1336146835 自意識のありかについて

http://macchiro.tumblr.com/
こちらを見て昔ずっと思ってた疑問を思い出しました。
「ルパン三世 ルパンVS複製人間」で最初にルパンが殺され、それがオリジナルかクローン人間か悩むシーンがあります。
その時A:オリジナルとB:クローンがいて、客観的に区別できず、A,B共に自分がオリジナルだと思っていても、主観的には世界でただ一人、オリジナルにはどちらが本物が区別できるはずだと思いました。

つまり、何か手術を受けて、A(自分),B(コピー)の目の前にA,Bの札があったとき、自分が目を覚ました時に、Aの札が見えるはずだと思いました。

その時、疑問に思ったのは、もし、脳も半分づつコピーと交換した場合は自分が目が覚めた時、A,Bどちらの札が見えるのだろうかということでした。

もし100%脳も交換したのであれば、自分が目を覚ました時、Bの札が見えるでしょうが、もし半分交換した場合、あるいは、1%から100%まで少しづつ交換した場合、いったいどの場合に自分が目を覚ました時にBの札が見えるのだろうかというのが昔からの疑問です。

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  • 登録:2012/05/05 00:55:10
  • 終了:2012/05/12 01:00:03

回答(5件)

id:kyokusen No.1

きょくせん回答回数824ベストアンサー獲得回数862012/05/05 01:19:15

ポイント100pt

 この場合、脳が記憶/精神の座という解釈をなさっておられるのでしょうけれども、もし記憶/精神が全て同等のコピーが作成できたとした場合、それはその瞬間においてはオリジナルと区別がつかないのではないでしょうか。

 つまり、作成されたのはAとBではなく、AとA’という事になります。ただし、それが完成した次の瞬間、A’はAとは時間軸において異なるものとなり、Bとなる事でしょう。これは作成時点からの経過時間が長ければ長いほどその差異は顕著となり、その解離は大きくなっていくと思います。

 ですので、コピー製造直後はオリジナルとコピーは区別できず、どちらも自分はAであるという意識を持つと思うのですが、時間経過後はAとBとなり、その後脳交換(記憶交換とした方が個人的にはすんなり来るのですが)を行った場合、自分がAないしBであるという確固とした判断は出来なくなるのではないか……オリジナルとしてのAという基準が脳交換によって失われる訳で、どちらもがオリジナルであると主張する事は出来なくなるのではないか、と思います。……もちろんそのあたりは被験者(?)の性格にもよるとは思うのですが、自分がオリジナルであると認識する事により固執する場合はその互いがオリジナルであるという言い張るでしょうし、逆にオリジナルである事に固執しない性格であればどうでもいいとするのではないでしょうか? ……どうもこのあたりは哲学とか宗教の問題~その被験者が何を信ずるか~によってくる気もするんですよねぇ。

 ちょいとお求めの回答とは程遠い気はするのですが、以上より、オリジナルもコピーも自分がオリジナルであるのだと確固たる自信を持ってそれを主張する事は出来ない、と私は考えます。

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id:garyo

>garyoさんおいう『自意識』は科学哲学でいう所の『魂』であるように思えます
私も浄土真宗ですが、『魂』の有無については少し手にあまる議論です。
どちらかというとプログラマですので、「自意識を持つプログラムは可能か?」とか「そもそも自意識とは何ぞや」という方に興味があります。

> クローン母体である我=A0
> クローンの母体とされた我=A1
> クローンである我=A2
 
> garyoさんはこのA0とA1は同一のものであるとし、A1は自分がA2ではな
>いと自認しえるのか否か、という辺りをお考えなのでしょう。つまり、私が
>言うところのA0とA1という区別が存在しない。だからこそAとBという二
>分化が可能なのだと考えます

そうですね。主観的に考えてA0とA1は同一に思える。しかしそれは本当だろうかというのが、質問の真意でもあります。
しかしA0とA1は同一ではないとすると、これまで生きてきた自分というものは何なのか、寝る前の自分と目覚めた時の自分は同じ自分なのかとか、「そもそも自分は存在するのか?」というぞっとする疑問が出て、それが主観に反して納得できないため疑問なのです。

2012/05/06 01:41:54
id:kyokusen

 なるほど、A0とA1の同一性についての疑問となりますか。そうなれば最初のあん○んまんの話に戻るんですね。

 私、アレはどうもしっくりこないのですよね。多分garyoさんは自分と言うものが静的(static)なものと捉えておられるんだろうと思うのですが、私は動的(dynamic)なものだと捉えています。もちろん、この動的なものの中にも静的な要素を含んだものがある訳ですが、そのあたりも結局は動的なものなんだろうな、と。

 一時期、福岡伸一氏の『生物と無生物のあいだ』がブームになりました。私はお恥かしながら本書未読なのですけれども、そこで書かれているのは『動的平衡』と言うものだったそうです。……当該書を読んでないのは、私にとって『生物と無生物の間』と言う書物は岡田節人先生のそれで、だからこそその本の題名に違和感を覚えているというものです。この辺りは静的(保守的)ですね!

 と。動的平衡とは、私自身は、ミクロ的には揺れ動いているのだけれども、マクロ的にはフラットに見える……静的に見える状態だと解釈しております。これは福岡氏の見解と違うかも知れませんけれども、私にとってのそれはこうなのです。もちろんこの先その解釈を改める可能性は多分に含んでおりますが。

 自分は動的なものだといった意味、なんとなくつかんでいただけたでしょうか。↑の文章を読んでいただくとわかるかなぁ、とも思うのですが、『動的平衡』という言葉の解釈をしている私は『我』なのですね。それこそが『我』。ただしこの『我』はこの先変わっていく可能性を多分に含んでいる。つまり、この『我』は固定された、静的な存在ではなくて動的なものであり、短時間ではその我は静的に見えるのですが、長期間で見た場合、『我』は大きく変化している可能性がある。『動的平衡』の定義とは真逆の事を言っていますが、そんな感じかなぁ、と。ともあれ、『我』は時間(経験)を経て変わっていく。だけれどもこの『我』は現時点においては自分なりに言葉を定義している。私の言う『自分』とはまさにここで、そういう意味において『我思うゆえに我あり』の『我』なのです。

 ですので、時間的にぶつ切りにした『我』は異なっていて当然で、あ○ぱんまんの戯画(ここではそう表現させていただきましょう)の指摘する所はまったく持って当然。ド○えもんの評もすんなり受け入れることが出来るのです。

 運がいいのか悪いのか、私は日本に生を受け、その文化(やものの考え方)にどっぷり首まで浸かっています。ですので、万物と言うものは流転する、行く川の流れは~という感覚が馴染むのですね。諸行無常でもいいですけれども。

 話が行きつ戻りつしますが、私は静的な『自分』の存在を信じません。『我』とはつまりモノを捉える思考主体としての『自分』であり、それは基本的に一定固定のように見えますが、実際は大きく揺れ動いています。ですので、次の瞬間、例えば私が福岡氏の見解を読んでそれに影響されたとしても、それはやっぱり『自分』であり、自分ではないと言う見解を持ちません。……そういう意味においては、『我』とは我が肉体にという私にとっては唯一のハードウェア宿る連続思考体(これはソフトウェアですね)と言う風にいえるかもしれません。ですので、その連続した存在である自分であろうと思われるどこでもドアの例であればくぐる前の自分とくぐった後の自分。今回のクローンであれば、A0とA1は同一の『自分』であると考えます。対して複製されたハードウェアに載るもう一人の『自分』というソフトウェアは自分とは別の存在であり、別個のハードウェアにある以上、それは最初同一のものであったとしてもそれが二つになった時点で別のもの、時間を経ればその解離はますます激しくなってBとなると考えるのです。……ソフトとハードは分離できないんじゃないか? というお話はここでは勘弁してくださいね。私と言う存在はまさしく分離不可能なものでありますけれども、その解釈をやろうとするとそれこそえらい時間がかかりそうですし。


 以上、またつらつらと書きましたが、私とgaryoさんの立場の違いはこのあたりなのかなぁ、と思いました。『自分とは変わっていくものである』という認識を持つ私には、A0とA1の区別はできませんし、それが同一の視点において存在するならば、同じものであると考えます。ですが、別視点を有した私は既に私ではなく、彼となっている。このあたりの私の考え方は了解いただけましたでしょうか?
 後もひとつ。どこでもドアの問題は、アメリカなんかだと転送問題という話で議論がなされているように思えます。
http://ameblo.jp/anti-capitalism/entry-10417589497.html
 これっすね。このあたりは哲学的議論の一命題として扱われているとは思うのですが、やっぱ諸説紛々としているように認識しています。……そういう意味では新井素子さんの『今はもういないあたしへ…』はgaryoさんの立場を取ったお話といえるんだろうな、と思うんですけれどもね。

2012/05/06 11:35:29
id:suppadv No.2

suppadv回答回数3552ベストアンサー獲得回数2682012/05/05 07:35:01

ポイント100pt

>A,B共に自分がオリジナルだと思っていても、主観的には世界でただ一人、オリジナルにはどちらが本物が区別できるはずだと思いました。


記憶が完全にクローンされていれば、どちらも自分がクローンを作って記憶を移したという記憶を持っていて且つ自分がオリジナルであるという考えしかもてないはずですので、相手がクローンであるとの認識になると考えられます。
そのため、オリジナルとクローンのそれぞれの認識のためには、クローンの方に本来ないはずのほくろをつけるなどして何らかの方策が必要になると思います。

また、記憶のコピーが100%行われない場合には、記憶の欠けているほうがクローンであるとの認識になりますので、0.1%でも欠けていれば、お互いどちらがクローンなのか認識が可能になります。

id:garyo

ありがとうございます。
suppadvさんが眠っている内に記憶も含めた100%コピーが作られて、客観的にはどちらがどちらかわからない状態だとします。
そしてコピーを日本に、suppadvさんをアメリカにつれていって目を覚まさせたとします。
その時にsuppadvさんの目に映るのはアメリカの景色であって日本ではないですよね。
この時、脳も半分ずつ交換した場合、suppadvさんが目覚めた時に自分が日本とアメリカのどちらにいると認識するのだろうかという疑問です。
日本とアメリカに同時に存在すると認識することはできませんから、どちらか一方だと思います。
あるいは脳の極1部を交換した場合はおそらく目が覚めてsuppadvさんは自分がアメリカにいると認識するでしょう。
逆に100%交換すればsuppadvさんは目が覚めて自分が日本にいることを認識するでしょう。
では極1部から100%までのどこまでの交換でsuppadvさんの目覚めた時の国が変わるのだろうかというのが疑問です。

2012/05/05 12:32:57
id:grankoyama No.3

グラ娘。回答回数560ベストアンサー獲得回数1702012/05/05 22:44:52

ポイント100pt

no1のきょくせんさんの考えとかぶってるかも知れませんが、長くて流し読みしかしてないので。

Aを本体、Bをクローンとします。
で、Aはアメリカで目覚める。Bは日本で目覚める。
ここまでは、なんの問題もありません。

で、脳の入れ替えた場合なのですけど、そういうことをすると主観自体が変化して、
脳の入れ替えを行った『A』は『A’』、『B』は『B’』という存在になると思うのです。

なので、アメリカで目覚めたのはA’の意識(主観)であって、それは既にBと混じりあい、
本来のAの主観は、もうどこにも存在していないというのが、私の考えです。

ほんの一部分だけ入れ替えた場合は、A’と言えども、限りなくAに近い存在なので
しょうけど、やはり、Aとは別であるはずで、記憶もコピーできるのなら、
脳の移植をした段階でオリジナルが存在しなくなるということにならないでしょうか?


そもそも、やっぱり
『記憶/精神が全て同等のコピーが作成できたとした場合』は、オリジナルもコピーも
それぞれ自分がオリジナルなのかコピーなのか判断できなくなっていると思います。
で、オリジナルであることを願い、コピーである可能性に恐怖するような状況。

私が、そういった状況に陥って、となりでもう一人の自分が殺されたなら、
自分こそがオリジナルであってくれと願い、それを信じようとするでしょうけど、
結局、自分がコピーである可能性も捨てきれずに、思い悩みつつ、
一人しか生き残らなかったのなら、残ったほうが本当の自分として生きたら何も
問題ないじゃないかって考えて割り切るような気がします。

他2件のコメントを見る
id:garyo

>自意識なんてものは無い、幻想、脳の活動の結果にすぎないというのが、私の意見に
>一番近い着地点かもしれません。
理性的に「それはありえるかも」と思いつつ
感情(主観)的に認められない(信じられない)という考えです。

「自意識なんてものは無い」と書くのは簡単ですが、グラ娘。さんが今見ているグラ娘。さん自身が実は存在しないということに納得がいきますか?

2012/05/06 01:56:49
id:grankoyama

納得いくかいかないかでいくと、納得できるほうだと思います。
脳(思考とか)の仕組みが科学的に解明されたり、人間程度の人工知能が開発されて
その仕組みが明らかになれば、ああそうだったんだと。

ぼんやりの知識ですが、結局、記憶と思考パターン(思考の経路とかの優先順位)から
機械的にわたしの考えが生まれているんだろうなと考えています。

まあ、少々SFチックになりますが、未知の粒子なんかが存在してて、たまたま人間の脳がそれに、アクセスできていて、他の動物よりも高度な知性が得られてたりしたら面白いなとかも考えたりしますけど。

2012/05/06 21:25:22
id:pretaroe No.4

pretaroe回答回数531ベストアンサー獲得回数752012/05/06 15:52:38

ポイント100pt

区別できない場合は、どちらもオリジナル

コピーというのが厳密にコピーなら
区別つかないので、半分交換してもしなくても同じですよ。

チョコ6個入りの物を
コピーして
複製チョコ6個を作りました。

その内半分の3個ずつを交換しました。
別に半分でなくて1個の交換でも同じ。

結局、この2つは同じ。

ただし、記憶が違うとか、細胞年齢が違うとか
違いがあれば、何らかの区別が可能。


自意識については、あとから書き換えることが可能なので
コピーの方にお前はオリジナルだという記憶を書き換えるか、後から洗脳するとか。
オリジナルの方に、お前はコピーだと記憶を書き換えるか、後から洗脳する。

でも、多くの人の認識は、その記憶が書き換わったとしても
もともとの属性であるはずだとなります。


自意識はありますが
相対的にしか認識できない物であると思うので
己自信で区別がつかないことと自意識が存在するかどうかは別の話かと。

他1件のコメントを見る
id:pretaroe

オリジナルとコピーの違いが
その1点だけなら、死んでいないことになりますね。

それは他者から見た場合は、死亡していないと言うことです。


自意識は当然、コピーとオリジナル、それぞれにあります。
たぶん、意識の継続とかの話だと思いますが、

量子力学の観測問題のエヴェレットの多世界解釈のような物だとおもわれますが・・。

2012/05/08 05:38:39
id:garyo

平行宇宙に複数の自分がいた場合、どの自分が本当の自分かという点では、ある意味似ていますが、平行宇宙も出てこないですし、もっと単純な、恐らく物理的というより情報系の問題ではないかと思います。
確かめようが無いという点では同じですが。

2012/05/09 02:30:03
id:gm91 No.5

GM91回答回数979ベストアンサー獲得回数842012/05/08 00:21:38

ポイント100pt

Aを記憶まで完璧にコピーしてBを作った、
年齢も後天的な身体的特徴(やけどの跡とか)も全て同一。
という前提で述べます。

一部始終を知ってる第三者からすれば(シャッフルするまでは)
A:オリジナル
B:コピー
という認識はできるでしょうが、
当人たちからすれば、AB共に「俺がオリジナル、相手がコピー」という認識になる筈です。

あるいは、
「俺は俺、よく似たあいつは誰かしらねえ」
と解釈するかもしれませんが。

ポイントは、
コピーが誕生した瞬間までの記憶を全く時間差なしに再現できたとしても、その後意識を共有できない限りはあくまで「よく似た双子」に過ぎなくなると考えます。
その瞬間から別人(別人格というべきか)。

そうなると、オリジナル/コピーという認識については、当人達にも思い込むことはできても、知覚することはできないでしょうし。

コピー元、と言う意味での「オリジナル」は存在するだけで、最早意味をなさない。
更に、脳まできれいに分割しちゃえば、第三者視点での「オリジナル」もだんだん薄まっていくそういう感じでしょうか。

他5件のコメントを見る
id:gm91

そうなると、オリジナルとコピーというよりも、「自我を司るのはいったいどの部分か?」という議論になってしまうような気がするですよね。
1)garyoさんの自我はGM91の中にはない
2)garyoさんの自我はgaryoさんののーみその中に・・・多分ある。
3)garyoさんの自我はgaryoさんののーみそのどこにある?むずかしい。

のーみそを2つに割って「自我」がある方が私、かな。

2012/05/08 22:38:57
id:garyo

ありがとうございます。
>そうなると、オリジナルとコピーというよりも、「自我を司るのはいったいどの部分か?」と
>いう議論になってしまうような気がするですよね。
初めて私の疑問を他の方に理解して頂いた気がして嬉しいです(;_;)

>のーみそを2つに割って「自我」がある方が私、かな。
恐らく、自分で実験してみないと結果がわからないし、結果も世界中で自分にしか分からないと思います。
実験しても結果が誰にも分からない(本人を除いて)というのがパラドックス的で不思議です。

2012/05/09 02:24:23
  • id:xnissy
    「ルパン三世 ルパンVS複製人間」を見ていないのですが、どのようにコピー(クローン)をつくったかによるように思います。記憶や自意識まで完全にコピーしていれば、ABどちらも「自分」になるのでは。
  • id:ku__ra__ge
    「A,B共に自分がオリジナルだと思っている」「オリジナルにはどちらが本物が区別できる」
    この2つが同時に成り立つ状況が、どういう状況なのかちょっと想像がつきません。

    このとき、AとBはそれぞれ以下のような意見を持つということでしょうか?
    A「自分はオリジナルだと思う。自分は複製人間ではない!」
    B「自分はオリジナルだと思う。自分が複製人間であるかどうかは、判断できない」

    だとすれば、その理由はなんでしょうか?
    (garyoさんの直感?物理的にコピーが完全ではない?「魂」がコピーされていない?)
  • id:TAK_TAK
    A,Bの札
    "札"って何ですか?
  • id:garyo
    xnissyさん。
    >ABどちらも「自分」になるのでは。
    もしxnissyさんの100%コピーを作ってそれを殺しても、xnissyさんは自分が死んだとは思いませんよね。逆にxnissyさんの100%コピーを作った後、xnissyさんを殺したら、xnissyさんは自分が「生きてる」とは感じないと思うのですがどうでしょうか?

    ku__ra__geさん。
    >「A,B共に自分がオリジナルだと思っている」「オリジナルにはどちらが本物が区別できる」
    >この2つが同時に成り立つ状況が、どういう状況なのかちょっと想像がつきません。
    つまり、ku__ra__geさんの100%コピーを作ったときにku__ra__geさん自身は自分がオリジナルで、コピーではないことがわかるということです。
    客観的には同一で区別がつかなくても、ku__ra__geさんにはどちらが自分かわかりますよね。

    takさん。
    >"札"って何ですか?
    札(ふだ)A,Bと書かれたカードです。わかりにくかったようなので、もし、コピーとオリジナルが日本とアメリカにおかれたらどちらの景色が見えるかという例を挙げてみました。
  • id:ku__ra__ge
    回答ありがとうございます。

    >客観的には同一で区別がつかなくても、ku__ra__geさんにはどちらが自分かわかりますよね。
    はい。どちらが自分かわかりますね。
    しかし自意識がどちらの体に宿っているか分かっても、そこから「どちらが本物か」ということを判断することは出来ないと思います。なぜならば、自意識が宿っている側の私が複製人間ではないという根拠は何も無いからです。

    よって自分の100%コピーを作られたときに、「自意識が宿っている、この私」がオリジナルであると言い切ることはできないと考えるのですが、いかがでしょうか?
  • id:garyo
    >「「どちらが本物か」ということを判断することは出来ないと思います」
    これは「客観的に判断できない」ということでしょうか。それとも「主観的に判断できない」ということでしょうか?
    客観的に判断できないというのは正しいと思います。
    客観的には「自分はオリジナルかコピーか」判断がつかない2人の個体が存在していると思います。
    ただし、主観的にはku__ra__geさんの視点がコピーに移ることはないですよね。
    ku__ra__geさんのコピーを作り、ku__ra__geさんを殺した時に、「自分は今殺されているのだろうか?」と「ku__ra__geさんが」主観的に判断できないことはないですよね?
  • id:ku__ra__ge
    >>「「どちらが本物か」ということを判断することは出来ないと思います」
    >これは「客観的に判断できない」ということでしょうか。それとも「主観的に判断できない」ということでしょうか?
    「主観的に判断できない」ということでです。(当然、客観的にも判断できませんが)
    理由は後述します。

    -----

    >ku__ra__geさんのコピーを作り、ku__ra__geさんを殺した時に、
    >「自分は今殺されているのだろうか?」と「ku__ra__geさんが」主観的に判断できないことはないですよね?
    はい。「今殺されているのは、私である」という判断ができます。
    また、「今、殺されているのはオリジナルである」という判断ができます。
    しかし後者の判断は「オリジナルを観察し続けているので、オリジナルとコピーの区別ができている」ことを根拠にしています。そして後者の判断に、主観・客観は関係ありません。

    例えば、
    >ku__ra__geさんのコピーを作り、ku__ra__geさんを殺した
    この状況を第三者が(オリジナルとコピーが途中で入れ替わったりしないように注意して)観察し続けていたとしましょう。
    第三者はまったく客観的な立場から「今、殺されているのはオリジナルである」という判断ができます。

    また、コピーを作る前にオリジナルの人物を眠らせてからコピーを行ったケースを考えてみましょう。
    その後でオリジナルが目を覚まして、自分が今まさに殺されようとしていることに気づいても、その人物は主観的立場から「今、殺されているのはオリジナルである」という判断を下すことはできません。
    なぜならば目を覚ました人物には、『この私はオリジナルなのか?自分をオリジナルだと思い込んでいるコピーなのか?』という問の答えを出せないからです。
    (また、これが上で「主観的に判断できない」と答えた理由です。)

    -----

    主観的に判断できるのは「今殺されているのは、『自意識を持っているこの私』である」という命題であり、それは「今殺されているのは、オリジナルの人物である」という命題とは別ものです。
    garyoさんは、この2つを混同してしまっているのではないでしょうか?
  • id:garyo
    >主観的立場から「今、殺されているのはオリジナルである」という判断を下すことはできません。
    >なぜならば目を覚ました人物には、『この私はオリジナルなのか?自分をオリジナルだと思い込んでいるコピーなのか?』という問の答えを出せないからです。
    パターン1,ku__ra__geさんのコピーを作り、その事をku__ra__geさんに伝えku__ra__geさんを殺す。
    この場合に
    >目を覚ました人物には、『この私はオリジナルなのか?自分をオリジナルだと思い込んでいるコピーなのか?』という問の答えを出せないからです。
    となり、主観的に区別がつかないとします。
    では
    パターン2.ku__ra__geさんのコピーを作り、その事をku__ra__geさんにまったく伝えずku__ra__geさんを殺す。
    この場合、オリジナルのku__ra__geさんはそもそも『この私はオリジナルなのか?自分をオリジナルだと思い込んでいるコピーなのか?』という情報自体が無いわけですから、例えコピーが存在したとしても、オリジナルが殺されていると主観的に判断せざる終えないですよね?
  • id:ku__ra__ge
    >パターン2.ku__ra__geさんのコピーを作り、その事をku__ra__geさんにまったく伝えずku__ra__geさんを殺す。
    >この場合、オリジナルのku__ra__geさんはそもそも『この私はオリジナルなのか?自分をオリジナルだと思い込んでいるコピーなのか?』という情報自体が無いわけですから、例えコピーが存在したとしても、オリジナルが殺されていると主観的に判断せざる終えないですよね?

    質問の趣旨がちょっとよくわからないのですが、そうなりますね。

    整理すると、眠らせてコピーを取る場合の本人の認識はこんな感じでしょうね。
    コピーを作ったことを知る、オリジナル:自分がオリジナルかどうか判断できない
    コピーを作ったことを知る、コピー  :自分がオリジナルかどうか判断できない
    コピーを作ったことを知らない、オリジナル:自分がオリジナルだと判断する
    コピーを作ったことを知らない、コピー  :自分がオリジナルだと判断する
  • id:garyo
    >質問の趣旨がちょっとよくわからないのですが、そうなりますね。
    グラ娘。さんの回答へのコメントにも書いたのですが、この場合、オリジナルにコピーのことを「知らせず」実験を行うことが可能です。
    ku__ra__geさんの100%コピーを作り、その事をku__ra__geさんに知らせず、ku__ra__geさんを眠らせ、コピーを日本に、ku__ra__geさんをアメリカに連れて行って目覚めさせたとき、

    ku__ra__geさんは起きて自分がアメリカにいるということに何の疑問も抱かないでしょう。
    そしてku__ra__geさんに何も知らせず、眠らせて少しずつ脳の移植をしていった場合、どこまで交換した時にku__ra__geさんは自分が目覚めた時日本にいると感じるかという疑問です。
  • id:alpinix
    "テセウスの船"問題ですね。
     
    個人的には"オリジナルをどう定義するか"にすべてがかかってくる「定義の問題」だと思っているので、どうとでもとれるんじゃないかと思います。
    極端な言い方をすれば、"最終的に残った方をオリジナルとする"という考え方でもいいと思うんです。
    たとえばDNAなんて、そう(今存在するDNAをオリジナルとする)とでも思っておかないと、「今生きている自分はただのコピー品じゃないのか?」なんていうおっとろしい考えに行きついてしまいますし。 
  • id:alpinix
    garyoさんは、さらに「自意識」というのはどこで認識するのか、という自然科学上の問題を同時に解決しようとしているので難しくなっているのかなあ、と感じました。
    どっちオリジナルとするか、は客観的に定義する問題であり、
    「自意識」=自己認識?はそれとは切り離して考えた方がいいのではないかなあと。
  • id:garyo
    >"テセウスの船"問題ですね。
    ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
    でも同じ河には違いない。ということですね。
    >「今生きている自分はただのコピー品じゃないのか?」なんていうおっとろしい考えに行きついてしまいますし。
    確かにぞっとしてしまいます。

    >garyoさんは、さらに「自意識」というのはどこで認識するのか、という自然科学上の問題を同時に解決しようとしているので難しくなっているのかなあ、と感じました。
    確かに色々な質問が混ざっていて、回答される方を混乱させているのだと思います。
    中々自分の質問の意図が伝わらなくてもどかしい思いです(>_<)

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