はくだみって骨?生?


信長が、浅井さんやら朝倉さんやらの首を「ハクダミ」にしたって言うのは割と有名な話ですが、これって、骸骨なのか?生首なのか?

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  • 1人3回まで
  • 登録:2012/08/10 01:04:24
  • 終了:2012/08/14 23:30:41
id:gm91

質問者から

GM912012/08/10 01:29:15

※画像とかは別に要りません。
骨か生か、推測でも構いません(そう思う論拠があればOK)

ベストアンサー

id:a-kuma3 No.2

a-kuma3回答回数4504ベストアンサー獲得回数18702012/08/10 02:01:53

ポイント85pt


天正元年(1573年)7月、信長は3万の軍を率い再び北近江に攻め寄せる。
  ...
同年9月1日(9月26日)、父の久政と共に自害。



天正元年(1573年)8月8日、信長は3万を号する大軍を率いて近江に侵攻する。
  ...
8月20日早朝、その景鏡が織田信長と通じて裏切り、賢松寺を200騎で襲撃する。ここに至って義景は遂に自害を遂げた。



一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月、内輪の宴席において薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にした義景・久政・長政の首級を御肴として白木の台に据え置き、皆で謡い遊び酒宴を催したとある。


日付が正しいとすれば、死亡後から三ヶ月は経ってます。
涼しい季節かもしれませんが、生首というか、何も処置を施さない状態で、飲み食いの席に出せるとは思えません(冷凍保存もないでしょうし)。


『信長公記』に記されているその様子。
 
    一、古今承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又御酒あり。
      去年、北国にて討ちとらせられ候、
    一、朝倉左京太夫義景首
    一、浅井下野    首
    一、浅井備前    首
      已上、三ッ薄濃にして公卿に居ゑ置き、御肴に出され候て御酒宴。
      各ゝ御謡御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ御悦びなり。

と、あるようですから、加工されたものであったのだと思います。

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id:a-kuma3

あー、中途半端な回答で、ベストアンサーを頂いてしまい、恐縮至極 ><

御首は、塩漬けにしていたはずだったなあ、ということと、日本ではエジプトのようなミイラを作成する技術が発達しなかった、ということで、何か見つからないかなあ、と思って探してはいたんですが。

朝鮮出兵のときは、鼻を削いだものを塩漬けにして、殊勲の証としていたようなので、討ち取った側からすると、大切なのは数だったと思われるので、信長の手元に届くときには、保存状態が良かったとは、とても思えないなあ、というのが、今の感想です。

2012/08/14 23:46:15
id:gm91

結局核心には迫れませんでしたけど、調べが一番キッチリしていたのでBAに致しました。
技術的には、干し首的な防腐技術はあったと思うんですよね。藤原さんとこのミイラみたいな例もあるし。
ただまあ髑髏にしておく方が普通ですかね。加工方法を想像するとそれはそれでイヤですけど・・・。

2012/08/15 22:46:41

その他の回答(3件)

id:DOK No.1

DOK回答回数360ベストアンサー獲得回数142012/08/10 01:20:59スマートフォンから投稿

ポイント5pt

その二択なら骨ですね。
シャレコウベを漆塗りにして金箔などを塗った工芸品みたいなものです。

立川流という密教系の供養法として、割と良く文献には出てきますよ。

id:gm91

一般的にはそうだと思うんですけど、信長がやったのはどっちかを知りたいです。
説明不足ですみませんでした。

2012/08/10 01:26:50
id:a-kuma3 No.2

a-kuma3回答回数4504ベストアンサー獲得回数18702012/08/10 02:01:53ここでベストアンサー

ポイント85pt


天正元年(1573年)7月、信長は3万の軍を率い再び北近江に攻め寄せる。
  ...
同年9月1日(9月26日)、父の久政と共に自害。



天正元年(1573年)8月8日、信長は3万を号する大軍を率いて近江に侵攻する。
  ...
8月20日早朝、その景鏡が織田信長と通じて裏切り、賢松寺を200騎で襲撃する。ここに至って義景は遂に自害を遂げた。



一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月、内輪の宴席において薄濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にした義景・久政・長政の首級を御肴として白木の台に据え置き、皆で謡い遊び酒宴を催したとある。


日付が正しいとすれば、死亡後から三ヶ月は経ってます。
涼しい季節かもしれませんが、生首というか、何も処置を施さない状態で、飲み食いの席に出せるとは思えません(冷凍保存もないでしょうし)。


『信長公記』に記されているその様子。
 
    一、古今承り及ばざる珍奇の御肴出て候て、又御酒あり。
      去年、北国にて討ちとらせられ候、
    一、朝倉左京太夫義景首
    一、浅井下野    首
    一、浅井備前    首
      已上、三ッ薄濃にして公卿に居ゑ置き、御肴に出され候て御酒宴。
      各ゝ御謡御遊興、千々万々目出度御存分に任せられ御悦びなり。

と、あるようですから、加工されたものであったのだと思います。

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id:a-kuma3

あー、中途半端な回答で、ベストアンサーを頂いてしまい、恐縮至極 ><

御首は、塩漬けにしていたはずだったなあ、ということと、日本ではエジプトのようなミイラを作成する技術が発達しなかった、ということで、何か見つからないかなあ、と思って探してはいたんですが。

朝鮮出兵のときは、鼻を削いだものを塩漬けにして、殊勲の証としていたようなので、討ち取った側からすると、大切なのは数だったと思われるので、信長の手元に届くときには、保存状態が良かったとは、とても思えないなあ、というのが、今の感想です。

2012/08/14 23:46:15
id:gm91

結局核心には迫れませんでしたけど、調べが一番キッチリしていたのでBAに致しました。
技術的には、干し首的な防腐技術はあったと思うんですよね。藤原さんとこのミイラみたいな例もあるし。
ただまあ髑髏にしておく方が普通ですかね。加工方法を想像するとそれはそれでイヤですけど・・・。

2012/08/15 22:46:41
id:rsc96074 No.3

rsc回答回数4394ベストアンサー獲得回数4022012/08/10 15:36:38

ポイント5pt

 こちらは参考になるでしょうか。簡単な作り方が書いているようです。綺麗にするとのことで骨でしょう。昔の人は残酷ですね。人権のある時代に生まれてよかった。(^_^;
●黒鉄ヒロシさん著「信長遊び」|「Day by Daya」下田屋有依公式ブログ
http://ameblo.jp/dayaya0927/entry-10565346296.html

id:Baku7770 No.4

Baku7770回答回数2832ベストアンサー獲得回数1812012/08/11 09:23:45

ポイント5pt

箔濃とも薄濃とも書きますがその二つなら骸骨ということになります。

基本的には宗教儀礼です。a-kuma3の指摘にある通り、浅井・浅倉の滅亡から3ヶ月が経過していますし、7年間もたさなければ意味がありませんので、当時の技術で生首というか干し首にしても保存が難しいとなります。

http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-200.html
http://douzoukenkyu.blog101.fc2.com/blog-entry-87.html

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