16:25:40
id:mikayuchon No.4

mikayuchon回答回数276ベストアンサー獲得回数172012/01/10 11:52:22

私は、裏のあらすじとかを見て面白そうと思って読み始めましたね。
それまでは小説とか全然興味のかけらもなかったんですが、
シリーズ物とかだと先が気になったりして自分から読みたくなります(笑)
有名なのでは、「ハリー・ポッター」が最高です。
こんなん子供でしょって思って馬鹿にしながら読んでたら
先がきになりすぎて自分からどんどん読んでました(笑)

小説は自分が面白いなと思わないとなかなか・・・
買った本によってちょっとずつ魅力も違うので逆に私は
そこがいいと思ってます^^

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
私も、背表紙のあらすじを読んだときは「この小説は面白そうだな」とよく思います。しかし、いざ購入すると、最初の数十ページ読んだところで気付いたら手元から離れていきます。

『ハリー・ポッター』は小学生か中学生のときに家族で挑戦しましたが、みな数ページ読んだところで飽きてしましました。今思えば、『ハリー・ポッター』が、私が読書から脱落した最初の体験だったかもしれません。ここになにか、私が読書をできない原点があるような気がしてきました。

また、私は「先が気になる」という感情に乏しいかもしれません。映画やアニメを観ているときや、小説を読んでいるとき、その一瞬一瞬で物語世界に入り込んでいて、充実感があることはあります。しかし、「ここからどう展開するんだろう」というように先が気になったことはあまりないようです。

ご回答のおかげで新たな気付きを得ることができました。
ありがとうございました。

引き続きのご回答、よろしくお願いいたします。

2012/01/10 16:34:52
id:kumonoyouni No.5

kumonoyouni回答回数612ベストアンサー獲得回数1312012/01/10 12:09:26

映画やドラマやアニメは、視覚的表現・聴覚的表現をフル活用して、物語世界を表現してくれます。ですので私は、映画やドラマやアニメには魅力を感じます。ちなみに、生で役者さんが演じる演劇やお芝居にはそれ以上の魅力を感じています。
ですが小説の世界は、文章で書き表されているのみです。映画やドラマやアニメは、目と耳に向けて多角的・直接的に訴えかけてきてくれます。しかし小説は、文章でしか表現されていませんし、文章を読んで自分で物語世界をイメージしなければなりません。私には想像力がないのか、小説を読んでその世界をうまくイメージすることができません。


ということであれば、まずはご自身が面白いと思われた映画やドラマの原作本から読んでみるというのはいかがでしょうか?
そうすると、イメージしやすいと思いますし、映画やドラマの中で表現できなかった違いも見れて面白いです。また、それにより、原作者の違った作品も読んでみようという気になりやすいと思います。


ご参考になれば幸いです。

他1件のコメントを見る
id:kumonoyouni

実は私自身、akito1063様と少し近い感覚があります。

昔は月に何十冊も読破してたこともありましたが、最近は活字離れと言うか、私も活字を読む根気が無いんですよね(読んでいるうちに違うこと考えはじめることも・・・^^;)。

だから、活字密度が高い本は見た瞬間に嫌になります。でも、仕事では読まざるを得ないこともありますので、そこは仕方なく読むわけですが、私の場合、月に何十冊も読破していた頃に気がつけば速読のテクニックのようなものが身につきまして、短時間で読み終えることができるようになりました。

・・・と書いているうちに思いつきました!
ここは視点を変えて、速読の技術を身につけるというのはいかがでしょうか?
速読の力がつくと理解力が高まることにもなります。
ちょっと探してみたところ、速読ができる「無料で速読トレーニング」のようなものが見つかりました。
ご参考までに。

最後に、私思いますに、akito1063様は与えられるより、自分で表現するほうが向いているのかもしれません。映画やドラマに興味をお持ちのようなので、自主製作映画づくりに参加されてみるのも一つの切欠になる気がします。一つの台本からどうやって作品ができあがっていくのか分かると、文章から映像がイメージしやすくなったり、作品に対する見方も変わってくると思います。

ご参考になれば幸いです。

2012/01/10 21:12:14
id:deep_one

むしろ読書する行為そのものが「二次創作的」であると考えることも出来るのではないか?という話があったのを質問者のコメントを読んでいて思い出しました。

2012/01/13 10:43:06
id:taknt No.6

きゃづみぃ回答回数13539ベストアンサー獲得回数11982012/01/10 12:49:40

これは 読書の魅力ではないと思います。

つまり、つまらない本を読んでから、放置されるのです。

おもしろい本だったら 続きがきになってしまい つい寝るのも忘れて
最後まで 読んでしまうということだってありうります。

つまらない本を読むこと自体、苦痛であり大変なことです。
そこには いかにして その本を 読まなければいけないのか
その必要性、重要性を はっきりさせる必要があります。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。

一般的に高評価を得ている本は、「つまらない本」でななく、多くの人が「面白い」と感じた本ですよね。しかし、私はそういう本の多くを「面白い」と感じることができません。つまり私は「つまらない本」を「つまらない」と感じて放置してしまうのではなく、「面白いはずの本」を「つまらない」と感じてしまって、結果放置してしまっているのです。
これはとてももったいないことだと自分で思っています。なぜ私は「面白い小説」の面白さに気付くことができないのでしょうか…。

私の悩みを解決するために必要なことは、読書の魅力を知ることではなく、本を面白いと感じる感性や想像力を手に入れることかもしれません。

ちなみに、くり返しになってしまい恐縮ですが、私は「必要だから読む」のではなく、「純粋に本を読むのが楽しいから読む」状態になりたいと思っています。ですので、「本を読むことの必要性、重要性をはっきりさせる」という動機付けは、あまり効果がないように思います…。

ですが、「読書の魅力ではない」という指摘は鋭いもので、少し道が開けたような気がします。ありがとうございました。

2012/01/10 16:56:54
id:takejin No.7

たけじん回答回数1493ベストアンサー獲得回数1942012/01/10 13:58:03

1 「読まなきゃ」という心構え
読書の大敵って、これだと思うんですよ。読書感想文を書かないといけない、となるとつまんない課題図書を「ゲームやりたいのに」読んで、さらに感想文をひねり出さなくちゃないらない。こんなに苦痛なことはないですよね。出だしから「楽しむ」環境にないので、読書が楽しくなるわけがありません。
・定番ですが

星新一 ショートショート1001

星新一 ショートショート1001

ショートショートで慣れていくのはどうでしょうか。全部読む必要もありません。パラパラとめくっていると、なんとなく、短い文章の世界にいざなってくれます。
 
2 自分から動かないといけないこと
読書って、ランナーになることだと思っています。映像とか音声とかって、車や電車やジェットコースターに乗っているようなもので、漫然と座席に座っていても結論を得ることができる。漫画は少し自分でこがなくてはいけませんから、自転車のようなものでしょうか。ときどきペダルをこがなくても、進んでくれます。でも、読書は超短編でも、スタートからゴールまでは自分の力で走らなければなりません。めんどうですね。
でも、世の中にランナーの多いこと。一部の人は、ランナーズハイを味わいたくて走っていると聞きます。まさに、小説を読むのはそれです。それも、超短距離でもOK。一度味わうと、もっと別のハイを求め続けてしまいます。
いきなり長距離とか障害物競争に出場するのは無理ですから、軽い短編とか、ライトノヴェルとか、入り口はたくさんあると思います。
・短編というか、長編というか、その中間ですが、

阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急電車 (幻冬舎文庫)

映画化されてますが、やはり小説ならではという部分がいっぱいです。

3 小説にしかできないこと
映像も音声も漫画も、小説の「あえて書かない」という表現を越えられないのです。叙述トリックという分野があります。読者が思い込んでいたのと違う答えを用意する手法で、よくミステリーに用いられています。主人公が男性だと思っていたら、じつは女性だったとか、同じ時刻のことを書いていると思っていたら、10年前のことだったとか。映像などでは、必要以上に描いてしまっていてどうにもなりません。
・叙述トリックに関してはおすすめにくい(ネタバレになるので)ですが、

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫)

これは叙述トリックだよ、と言われて読んでも、ラストのびっくり度は変わらない。
(ただし、読書慣れしてからのほうがいいかもしれません。長編ですし)

4 読み手の勝手
女性を評して、「美人」としか書かない作家もいれば、容姿を事細かに描写する作家もいます。どちらも自分の中で「明確な女性像」を作る必要はないのです。想像できないとか、想像するの面倒とかではなくて、自分の好きな人を当てはめていいのです。勝手に当てはめて、勝手に動かすことができる、これが小説を読んでいる側の特典です。私は、とりあえず美人が出てきたら「竹内結子さん」にしちゃいます。多少無理があってもOKです。すでに妄想の域ですが、ファンの特権です。
・妄想といえば、想像力への挑戦。これは,現実にないことを作り出すこと

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

心を読むという超能力の描写も、小説でしかできないことです。

5 私的なことですが
私は、筒井康隆のファンです。筒井康隆の作品は、映像化、アニメ化、漫画化されているものが多数あります。しかし、元の小説を超えたものはないと思っています。それは、筒井康隆はその文字でしか表せないものという枠を突破してしまっているからだと思っています。登場するのが文房具である「虚構船団」と、1ページが1分を表すという制約で書かれた「虚人たち」、そして

使える文字が消えていくという制約のもとに書かれた小説。
これらは、映像化する意味がありません。ある意味では、究極の小説だと思います。ただ、 「それって、何が面白いの?」と聞かれはしますが。

※すべてのメディアは、語りから始まっているのです。語りは文字を得て、語り部がなくとも万民が得ることができるようになりました。物語は、文字 になって普遍化したのです。映像もアニメも漫画も、ベースには文字文化としての物語があります。劣化ではなく、基礎であると思って接していただければ、一小説ファンとしてはうれしいところです。

id:akito1063

本の紹介を添えたご回答、誠にありがとうございます。項目ごとに返信させていただきます。

>1「読まなきゃ」という心構え
読書感想文は私にとっても悪しき思い出です。それが読書嫌いになった原点とまではいえませんが、「やらされてる感」があり、純粋に読書を楽しむことができなかったことはたしかです。
それは今も同じですね。「本を読まなきゃ」という強迫観念から逃れたいです。

>2 自分から動かないといけないこと
読書は能動的に楽しむ必要があるということを、ランニングに例える話はとてもわかりやすいですね。そこに「ランナーズハイ」というものがある点で非常に説得力があります。読書の魅力は、面倒なことを越えたところにしかないのかもしれません。まずは短編をいくつか読破してみようと思います。

>3 小説にしかできないこと
表現アプローチが文章しかないことを逆手にとった叙述トリックは、なるほど小説にしかできないことですね。私も、叙述トリックものの小説には心惹かれる部分が少しあります。私の場合、トリックが明かされるところまで読み進めることができるかどうか、が問題ですが…。例えば東野圭吾『容疑者Xの献身』は読破できましたが、村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は残り4分の3まで読み進めたところ脱落してしまいました。

>4 読み手の勝手
想像よりも妄想といったほうが、読書の恣意性が感じられて良いですね。想像というと、小説世界に正解があり、それを想像して見つけなければならないような感じします。しかし妄想といった場合には、読者が自由に読んで良いのだという気がしてきます。

>5 私的なことですが
筒井康隆がそのような作家であるとは知りませんでした。そういえば1作品も手にしたことがありません。教科書で安倍公房『棒』を読んだときに「面白い!」と感じたので、「虚構船団」も魅力を感じながら読めるかもしれません。また「虚人たち」と『残像に口紅を』もとても面白そうです。文章でしか表せない世界ですね。これらは必ず読んでみます。

以上、項目ごとのお返事です。
おかげさまで眼前が明るくなったような気がいたします。「読まなきゃ」という切迫した思いから解き放たれて、「面白そうだから読んでみよう」という気持ちに戻ることができそうです。ありがとうございました。


引き続き、「読書の魅力」や「読書を楽しむ方法」を語ってくださる方、また読書の魅力を感じることができる本の紹介をお待ちしております。

2012/01/10 17:23:29
id:takejin

たぶん、ご自身でおっしゃるほど読書嫌いではないのでは?容疑者Xの献身を読了するのは、結構な本読みかと思います。村上春樹は好みが分かれますしね。

2012/01/11 00:33:03
id:adlib No.8

adlib回答回数2000ベストアンサー獲得回数1292012/01/11 14:42:44

 
 これが文学だ! ~ 虚構からノンフィクションへ ~
 
>しかし、私には文学作品を読む必要があります<
 私見ですが、もはや現代人は、小説の存在を必要としていません。
 その上で、小説について考察するには、つぎの三冊が参考になります。
 
http:// booklog.jp/users/awalibrary/archives/4101001057
── 川端 康成《掌の小説 19710315-19720720 新潮文庫》
 
 さほど面白いわけではありませんが、小説の条件は何か、という点を
究めています。数学例題集、詰将棋百選のような実験的短編集なので、
作家の関心がどこにあるかが窺われます。
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000JABZ7I
── コールドウェル/田中 融二・訳《作家となる法 19650720 至誠堂新書》
 
…… 読む人と書く人がいて、コールドウェルは書く方を選んだ。
http://q.hatena.ne.jp/1126175035#a399433
 時よ止まれ ~ 若き友への9ヶ条 ~
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4101109125
── 松本 清張《半生の記 19700625 新潮文庫》
 
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3580136.html (No.2)
…… 清張いわく「将来の文学は、供述調書のように書かれるだろう」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3804618.html (No.3)
 

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。

小説そのものに関する考察本は、私の仕事にも役に立ちそうです。

2012/01/16 10:31:12
id:dogear1988 No.9

dogear1988回答回数1ベストアンサー獲得回数02012/01/12 18:17:03

・場所を選ばない点
・購入前に気軽に試し読みが出来る点
・作者やジャンルが多くマンネリ化しない点
・作者や訳者の性質が如実に表れる点
・1冊を読み終えるのにある程度の時間が要る点

 まず、私にはかなりの時間が余っているという事を言っておかなければなりません。ほとんどニートみたいな生活をしている立場上、一週間全く仕事に手をつけない事もありますし、あまり社交的ではない事もあって、毎日の趣味の時間を差し引いても自由な時間が出てきます。そういう人間にとって読書というのは恰好の暇つぶしであり、逆に言えば、それが無かったら自分はどうなってしまうのだろうという不安めいたものもあります。そういう意味では質問にある様な強迫観念に似たものを私も持っており、実際、どんな本にも興味が持てないという時期が定期的にやってきて、没頭出来そうもないと半ば以上分かっている様な小説を惰性で買ってしまう事も(そして最後まで読まずに放り出してしまう事も)あるくらいです。なので質問者さんの感覚は別に注視すべきものではなく、気ままに本を手に取る内に没頭出来る作品に巡り会えればそれでよいのではないかと思う節も正直あります。何と言っても、好奇心をかき立てるものの多くがそうである様に、多くの人は、魅力があると確信しているから本を読んでいるわけではなく、いくらかの情報や経験則からその本に魅力があるだろうと当たりをつけて、それを探りながら読んでいるわけですから。
 
 ちなみに、私は自宅で本を読むという事はあまりしない人間です。家で見るのは映画や雑誌などが主で、本は外出先、具体的には喫茶店などで読むというのがここ数年の日課になっていて、それというのも、読書には意外と集中力が要るからです。映像や音楽の様に何かの片手間に読むという事は中々出来ませんし、仮に出来たとしても、没頭して読んでいる時と比べるとその読解の質は劣ります。そして何より私は喫茶店という場所が好きで、あの雑然としていながらもそれぞれのプライバシーを尊重した空間というのは読書にうってつけだと思えてなりません。世の中には図書館の様に整然とした場所で読む事を好む人も多いと聞きますが、私の場合は違いますね。座り心地のいいソファと街の喧騒に包まれながらコーヒーを飲み飲み出来のいい小説を読むのは、至福の時と言ってもいいくらいです。どうしても本を読む気になれない時は環境を変えてみるのも一つの手かもしれませんよ。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
本を読むために喫茶店に入ったり、映像や音楽の片手間で読むことはできなかったり、集中力が必要だったりと、読書では読書のためだけの場所と時間を用意しなければならないのかもしれません。特に私の場合は、気ままに本を読む習慣がつかなかったので。
とても参考になりました。

2012/01/16 10:59:26
id:gtore No.10

gtore回答回数2481ベストアンサー獲得回数4372012/01/12 21:52:51

読書の魅力は、ときかれて、一番に思うのは、
自分とはちがう考えに触れられるから、
会ったこともない人、ともすればすでに亡くなった人の頭のなかを覗けるから、ということでしょうか。

わたしも、人からすすめられた本や課題図書といったものは、読むのに苦労します。^^
さて、そうした本をいかに読み進めるか、ですが……。

[1] 作家のプロフィールを読むまえに知識として入れておく、というのはいかがでしょうか。
作家のひととなりを知ることで、それまで敬遠していた本に、俄然興味がわいてくる、といったことが、わたしの経験ではあります。
(そうした先入観はなるべく排したほうが、純粋に小説を楽しめる、といった向きもあろうかと思いますが。)

[2] また、ショートショートに慣れてみては、というご意見が出ていますが、
これに似た例として、児童書、絵本に、まず慣れ親しんでみる、というのはいかがでしょうか。
ごく短時間に読書の楽しみが味わえる、ひとつの方法かと思います。^^
わたしも、長い小説を読んだあとは、なぜか活字の大きな絵本を読んでみたくなることがあります。

[3] あと、ネットには、本を読んだ感想がブログなどにあげられていますが、読後などに、そうした感想に触れてみるというのもいいかもしれません。
ただ本を読むだけで、特に感想を交わす機会もないと、モチベーションはあがりませんが、
ブログの感想などを読み、「なるほど、こういうとらえ方があるのか」とか「自分と同じように感じたのか」など、自分の思いと比較することは、なかなか面白いと思います。
(人気の作家さんの本でも、「こういうところは書き方が甘い」などと評価している感想もあったりして、納得してしまったり……。^^ わたしは個人的にそういう楽しみ方もしています。)

なにかひとつでもご参考になりましたら幸いです。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
読前、読後の活動によって、読書活動が活性化するというのはたしかにそうですね。
また個人的にも職業的にも絵本には興味があるので、今後触れていこうと思っています。

2012/01/16 11:02:17
id:mizunotori No.11

mizunotori回答回数37ベストアンサー獲得回数62012/01/13 17:37:59

私は月に数十冊のライトノベルを読みますが、文章から映像を思い浮かべるような読み方はしていませんし、できません。読書に想像力は必須のものではないと思います。周囲の状況を探るのだって、目で見て確かめる人もいれば、目を閉じて耳を澄ます人もいます。その程度のことではないでしょうか。

小説の魅力について。

簡単に言えば、映像には「見落とし」が発生するが、小説には発生しない(しづらい)、ということだと思います。

たとえば、「事件の鍵となるアイテムが犯人の部屋に密かに置いてあり、目敏い観客だけがそれに気付く」というような状況は、映像でしか表現できないものです。小説であれば、必ずそのアイテムについて文章にする必要があり、そして文章にされた時点で、必ず読者はそのアイテムを認識してしまうからです。

以上のように、映像であれば100の情報を発信しても観客が認識するのは80程度(細かいところまで見ていない)ですが、小説では80の情報を発信して読者も80を認識します。逆に言えば、80を発信するのに、映画では100が必要であり、小説では80で済む、ということです。ですから、空いた20にさらに物語を詰め込むことが可能になります。

それは小説にとって短所でもあり、長所でもありますが、少なくとも私個人としては、そうした小説の「物語の濃さ」(「多さ」ではなく)を好ましく感じます。

さておき。

これは私がラノベ読みだから薦めるんですけど(笑)、ライトノベルの中には「ほとんどストーリーが展開せずにだらだらとお喋りするだけ」のような作品があります。『ラノベ部』などがおすすめですが。

ラノベ部 (MF文庫J)

ラノベ部 (MF文庫J)

「先の展開に興味が無い」というのであれば、逆にこうした作品を読んでみるというのはいかがでしょうか。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
見落としや、伝えられる情報の度合いについては一概にいえることではないかもしれませんが、「物語の濃さ」という表現にはピンとくるものがありました。
また本の紹介もありがとうございました。ただ、申し訳ないのですが「先の展開に興味が無い」=「ストーリー展開のない物語が好き」ということではありません。むしろ、ストーリーに引き込まれていくような面白さを持った小説に出会いたいです。

2012/01/16 11:08:58
id:BLUE925 No.12

ん?回答回数63ベストアンサー獲得回数52012/01/14 17:54:41

既出ですが…
やはりつまらない本、興味の無い本を読むのは、つらいだけのため、読むのをやめてしまうのだと思います。
つまらない物は映画、ゲームだってつまらないです。
体が受け付けないものであれば読むことはありません。
まずは、自分の見た映画やドラマの小説版を読んでみたらどうですか?
楽しいと思えた時、あなた自信の『本の魅力』が分かるはずです。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。
面白いと感じた映画やドラマの小説は、たしかに面白いと思うかもしれません。
ただ、映像作品の小説版を読んで面白いと感じる感性は、そうではない一般的な小説(映像化されてない独立した小説)を読んで面白いと感じる感性とは別物のような気がいたします。
映像作品の小説版は、読書の入口としては良案ですが…読書の感性を磨くためには、また別の工夫が必要そうです。

2012/01/16 11:12:40
id:offkey No.13

offkey回答回数65ベストアンサー獲得回数52012/01/14 19:34:20

E.T.A.ホフマンに「クライスレリアーナ」という小説があります。ヨハネス・クライスラーという人物を中心にした音楽に関しての連作集なのですが、その中に「音楽嫌い」という章があって、その章の主人公は、周りから音楽嫌いといわれ、感受性が鈍いとか情緒がないとかさんざんにいわれます。
なぜ、そんな風にいわれるのかというと、いろんな演奏を聴くのですが、彼にとってはその演奏が実につまらなく、あるいは嫌悪するほど耐え難いシロモノに聞こえてしまうのです。
で、そのことを表明してしまうために、「音楽嫌い」といわれるようになったのだとか。

今までの質問と回答へのコメントを拝見しまして、この小説を連想しました。

一般的に高評価を得ている本は、「つまらない本」でななく、多くの人が「面白い」と感じた本ですよね。しかし、私はそういう本の多くを「面白い」と感じることができません。つまり私は「つまらない本」を「つまらない」と感じて放置してしまうのではなく、「面白いはずの本」を「つまらない」と感じてしまって、結果放置してしまっているのです。

こういうコメントをするところなど、まさにその章の主人公の考えにそっくりです。
文章はしっかりしておりますし、自分で何が駄目なのかということもわかっておられるようですので、もしかしたら小説の魅力がわからないのは自分が魅力的だという本に出会ったことがない、ということに尽きるのではないかと思いました。
恐らく、この主人公のように小説に対する要求水準が高くてらっしゃるのではないでしょうか。こればかりは感性の問題ですので、いかんともしがたいところです。

私も中学生の頃、筒井康隆さんに出会うまでは読書の面白さがいまひとつよくわからなかったことがあります。
本の出会いは人の出会いに似ていると思います。
人から、あのひとは面白い人だ、といわれても自分ではそう感じなかったり。
残念ながらこれをお勧めするということは私の浅薄な体験では難しいのですが、安部公房が面白かったというのであれば、カフカなどはいかがでしょうか。
あるいは、いっそ人気作家やベストセラーはいったんよして、誰も読まなさそうに見える本をあえて選ぶとか、人と違ったことをしてみるのもいいかもしれません。

id:akito1063

人に勧められた本の中に、自分と似ている登場人物が現れた経験は私も一度だけしています。以前の回答者様もおっしゃっていましたが、映像作品の場合は登場人物に自分を投影しにくい一方、その小説の場合は感情移入していくことができました。その本も途中で脱落してしまったので、いま頭から読み直しているところなのですが…。「クレイスレリアーナ」、読んでみたいと思います。

読書経験が豊富で目が肥えているわけでは決してないので、「要求水準が高い」というよりも、本との出会い経験があまりにも少ないがゆえに「要求範囲が狭い」のかもしれません。

ご回答ありがとうございました。

2012/01/16 11:22:26
id:HARUME No.14

timmy回答回数341ベストアンサー獲得回数162012/01/14 22:35:46

なんか悲しいことや嫌なことがあって、でもその気持ちを共有できる人が周りにいなくて、同じような経験をした人の本があれば感情が共有できていやされるというか(陳腐な表現ですが)気持ちが楽になるので本を読む意欲がわきます。小説とか文を書くのもそういう強い動機があっていいものがかけることが多い。ただ、この場合だと本に限らず映画や音楽などにも同じことが言えるので、絶対に本じゃないと、とはならないです。

逆に現実逃避というのもあり、嫌な現実から逃げる方法の一つが読書だと思います。少なくとも本を読んでいる間だけは現実を忘れていられる。ただ、嫌な現実がなければ逃避する必要もないので、必要ないのかもしれませんが。

あとは自分と感性が合う人のものが見つかれば、本が違うのはそれぞれの著者の文体や言葉づかいが好きだとか、そういうのでうっとりできると気持ちいいのでそういうので読む場合もあります。一人合う作家がみつかればその人の引用しているものとか友達とかたどっていくと世界が広がります。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。

現実で辛いことがあったときに読書し、癒されたり現実から逃げたりするということは、読書習慣がない私の場合にはしっくりきませんが、そういう小説の力もあるのですね。音楽を聴くように、小説を淀みなくすらすらと読め、感情移入して小説に潜っていける人に限定されそうですが…。いつか、そういうことができる読書家なりたいです。

2012/01/16 11:27:23
id:yueya No.15

yueya回答回数1ベストアンサー獲得回数02012/01/15 01:49:58

初めて投稿します。よろしくお願いします。

私も読まなきゃという義務感から、買ったり借りたりして、読んでいない本が山積みになっています。先日、中国甘粛省の敦煌というところへ旅行に行き、砂漠の中を1週間旅してきました。そこで見たものは非現実的な世界でしたから、帰ってから興奮して、井上靖の『敦煌』を読みました。10年以上前に読んだときは、たいくつでちっとも進まなかったので、途中でやめてしまった本でしたが、今回は、のろのろと読み進めながらも、とうとう最後まで読みきりました。やはり実地でこの目で見てきたものが舞台となっているという点で、引き込まれたのだと思います。
 難しい表現が多い本でしたからとても時間がかかりましたが、ちょっと時間が空いたときや、寝る前、通勤の電車の中、カフェで過ごす時間、食事を待つ間など、細切れの時間を使って、少しずつ読み進めていくうちに、話が佳境に入ってきて、残り3分の1くらいは、一気に読めました。

私はどうも読む場所に影響されるタイプのようで、自分の家以外で、一人になれる場所。しかも、ちょっと周囲が騒がしいくらいの場所で読むと、集中できるようなカンジがします。読もうと思った本一冊と、お財布だけ持って、ホテルのラウンジ喫茶などに行き、ちょっとお高めのコーヒーでも注文して、じっくり本と向き合うと、100ページくらい進みます。

読みやすい時間や場所がみつかると、結構読めるものではないか、と思います。
要は、たいくつな時間をわざと作って、そのときにたいくつを埋められるものとして、本一冊という設定を作るわけです。否が応でも、向き合いますよね。我慢して読み進めれば、それなりにストーリーは頭に入ってくるし、徐々に登場人物に感情移入できたりしますから、「本と向き合える場所と時間」を作るのは、結構効果があるのではないかと思います。

id:akito1063

ご回答ありがとうございます。

自分の経験と小説世界とが結びついたときは、アドレナリンが分泌されそうですよね。まだ実感したことはありませんが、なんとなく感覚的にわかります。読書に限らず、あらゆる文化に触れるときには、こちら側に文化知識なり人生経験なりが蓄えられていると、より深く文化を享受することができることと思います。

もしかしたら、私の場合には読む技術というよりも、知識や経験が不足しているのかもしれません。読書中に自分では理解できないことが出てくると、小説から頭が離れて行ってしまうことがよくあります。
他の文化、例えば音楽や演劇を私が楽しむことができているのは、私が理解できないことが出てきても、そのことを無視して演奏や演技が続いていくから、音楽や演劇の世界に留まることができるからなのかもしれません。

おかげさまで自分の文化趣向への理解が深まりました。ありがとうございました。

「たいくつな時間をわざと作って、そのときにたいくつを埋められるものとして、本一冊という設定を作る」というアプローチもなるほど、と思いました。

2012/01/16 11:35:49
id:gm91 No.16

GM91回答回数1025ベストアンサー獲得回数912012/01/15 18:39:39

読書って無理してすることでは無い様に思います。
が、「4月から勤務する職種の関係上、読書経験を蓄えておく必要」というのが気になります。どのような職業であれ、必要ならば本を読むという行為は発生しますが、その必要性についてもう少し補足いただければより的確なアドバイスが集まるのではないかと思います。

あくまで趣味としての読書や本好きという話をする限りでは、好き嫌いがあって当然だと思いますが、職務上の必要と言うことで読む本については好みの問題とはちょっと違いますよね。

id:es-labo No.17

eses回答回数287ベストアンサー獲得回数382012/01/15 19:38:49

仕事で、”小説”を読まないといけないということでしたら・・・。
(自身が味わうよりも、内容を抑えておく必要性が急務というときなど)
わたくしの場合は、日曜の新聞、書店員さん、プロの書評、さらには読書アプリなどのサービス、そして、帯やあらすじなどから
ヒントであったり要のところなどを活用させていただき フォトリーディングのように ざっくりと概要・地図・人物相関図を描いています。(ノートやWEBページへ)
---
http://100satsu.com/viewer/
http://1000ya.isis.ne.jp/file_path/table_list.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
http://www.junkudo.co.jp/hon/09.html
http://histy.jp 
http://n.ashitane.net/
(登場人物の出来事年表であったり・・・。)
---
http://mediamarker.net/
http://calil.jp/
http://www.honzuki.jp/
http://book.akahoshitakuya.com/
http://www.bookreco.jp/
その後、3色ボールペン(斉藤孝先生)でいわれています 特に緑色の箇所は、
どのようなとあたりをつけておいて、実際に小説を読むとスピードが出て、それまでさっさと手に取らなかったのはなぜだろう?と感じることがよくありますが。(笑)

しかし、必要な書籍の場合は、また自分のフィルターを通して、周りの人や商談のときにちょっとお話という機会がありますので、これまでの他の方々が面白いと思った箇所はここだったなーという複眼的、立体的に考えることが可能となり、結果として主観とは違うものとなるような気がいたします。(ディスカッション済み?)

自宅で集中できないときは、図書館の自習コーナーや子供の本のコーナーで読みます。
大人が真剣に読んでいると、負けじと読むスピードや冊数をちらちらとみながら競争をしてくる子供たちなどもあったりと、まわりでも読書を楽しめる環境に身をおきます。

必要かなと思う本は、他の人も読んで感想をお持ちだと思うのですでにおもしろいなにかヒントがありそうという予測作戦です(笑)
---
そして、急ぎではないときは・・・。
基本的にハウツーものがすきなので、RPG的な攻略などでしたら、
http://bloomingdesign.net/wordpress/
http://ameblo.jp/ikedatakamasa/
といった4コマにまとめるといった形やNLP、フォトリーディングなどもおすすめです。(しかし、わたくしも小説に関しては、速度が出ないので、上記のような状況を面で拡大して理解へとつなげる方法です)
そのようなことを感じました。参考まで。

id:es-labo

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20111212/1038970/ 最後にこの記事を添付わすれていました。

2012/01/16 12:34:27
id:kazuhiroyuuya No.18

サトル回答回数4ベストアンサー獲得回数12012/01/15 21:04:46

私が読書をするのは現実逃避できることからです。
物語は続いているので自分のイメージが本の内容に沿っていればあとは読み進めるのみです。
自分のイメージしやすい本が見つけるのが大変かもですが・・・

id:Jupiter-1 No.19

Jupiter-1回答回数187ベストアンサー獲得回数32012/01/16 16:48:44

私の場合、映像化作品の原作はなるべく読むようにしています。
中には映像化作品はつまらなかったのに、小説で読むと面白いという作品も出てきます。
たとえば小説では内面描写に重きを置いているものがありますが、この手の作品は映像化しにくいです。
へたをすると主人公のモノローグだらけになってしまうからです。
個人的には

扉は閉ざされたまま (祥伝社文庫)

扉は閉ざされたまま (祥伝社文庫)

なんかがおすすめです。
コロンボや古畑でおなじみの犯人視点のミステリーで、結末には賛否ありますが大変面白いです。
完全犯罪を目論む犯人と、犯人のミスにつけ込もうとする探偵役の攻防がハラハラさせられます。
あと最近のアニメ化作品で

Fate/Zero(1) 第四次聖杯戦争秘話 (星海社文庫)

Fate/Zero(1) 第四次聖杯戦争秘話 (星海社文庫)

アニメでは前半までとりあえず終了して、後半は4月から再開だったと思いますが、これも小説では登場人物の内面を詳しく描写しているのに対し、アニメではその辺をあっさり流してしまっているので、なんとなくアニメ版だと登場人物が薄っぺらい感じになってしまっています。

  • id:AINA_18
    俺はそもそも読書はニガテでした。
    けど小説を読むときは自分の好きなジャンルから選びました。
    たとえば、銀魂が好きなんですが、そのときは3Z(3年Z組銀八先生)などの関係のある小説を読みます。

    だから自分の趣味に合わせて本を選ぶといいと思います。

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