十年後見ても分かるプログラムか、十年後見ても当時の授業内容が分かるノートのどちらが作るのは難しいでしょうか。

理由も添えていただければ幸いです。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2012/05/11 23:20:38
  • 終了:2012/05/18 23:25:07

回答(2件)

id:sibazyun No.1

sibazyun回答回数1756ベストアンサー獲得回数2362012/05/12 01:59:45

「十年後見ても分かるプログラム」がより難しい。
理由は、授業というものは、当時の常識、確立された理論、
あるいはたとえ前衛的でも、ともかく他人に教えるために
体系化された知識を示すものであるから、それなりに理解可能。

一方、プログラムは、(授業用の例題でなければ)、
新規の課題を解決するために、仮に外部仕様が提示されていようが、
新規のロジックを組むものであるから。そして、多くの場合、
「他人に教えるため」には体系化されていないから。

id:a-kuma3 No.2

a-kuma3回答回数4595ベストアンサー獲得回数19342012/05/12 02:17:16

ぼくが、プログラムを書く人間からかもしれませんが、sibasyun さんとは逆の意見です。

授業のノートの方が難しい。
授業を受けているときは、自分が知らない、もしくは、分からないことを聞いてノートを取るわけで、そのときの自分ですら、分かるようにノートを書けるかどうか、とても怪しい。
ましてや、後の自分のことなんて。
もし、授業を聞いてる時点で、分かっている内容だったら、多分、ノートを取らない。

プログラムを作る場合には、動くことが分かってて作るんです。
ただ動けば良いプログラムなら、書き方は何通りもあります。
特に、仕事で作る場合には、一緒に仕事をしている人が見ても分かるように書く、ということを当たり前のようにやります。
作った本人が、いつまでも面倒を見られるわけでは無いですし、また、プログラムの間違いがあるかもしれないので、他の人に見てもらう(レビューって言います)ことをします。


というわけで、自分では、プログラムは(将来の自分を含めた)他の人が見ても分かりやすいようなものを書くように意識してやってますが、ノートの場合には、取るだけが精いっぱいのような気がします。

  • id:TAKATHIN
    授業中、数学は書かれていてもわかりませんが、一対一の会話での説明なら、なるほどと思いました。ノートは一応取るも、理解しにくく、本や要点の書かれたものを探さないと厳しいです。社会は詰め込み、疑問より物語と取るので余談のスペースをノートに作ります。
    国語は作品の文を写し、解説などが主なので、授業内容は分かりやすいものの、他の事は殆ど見れません。
    理科はとても多くに分けて書くのです、これでいいのか感がありました。

    人によって教え方も、教えられる側も好き嫌いがあり、無知から始まるので難しく、自分のノートで再び曖昧な記憶から思い出すのはどうなのだろうと思いました。

    プログラムはよくわかりやすくと言われますが、他人もはじめて見る所を無から知るのでその中でどれだけ説明出来るのだろうと思いました。

    やっぱり、人によって違うのでしょうか

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

絞り込み :
はてなココの「ともだち」を表示します。
回答リクエストを送信したユーザーはいません