それによれば、布団の中で考えごとをしていて、思いついたことを枕元のノートに書く習慣をもっていて、それを繰り返しているうちに「この新しい場には、電子の約200倍の質量をもち、ボーズ統計に従う新しい粒子(中間子)を伴うべきことを結論した」とあります。
え? そんな思いつきで生まれた理論でノーベル賞がもらえたの? ちょっとびっくりしました。
彼がノーベル賞をもらったのは、本当にこんな思いつきによるのでしょうか。湯川秀樹博士の他の文献に、別の説明などありませんか。あったら教えてください。
あまりにあっけないので、にわかには信じがたいので、比較参考にする資料を探しています。
理系論文 ~ ひとこと言うために数十枚の証明を要する ~
── 「大分、不眠症が昂じていた」と湯川は回想する。「いろいろの
考えが次から次へと頭に浮ぶ。忘れてしまうといけないので、まくらも
とにノートが置いてある。一つのアイデアを思いつくごとに、電灯をつ
けてノートに書きこむ。こんなことが、また何日かつづいた。(1934年)
十月初めのある晩、私はふと思いあたった。核力は非常に短い到達距離
しか持っていない。この到達距離と、核力に付随する新粒子の質量とは、
たがいに逆比例するだろう。」その質量を当たってみたのは翌朝である。
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/02/020/page3.htm
── 湯川 秀樹《旅人 ~ ある物理学者の回想 ~ 1957 朝日新聞 19600115 角川文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4041238013
1.アルキメデスや益川教授は、風呂場で着想を得たと伝えられる。
── 『CP対称性の破れ』を起こすメカニズムは、クォークが4つだ
けでは難しかった。素直に考えていけば6つが自然。(略)風呂から上
がったときに6つまで拡張すればできると思いついた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20081007
浴槽の着想 ~ ヘウレーカ・フロフェッサー ~
2.文系論文も、わずか一行の記述を裏づけなければならない。
── 平家物語に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあれば、
われわれ経済学者は、これを理論的に分析しなくてはならない。
(京都大学経済学部50周年の記念講演より)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061018 経営三原則 ~ わたしの経営免許論 ~
3.日本文学の代表作も、簡略な一句によって長編小説が始まっている。
── つぎの書き出しは、日本文学三大名文の例(年代順)です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4603015.html (No.3)
現代文の条件 ~ 翻訳ソフトでも通じる三段論法で ~
4.ベートーヴェン《第九交響曲》の主旋律は、十年かけて温存された。
── 創造の主力がむけられはじめたのは一八二二年であり、完成は一
八二四年であるが、最初のひらめきは一八一二年にさかのぼる。(P101)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/400335012X
── 小松 雄一郎・訳編《ベートーヴェン音楽ノート 19571205-19951116 岩波文庫》
「湯川秀樹日記」に経緯が載っているようです。
http://planck.exblog.jp/10557261
しかし、この発見は一夜の思索でもたらされたものではなかった。量子力学の発見に遅れてきた湯川は、大学を卒業する1929年までに研究テーマを「相対論的な量子論」と「原子核の理解」の2つに定めている。そして、1932年にチャドウィックが中性
子を発見し、また加速器による原子核の人工的破壊が可能になると、原子核の研究が一気に勢いづく。この後の2年間、湯川は核力の本質の解明に全力を注ぐことになる。
・・・・・
この日記は中間子論発見の経緯に光を当てる第一級の科学史資料である。
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/02/020/page2.htm
湯川は核子間の距離が10の-15乗mを越えると核力が急激に弱くなるという実験結果から、U粒子の質量を電子の質量の約200倍と推定することができた。
最近まで日記は公開されていなかったのですね。
読んでもわからないけど、何が秘密(これまで公開しなかった)だったのだろうと思いました
疑惑という言い方は失礼しました。
2012/04/22 04:16:30どうして中間子という思いつきが、まるで証明されたかのようになっていくのかのプロセスというのでしょうか。それがわかりません。
…… 研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないよう
な時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさに
くちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込む
ような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことが
しばしばあるようである。(P67/124)
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B009AJGMIG
── 寺田 寅彦《コーヒー哲学序説 19330200 経済往来 19480515 岩波文庫》