虫や動物の命は人の命とは価値が違うのでしょうか?

「命を大切に」とは言いますが、それは人の命だけでしょうか?
生きるために命を奪うのは仕方ないです。
害虫は安全のためいいと思います。
しかし、趣味で奪ったり、嫌だから殺したりするのはどうでしょうか。
小さい虫を手で潰したとき、「この感覚になれていいのか」と思いました。
みなさんはどう思いますか?

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  • 登録:2012/09/08 20:52:14
  • 終了:2012/09/15 20:55:03

ベストアンサー

id:miharaseihyou No.6

miharaseihyou回答回数4452ベストアンサー獲得回数5462012/09/09 23:10:23

もちろん、「価値が違い」ます。
ヨク「生命は皆平等」とかきれい事を言ってますが、「人間にとっては」平等ではありません。
また、人間にとってで無ければ意味がありません。
 
絶対主を想定してヒエラルキーの世界で利益を得ている宗教者たちが命を平等だと言いたいんですが、だったら信者から金を巻き上げるのは止めろってね。
宗教は人々の心にトラウマを植え付ける事で群衆を操ります。
私の心にも生命に対するおそれが刻まれています。
たぶん、あなたの心にも刻まれているでしょう。
しかし、それらは全て社会的には意味がありません。
 
人間の生命は尊重するべきです。
それは社会を維持するために必要な事です。
しかし、他の生物は「必要があれば救う」ので充分でしょう。
 
必要がないのに殺すのは無駄な事です。
無駄を避けるのは当然です。
目の前のゴキブリを殺すのが無駄な事かどうか、難しい問題かもしれません。
トキやパンダなんかは数百年後には必ず絶滅するんですが、今はアレでソロバンが合っている。
種の多様性は自然環境のバロメーターでもあります。
だんだん暮らしにくい地球になりつつあるんですけどね。

id:nightmarebreaker

その通りですね。
「必要があれば救う」ですか

2012/09/16 17:33:09

その他の回答(5件)

id:kirikifukiki No.1

くおん回答回数7ベストアンサー獲得回数12012/09/08 21:16:07

僕らには彼らの声は届きません。
生活が楽になり「生きる」ことを忘れたら普段食べている牛や豚がかわいそうですね。
虫だって趣味で殺されるだなんてまっぴらごめんでしょう。
僕らは虫や動物のことを思いながら生きなければなりません。

id:nightmarebreaker

そうですね。
毎日の食事で「いただきます」と「ごちそうさま」くらい言わないといけませんね。
犠牲になった「命」に失礼ですから。

2012/09/08 22:05:06
id:cdaotg No.2

cdaotg回答回数79ベストアンサー獲得回数172012/09/08 21:18:20

物の価値というのは極めて主観的なものなので、「価値が違う人もいれば同じ人もいる」という事になります。
例えば、100万円の車は必要な人にとっては金額相応の価値がありますが、不要な人にとってはゴミ同然です。

>しかし、趣味で奪ったり、嫌だから殺したりするのはどうでしょうか。
私の価値観で言えば、別に悪い事ではないです。
自分や自分にとって大切な人・動物以外の命なんて、大して価値がないものです。
ですので、それを奪うことには何のためらいもありません。
(ただ、人を殺すと刑罰がかせられるので、簡単に人を殺したりはしませんが。)

>小さい虫を手で潰したとき、「この感覚になれていいのか」と思いました。
人間は動植物を殺して食べる以外に生きる道はありません。
また、趣味にエネルギーを費やすことは、その分余計な(生きるためには不要な)エネルギー(≒他者の命)を消費することでもあります。
ですので、その感覚に慣れてしまい、命を(たとえ自分の手を直接汚さないにしろ)奪って生きる事を受け入れるしかありません。

id:nightmarebreaker

慣れて受け入れるしかありませんか。
ちなみに、虫を殺したのは邪魔だったからです。

あと、人の命を奪わない理由がおかしくないですか?

2012/09/08 22:04:56
id:cdaotg

>あと、人の命を奪わない理由がおかしくないですか?
そうですか?
私にとっては、人も害虫も大抵の場合は等しく「無価値」ってだけです。
仮に「ゴキブリを殺したら死刑」って法律ができたら、ゴキブリを殺す人は減りますよね。
私が人を殺さないのも、それと同じ理由なだけです。

2012/09/08 23:59:25
id:LooGoGo No.3

ひでお回答回数15ベストアンサー獲得回数22012/09/08 23:30:26

若い頃、「アリの巣ころり」とかいう恐ろしい商品が発売された時、私も同じ事を考えそれ以来事ある毎に意識してきました。

全ての生き物の命の重さは同じと思います。
害虫というのは人間にとって害であるだけで、本人(?)はただ生きてるだけです。
他の生物もただ、ただ生きているだけで他の生物の役に立っているというのに、
私達は生きるために必要ならともかく、何の意識も持たないまま無抵抗な生物を殺し続けています。これでいいのでしょうか・・。

私が今死ねば将来何憶の命か知りませんが他の生物の命を奪わずに済むでしょう。
命の価値は同等と考えれば「そうすべき」なのは明白ですが、そうはできない「私」はエゴを抱えながらなるべく他の生物の脅威とならないよう生きていくつもりです。

id:nightmarebreaker

生きるためならいいのではないでしょうか。
人間も動物なのですから。食物連鎖のかなり上の方にいますが。
動物は何かを食べ、そしてほかの生き物のエネルギーになるのです。
しかし人間だけは例外ですね。火葬し、残った骨はお墓の中。
せめて感謝だけはしなくてはいけませんね。

ところで、市販の卵は生き物に含まれないでしょうね。
温めても生まれませんから。

2012/09/09 00:25:45
id:kirikifukiki No.4

くおん回答回数7ベストアンサー獲得回数12012/09/09 13:53:40

結論 人には命を奪う権利はない

id:nightmarebreaker

生きるために命を奪う権利はありますか?

2012/09/09 16:57:26
id:kyokusen No.5

きょくせん回答回数824ベストアンサー獲得回数862012/09/09 19:32:05

 主義や宗教の話を持ち出してみましょうか?

 南アジアなどに端を発する宗教、つまりは仏教やヒンズー教ですけれども、その教義の中には『不殺生戒』というものが存在します。これはこの世にある生きとし生けるものを殺してはならない、という教えです。宗教というものは、現在の日本などではうすら馬鹿を騙す道具のようにしか思われていない所もありますが、法や秩序というものに権威付けがなかった時代、または武力を用いずにそれらを運用しようという場合には有効な手段であったでしょう。現在は法と秩序を国家権力という一種の暴力装置……公権力とか、警察力ですかね……で保持しようとしていますが、まぁ、えぇ。
 そんなこんなで古くから、『ベジタリアン』と呼ばれる生活様式は存在しました。このあたりも色々レベルがありますけれど、基本的には生き物を殺さずに生きて行きたいという人がとる生活様式といってよいのでしょう。

 また、人間の『原罪』という考えもあります。『原罪』というのはそもそもキリスト教などにおける失楽園あたり、アダムとイブが悪魔(でいいのかいな?)にそそのかされて智慧の実を食べた事を指すのですけれども、仏教などの考え方からすれば、人は他の生き物を殺して生きていかなければならない事を指したりもします。

 
 科学の方から見てみましょうか?

 最近よく盛んに聞かれる『生態系』とか『環境』というもの。これは多種多様の生物によって構築されるひとつの世界です。時折『食物連鎖』と混同されて語られる事もありますが、生物群がひとところでお互いに何らかの影響を及ぼしながら生活している、主として存続している状況をさします。人は草木がなければ呼吸もままなりませんし、食べ物としての生物がなくては生きていけません。水だってそうですわな。雨降って地に沁み込んで湧き出して川になって……という流れの中にも様々な生物の介入があります。
 住環境としての町にもそれなりの生態系が存在しますね。人間が出した生ゴミをエサとするカラスもいれば、側溝の中を走り回るネズミもいます。家の中を徘徊するゴキブリもいる訳で、彼らはそういう意味において『町』という環境に適応した生物なのでしょう。皆それなりに嫌われていますし、人間に害こそあれ益はあまりない生命たちですが。

 ややこしい理屈はその辺にして。


 私も、どうも『不快害虫』という言葉に違和感を覚えます。
 特に害のない虫であるが、そこにいるだけで不快だからそれそのものが害なのだ、だから駆除するのだ、という話になるらしいのです。このあたりは二番煎じを否めませんが、害がないなら放置しておけばよかろうに、というのが私の立場です。また、価値がないものであれば、それに関わる筋合いもない。放っておけばいい話。そこにいる虫が無益だからと殺すこともないのだろうな、と思います。
 
 とはいうものの、小バエがいれば追いますし、蚊が入ってくれば叩きます。ゴキブリホイホイも仕掛けます。

 命を殺す事に慣れてしまうのは、まぁ、なんとなく嫌だな、とも思います。私は板前の見習いでしたので、仕事では動いているカニに包丁を突き立てますし、生きている魚の頭を落としたりもします。ヒラメの活けじめなどはいつ見てもなれないものですけれども、このあたりはある程度、割り切っている気もいたします。

 そんなこんなで、個人としては、命に差はないだろうけれど、無闇に殺すこともない。必要であれば殺すことも厭わないが、あんまりいい気分ではないし、殺す事に慣れたくはない、と思っています。

id:miharaseihyou No.6

miharaseihyou回答回数4452ベストアンサー獲得回数5462012/09/09 23:10:23ここでベストアンサー

もちろん、「価値が違い」ます。
ヨク「生命は皆平等」とかきれい事を言ってますが、「人間にとっては」平等ではありません。
また、人間にとってで無ければ意味がありません。
 
絶対主を想定してヒエラルキーの世界で利益を得ている宗教者たちが命を平等だと言いたいんですが、だったら信者から金を巻き上げるのは止めろってね。
宗教は人々の心にトラウマを植え付ける事で群衆を操ります。
私の心にも生命に対するおそれが刻まれています。
たぶん、あなたの心にも刻まれているでしょう。
しかし、それらは全て社会的には意味がありません。
 
人間の生命は尊重するべきです。
それは社会を維持するために必要な事です。
しかし、他の生物は「必要があれば救う」ので充分でしょう。
 
必要がないのに殺すのは無駄な事です。
無駄を避けるのは当然です。
目の前のゴキブリを殺すのが無駄な事かどうか、難しい問題かもしれません。
トキやパンダなんかは数百年後には必ず絶滅するんですが、今はアレでソロバンが合っている。
種の多様性は自然環境のバロメーターでもあります。
だんだん暮らしにくい地球になりつつあるんですけどね。

id:nightmarebreaker

その通りですね。
「必要があれば救う」ですか

2012/09/16 17:33:09

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