僕の決定的な弱点は「甘さ」と「優しさ」だと自覚している。
たとえば弁護士は,依頼者を勝たせる為に 自分の感情に左右されず,どんな手でも使う。
小さい頃から「明るくて優しい子」だの「思いやりがある子」だの言われて育った。
心理検査をもとに,
「非情な人間にはなりにくい。粗暴犯になる可能性も低い。万が一なるとしても,好奇心・正義感からの知能犯」と練達の心理士に言われ納得した。
テロリストも普段は友人や家庭想いの性格の良い人間だと思うが,信念のためなら容赦なく人を殺す精神を持ち合わせている。
日常の恋人や友人への気配りや優しさは人間として大事にしながら,
信念・正義・目的の為に相手の人生を壊すくらいの精神を造るにはどうすれば?
相手を潰しにかかるとき,そこに「情」が生まれ,相手を徹底的に叩きつぶすまでに至らない。
具体的な精神トレーニングなどわかれば嬉しいです☆
(o*。_。)oペコッ
「今のままでいい」とか「覚悟次第」的な回答は求めていません。
非常になるというのは、自分自身に妥協せずに己を固めて自分自身の律して極めることです。つまり、優しさや厳しさなどの感情を捨てて完璧なるという事です。
その為になる方法が沢山書いてあります。
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/boundary.html
読み終わって理解した後は非情になって成功した人の経験を感じる事も大切。
質問文を読む限り、おそらく質問者さんの優しさというのは、すべての状況に他者と自己との人格的な関係性としてすべて処理してしまい、ある状況下での自分ー他者の役割に自覚的になれず、その役割が目的とする職務やルールに従えずたえず人格的な自我が全面に出てきてしまうのだと思います。
置かれている役割ー人格 との間に齟齬を感じている状態にあるのだと思います。
臨床心理学的な心理療法において、アサーション・トレーニングというものがあります。これは、
自分と相手、お互いのアサーティブ権(人権)を尊重した上で、自分の意見や気持ちをその場にふさわしく表現出来るようにするトレーニングです。
アサーション・トレーニングと言うと、なんだか特別に難しいことをするように感じたりしますが、日本では昔から大切にしてきた考え方です。
鎌倉時代から明治時代にかけて活躍した近江商人(おうみしょうにん)は商いの発展は「三方よし」にある、つまり「売り手よし ・ 買い手よし ・ 世間よし 」を信条としてきました。
アサーションも「三方よし」も同じ理念です。
というような考え方であり、他者や自分に配慮しつつ意見を主張したり自分も他人も許すというサイコセラピーがあります。
また、他にもサイコドラマという心理療法があります。これは
、演劇の枠組みと技法を用いた心理療法である。クライエントの抱える問題について、演技すなわち行動を通じて理解を深め、解決を目指してゆく集団精神療法であり、演者(主役、補助自我)のみならず、観客もまた重要な役割を果たす。
ものであり、すなわち、自分の役割と他者の役割を念頭に置いた社会的な演技関係の構築により、より深い状況的な自己の役割理解を促します。これも、人格的関係性に巻き込まれない一つの訓練です。
人生は舞台だという思想家もいるぐらいです。すべての状況に人格すべてを投入していたら疲れて仕方ありません。あなた自身があなたの良い上演者となれるように常に、余裕を持てるようにしましょう。よく、ニコニコ動画でも、不都合なことを言われると「あれはネタで本心ではない」という人がいますが、自分の深い部分での人格や自我を晒さず、保護膜を持って生きるようにしましょう。
そういえば、精神科医の香山リカさんも、「香山リカ」という役割を演じてるからこそあぁやっていろんなコメンテーターなり評論的な態度を取れると著書でおっしゃってましたね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E
http://www.genkipolitan.com/a/training.html
すみません。元々、心理学生まれで、後々公民権運動の主張の方法論として一般化したようですね。アサーティヴ、ないしアサーション・トレーニング。
http://befree.yu-yake.com/what.htm
臨床心理学の場合、派閥によりかなり違うので、(たとえばユング派とラカン派は似て非なるものだったり)一概に心理療法を臨床心理学という大きな学問で基礎づけるのには慎重になるべきでした。
日常生活ではアサーションはとても大切ですよね♪
でもいざ相手を容赦なく潰そう!という時に,相手を尊重していたら確実にこちらが負けてしまう…
どうしたものか…汗
自分の感情を心に置きつつも、冷静に分析、正確に把握をして、判断をすること
難しければ、ドラマやアニメなどで、ちょっとした諍いのシーンを見て、どちらが本当に悪いのか、等を分析してみれば、役に立つかもしれせん
ただ、あくまで素人の意見なので役に立たないかもしれないですけど・・・
僕もそう思います。分析力は比較的持ち合わせています。明らかにこっち側が悪くても,相手を容赦なく潰しに行く精神を造りたいです。
この書籍を読んで下さい。
「感情の切り替え」テクニックが身につきます。
№.1メンタルトレーニング ―本番で最高の力を発揮する最強の自分をつくる
本のリンクまでありがとうございます。メンタリスト系の本でしょうか。今回の目的とは違いますが,おもしろそうなタイトル(笑)
非常になるというのは、自分自身に妥協せずに己を固めて自分自身の律して極めることです。つまり、優しさや厳しさなどの感情を捨てて完璧なるという事です。
その為になる方法が沢山書いてあります。
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/boundary.html
読み終わって理解した後は非情になって成功した人の経験を感じる事も大切。
31円から買えるので読んでみようかと思います(笑)
相手への効果的な影響力をねらっている限り、相手からの影響力に負けていることになるわけで、その関係を遠くから見つめられるようになるのに、催眠術やら社会的な影響力やらをつけるという暇をとる必要が、果たしてあるのでしょうか、という。
質問内容とこの書籍の接点がわかりません。
目的のために非情になれる精神を造る方法を求めているので,非情になる方法だけが私の求めている回答です。
ある信念を持つとき非情と熱情は元々同じということはさとぺりさんも
はじめにおっしゃってますし僕も同感です。そこから問われるのは信念の
強固さだと思います。
ただ理由もなく、いつか来る戦争での殺し合いに向け速やかに非情になる
訓練だったら軍隊に行けばたくさん学べると思います。そこまの非常事態
でないなら、他の人同様たいして非情じゃないと思います。
昔のことわざで、『人の価値は何を真似るかにかかっている、基地外の真似だといって人を殺せば本当の基地外になるが、自分はバカだと知っていて、
賢者の真似をするのであればその者は、賢者である』 的なことを言っている
ものがあります。
甘さや優しさがあるのは、結局他人に嫌われたくない、常に良く見られたいと言う感情があるのでは無いでしょうか。
それはまだ成人への通過儀礼を経ていない、幼児期のメンタルを引きずっているからかもしれません。
インディアンの行う成人への通過儀礼の一つに、たった一人で三日間、山の中で過ごすというのがあります。
他人の容喙を受けない、自分1人になって、自らの来し方行く末を考える事で、他人と違う自分というアイデンティティーを築きます。
そうすれば他人に良く見られたいとか、甘えや優しさが無くなり、自分自身の目的に向かって突き進む非情さが生まれるかも知れません。
今の日本ではキャンプなどに行ってもただ一人になることは難しいかもしれませんが、部屋に三日間こもるとか、誰も知らない街へ行くとかすると良いでしょう。
それでは,相手の立場になって考える人は,全て幼児期のメンタルを引きずっている事になってしまいませんか。
私は人より多くの悪党を見てきました。
が,今はその悪党に対しても,家庭があったり人生があったりするものだと相手の視点に立ってしまう。
私は敵が何人いようが,相手が誰だろうが,どこの誰に嫌われようがたいして気にしないタイプで,今までもそのように生きてきました。
ただ,相手を潰しにかかる時,そこに「情」が生まれてしまうのです。
31円から買えるので読んでみようかと思います(笑)
2012/08/13 04:49:58