「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」
http://blog.goo.ne.jp/too_fat_taka/e/0fc78f831316e60b402e9c69c424a669
“すでに決死だから、途中、何事か起こって中道で斃れることがあっても、
もとより男子として本懐である”
と首相就任時に家族に語った浜口。
首相就任が1929年(昭和4年)7月2日、生年月日が1870年5月1日なので、59歳のときですね。
※ご参考
本のタイトルは浜口雄幸が首相に就任する際に家族に言った「すでに決死だから、途中、何事か起こって中道でたおれるようなことがあっても、もとより男子の本懐である」という言葉からきている。
http://www.kainan-h.wakayama-c.ed.jp/tosyokan/book%20talk/book%20talk%203%20fujisita.pdf
興味深い質問ですね。Wikipediaでは財部彪海軍大臣に対して、
私の回答のURLでは、家族に対して言っています…。
次のような記述も見つけました。
浜口は日頃から「男子の本懐〔ほんかい〕」という言葉を好んで用いたそうです。
http://melma.com/backnumber_10265_1140999/
城山三郎の本は、http://www.shinchosha.co.jp/book/113315/ によると「長編経済小説」となっていますね。なので、もしかしたら海軍大臣に対して語った言葉を家族に言ったとアレンジした可能性もありますが、一方で「日頃から「男子の本懐」という言葉を好んで用いた」ということであれば、「どちらも正しい」という可能性も捨て切れません。
おそらく首相在任期間に語っていたことは間違いなさそうですが、もう少し回答を募集してみたいと思います。
ロンドン海軍軍縮条約のときらしいので1930年、60歳。亡くなる1年前くらいではないでしょうか?
「仮令玉砕すとも男子の本懐ならずや」
日米英など5カ国は、ロンドン海軍軍縮条約に調印した。
「日本が世界に立ってその政策を実行し、また世界の平和、人類の幸福増進に努力するとともに国家の安全を保障すべきは勿論(もちろん)であります。それについては世界に孤立いたしましては到底目的を達することはできなかろうと存じます」その政治信念を実現する条約交渉に、海軍の“参謀本部”である軍令部の加藤寛治部長は「統帥権干犯」を訴え、帷幄上奏(いあくじょうそう)(昭和天皇への直訴)に及んだ。自衛力を維持する一方で「軍艦の比率は英米より低きをいといませぬ」という浜口の協調外交に対する反旗だった。
が、調印から批准への道のりが覆ることはなかった。浜口が指揮する政党政治(民主主義)が昭和天皇と手を携えて、軍に対する文民支配の模範を内外に示した貴重な瞬間だった。
冒頭は軍令部や強硬派との対立が先鋭化したとき、浜口が理解者だった財部彪(たからべ・たけし)海相にもらしたことばだ。
彼はまた、「統帥権干犯」という言いがかりのために身の危険が増大しても、周囲にこう語って平然としていた。「身命は君国に捧(ささ)げてある。命が惜しくて何ができるか」
http://www.southeast.sakura.ne.jp/meigen201005.htm
http://yomi.mobi/wgate/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E9%9B%84%E5%B9%B8___sharp___.E3.83.A9.E3.82.A4.E3.82.AA.E3.83.B3.E5.AE.B0.E7.9B.B8.E3.81.AE.E7.94.9F.E3.81.8D.E6.A7.98/a
ありがとうございます。これはかなり時期が明確化してきました。
なるほど。上の文章は2010年05月18日付けの産経新聞の記事のようですね。
http://blog.livedoor.jp/hanasyoubu2020_006/archives/1481872.html
回答ありがとうございます。
2012/02/28 20:04:13ウィキペディアにしては珍しく情緒的な記述だと思いますが、この発言は昭和4年のことで間違いないでしょうか。