http://www.amazon.co.jp/dp/4048865668
現代からヴェートーヴェンたちクラシック作曲家全盛の時代にワープした主人公は、ベートーベン以降の音楽史について、「19世紀以降の音楽における本質的な変化は、バックビートの登場だけだ」と語ります。(P190周辺)はたしてこの音楽史に対する認識はどの程度妥当なのでしょうか? 音楽の作り手・受け手双方をとりまく環境については、20世紀に大きな進歩があったいっぽう、たとえば電子音楽の発展などは、音楽そのものの本質的な変化とは呼びえないものなのでしょうか。一般的な音楽史に対する見方でも、個人的な音楽史観でもかまいませんので、この認識の妥当性についてお答えいただけると嬉しいです。
妥当かどうかは何ともと思いますが、電子音楽は音楽その物の変化ではなく、単に楽器が変わったに過ぎません。
人間自体の感覚にさほどの変化はなく、音楽も本質的には同じ物と言って良いと思います。
かの誰かさんも言ってます。
「音楽にはジャズもクラシックも無い。あるのは良い音楽と悪い音楽だけだ」
ちゃんちゃん。
作家の素養 ~ 読めない者とは語れない、読める者とは争えない ~
ふつう文学を語る人は、いちおう文字が読み書きできるはずです。
ところが、音楽を語る人は(批評家や評論家という肩書があっても)、
かならずしも楽譜が読めず、歌ったり、楽器を弾けないのです。
それはそれでかまわないとしても、あまり踏みこんだ意見を述べると、
論理的に破綻するのではないでしょうか。
以下は、ごく最近のQ&Aに投稿した私見の断片です。
…… その夜のコンサート ~ 次郎と純一郎のベートーヴェン ~
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1390193318
── 赤川 次郎《ベートーヴェンを聴く夜 20120701 図書》P24-26
…… つぎの二人は楽譜が読めず、楽器の演奏もできなかったとみられ
ます。しかるに、楽譜の読めない読者から、もっとも信頼されたようで
す。楽譜が読めなくても音楽を楽しめますが、論じることは不可能です。
…… 小林 秀雄《モオツアルト》と、ゲーテ《エグモント》《運命》。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6229553.html (No.4)
共感・共鳴・共振 ~ うそかまことか出まかせか ~
…… ベートーヴェンを学ぶには、かならずしもロランを読まなくてよ
いが、ロランを読むには、かならずやベートーヴェンを学ぶべきです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7665105.html (No.1)
…… 古典主義にロマン主義が発現する劇的瞬間!
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7694772.html (No.3)
危うし危機かじり ~ Stranger in paradise ~
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