1342737344 プレート理論が著作になったのは、アーサー・ホームズの「一般地質学 第3版」ですが、これは著者が亡くなって数年たってから、二番目の奥さんドリス・ホームズ(旧姓 レイノルズ)が改訂版を出したということです。そんなことってアリですか。新たな証拠が見つかったわけでもないのに。なんか納得できません。自然科学の分野で、本人が亡くなった後に、奥さんが勝手に理論を付け足して改訂をした事例があれば教えてください。


ちなみに、ドリス・レイノルズは、奥さんと子どものいたアーサー・ホームズを事実上略奪婚しました。(これはルイス・リーキーを略奪婚したメアリー・リーキーと同じ経歴です。)略奪婚の事実と、勝手な改訂と、なにか結びつきはありますか。

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  • 終了:2012/07/23 10:48:06
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ベストアンサー

id:meefla No.2

回答回数997ベストアンサー獲得回数472

ポイント100pt

失礼ながら、いくつか事実誤認があるようです。

アーサー・ホームズが マントル対流説 に関する講演 "Radioactivity and Earth Movements" をグラスゴー地質学会で行ったのは1928年の事でした。(Nature の記事
1931年に出版されたものは
http://www.mantleplumes.org/WebDocuments/Holmes1931.pdf
で読めますが、PDF P21 の Fig.2 と Fig.3 だけ見ても、その先見性がご理解いただけると思います。

『一般地質学』Principles of Physical Geology の第1版はイギリスで1944年に出版されていますが、その最終章は大陸移動説を論じたものでした。

he devoted the final chapter of his textbook ‘Principles of Physical Geology’, first published in 1944, to discussing continental drift, presenting the apparent geological connections between now widely separated continents, Wegner’s proposal of the ancient supercontinent Pangaea to explain them, and his own theory that rifting and continental drift was ultimately driven by convection currents within the Earth’s mantle.

A very British paradigm shift | Highly Allochthonous

第2版が出版されたのは1965年、アーサー・ホームズが気管支肺炎で死んでから1ヶ月後の事です。
彼が第2版の改訂を終えたのは死ぬ数ヶ月前になります。
Encyclopedia of Earth and Space Science - Timothy M. Kusky, Katherine E. Cullen - Google ブックス P399 より。スクリーンショット
この第2版の最終章は、やはり大陸移動説に関するものでした。

The final chapter is entitled "Continental Drift and Palaeomagnetism." 1965 was the threshold of plate tectonics, and Holmes comes up to the threshold, but does not step over.

Principles of Geology

1965年は、ツゾー・ウィルソン が「トランスフォーム断層の考え方をネイチャー誌に発表」した年ですので、上記引用にもあるようにプレートテクトニクスの出発点となった年ですが、アーサー・ホームズはその後の展開を見ずに死んだわけです。

さて、問題の第3版ですが、これの発行は1978年です。
アーサー・ホームズの死後13年が経過しています。
書名は、"Holmes Principles of Physical Geology" すなわち『ホームズの一般地質学』であり、著作権表示は © Doris L. Holmes です。(未亡人ですから、アーサーの著作権はドリスにあります)
裏表紙には「アーサー・ホームズは1965年に逝去し、この第3版はドリス・ホームズによって改訂された」と明記されています。
第29章のタイトルは "Plate Tectonics" であり、アーサー・ホームズが記述したタイトルではないという事は自明ですが、前記した1928年の "Radioactivity and Earth Movements" からの図をそのまま使用しています。
従って、「奥さんが勝手に理論を付け足して改訂をした」のではなく、夫が死んだ後の新たな知見や発展を元にして古い記述を改訂したものであり、教科書としては必要な改訂であると考えます。

なお「略奪婚」についても調べましたが、今回は割愛します。
ご要望があれば追記しますので、お知らせ下さい。

お役に立てることを祈りつつ。

他1件のコメントを見る
id:meefla

まず、『一般地質学』Principles of Physical Geology は教科書として書かれたものです。
自分の講義ノートを元にして、放射性元素による年代測定や大陸移動説などの最新の知見を入れてはいますが、自分の業績だけを記述したものではありません。

The Principles ... is most emphatically a textbook, with the material carefully and logically chosen and arranged.

Principles of Geology

従って、アーサー・ホームズがもっと長生きして、自ら第3版を書いたとしても、その改訂部分は自らの業績だけではなかった筈です。

1965年以降におけるプレートテクトニクスですが、そもそも「プレートテクトニクス」という用語が提唱されたのは1967年で Dan McKenzie らによるものです。
1965年から1970年にかけての知見や発展については、Evolution of A Theory をご覧下さい。
ドリス・ホームズが第3版を出した1978年には、すでに確固たる理論となっており、著者が誰であろうと教科書に載せるべき項目となっていたと思われます。

「略奪婚」については、個人的な語感かもしれませんが、「妻のいる男を誘惑して離婚させ後妻になる」というニュアンスで捉えています。
ドリス・レイノルズとアーサー・ホームズが1931年ごろから不倫関係にあったのは確かですが、結婚したのは最初の妻であるマギー(マーガレット)・ホームズが胃癌で死んだ後であり、「略奪婚」という表現が適切かどうかは疑問です。

Arthur Holmes によれば、マギー・ホームズは1885年生まれです。
1931年における年齢を計算すると、マギーが46才、アーサーが41才、ドリスが32才になります。
The Dating Game の169ページによれば、マギーは大学での生活と周囲の人々を嫌っていたそうです。
著者の Cherry Lewis は、マギーの方もアーサーを遠ざけていたのではないかと推測しています。
スクリーンショット
自分より5才年上で、学問に理解を示さない妻と、同じ地質学者であるドリス・レイノルズとのどちらを取るか、という選択は、アーサーにとって難しいものだったでしょうか?

2012/07/21 23:22:51
id:ShinRai

ご丁寧な調査とご指摘をありがとうございました。

おっしゃることは非常にもっともであり、私の考えが浅薄であったことが理解できました。

心より御礼申し上げます。

2012/07/23 10:47:51

その他の回答1件)

id:kitiko No.1

回答回数470ベストアンサー獲得回数42

キュリ-夫妻は有名すぎるほど有名です。



だが1906年4月6日、高潔な物性物理学者ピエールは、ドーフィーヌ通りを横断中、足をすべらせ荷馬車に轢かれ死亡した。マリーは、夫がノーベル賞を受賞してやっとソルボンヌ大学教授のポストを得たその教授ポストの後継者として、中断されたピエールの講義を継続することになる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%AB%E5%A6%BB

id:ShinRai

ありがとうございます。

でも、夫のポストで講義をしたということではなく、夫の書いた本を、夫の名前で勝手に改訂したかどうかを知りたいのです。

キュリー夫人はそういうことはやっていないのではないでしょうか。

2012/07/20 13:20:03
id:meefla No.2

回答回数997ベストアンサー獲得回数472ここでベストアンサー

ポイント100pt

失礼ながら、いくつか事実誤認があるようです。

アーサー・ホームズが マントル対流説 に関する講演 "Radioactivity and Earth Movements" をグラスゴー地質学会で行ったのは1928年の事でした。(Nature の記事
1931年に出版されたものは
http://www.mantleplumes.org/WebDocuments/Holmes1931.pdf
で読めますが、PDF P21 の Fig.2 と Fig.3 だけ見ても、その先見性がご理解いただけると思います。

『一般地質学』Principles of Physical Geology の第1版はイギリスで1944年に出版されていますが、その最終章は大陸移動説を論じたものでした。

he devoted the final chapter of his textbook ‘Principles of Physical Geology’, first published in 1944, to discussing continental drift, presenting the apparent geological connections between now widely separated continents, Wegner’s proposal of the ancient supercontinent Pangaea to explain them, and his own theory that rifting and continental drift was ultimately driven by convection currents within the Earth’s mantle.

A very British paradigm shift | Highly Allochthonous

第2版が出版されたのは1965年、アーサー・ホームズが気管支肺炎で死んでから1ヶ月後の事です。
彼が第2版の改訂を終えたのは死ぬ数ヶ月前になります。
Encyclopedia of Earth and Space Science - Timothy M. Kusky, Katherine E. Cullen - Google ブックス P399 より。スクリーンショット
この第2版の最終章は、やはり大陸移動説に関するものでした。

The final chapter is entitled "Continental Drift and Palaeomagnetism." 1965 was the threshold of plate tectonics, and Holmes comes up to the threshold, but does not step over.

Principles of Geology

1965年は、ツゾー・ウィルソン が「トランスフォーム断層の考え方をネイチャー誌に発表」した年ですので、上記引用にもあるようにプレートテクトニクスの出発点となった年ですが、アーサー・ホームズはその後の展開を見ずに死んだわけです。

さて、問題の第3版ですが、これの発行は1978年です。
アーサー・ホームズの死後13年が経過しています。
書名は、"Holmes Principles of Physical Geology" すなわち『ホームズの一般地質学』であり、著作権表示は © Doris L. Holmes です。(未亡人ですから、アーサーの著作権はドリスにあります)
裏表紙には「アーサー・ホームズは1965年に逝去し、この第3版はドリス・ホームズによって改訂された」と明記されています。
第29章のタイトルは "Plate Tectonics" であり、アーサー・ホームズが記述したタイトルではないという事は自明ですが、前記した1928年の "Radioactivity and Earth Movements" からの図をそのまま使用しています。
従って、「奥さんが勝手に理論を付け足して改訂をした」のではなく、夫が死んだ後の新たな知見や発展を元にして古い記述を改訂したものであり、教科書としては必要な改訂であると考えます。

なお「略奪婚」についても調べましたが、今回は割愛します。
ご要望があれば追記しますので、お知らせ下さい。

お役に立てることを祈りつつ。

他1件のコメントを見る
id:meefla

まず、『一般地質学』Principles of Physical Geology は教科書として書かれたものです。
自分の講義ノートを元にして、放射性元素による年代測定や大陸移動説などの最新の知見を入れてはいますが、自分の業績だけを記述したものではありません。

The Principles ... is most emphatically a textbook, with the material carefully and logically chosen and arranged.

Principles of Geology

従って、アーサー・ホームズがもっと長生きして、自ら第3版を書いたとしても、その改訂部分は自らの業績だけではなかった筈です。

1965年以降におけるプレートテクトニクスですが、そもそも「プレートテクトニクス」という用語が提唱されたのは1967年で Dan McKenzie らによるものです。
1965年から1970年にかけての知見や発展については、Evolution of A Theory をご覧下さい。
ドリス・ホームズが第3版を出した1978年には、すでに確固たる理論となっており、著者が誰であろうと教科書に載せるべき項目となっていたと思われます。

「略奪婚」については、個人的な語感かもしれませんが、「妻のいる男を誘惑して離婚させ後妻になる」というニュアンスで捉えています。
ドリス・レイノルズとアーサー・ホームズが1931年ごろから不倫関係にあったのは確かですが、結婚したのは最初の妻であるマギー(マーガレット)・ホームズが胃癌で死んだ後であり、「略奪婚」という表現が適切かどうかは疑問です。

Arthur Holmes によれば、マギー・ホームズは1885年生まれです。
1931年における年齢を計算すると、マギーが46才、アーサーが41才、ドリスが32才になります。
The Dating Game の169ページによれば、マギーは大学での生活と周囲の人々を嫌っていたそうです。
著者の Cherry Lewis は、マギーの方もアーサーを遠ざけていたのではないかと推測しています。
スクリーンショット
自分より5才年上で、学問に理解を示さない妻と、同じ地質学者であるドリス・レイノルズとのどちらを取るか、という選択は、アーサーにとって難しいものだったでしょうか?

2012/07/21 23:22:51
id:ShinRai

ご丁寧な調査とご指摘をありがとうございました。

おっしゃることは非常にもっともであり、私の考えが浅薄であったことが理解できました。

心より御礼申し上げます。

2012/07/23 10:47:51

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