たとえば駅の遺失物案内所は一例ですが、もっと明るい感じの「ドジ」がいいですね。
[1] 今回はリアルにドジな人が集まる答えを求めていますので、たとえば「バナナの皮の前」というのはダメです。
[2] たとえば「競馬場」もダメ。これは「ドジ」というよりは「愚かさ」でしょう。
[3] 「国会議事堂」といった、斜に構えた答えもダメです。
それでは皆様の答え、お待ちしています!!
超特殊相対性理論
「ドジな人」とはなにか。様々な解釈がありうるが、ここでは周囲の人から「お前、ドジだなぁ」と言われる人である、と定義する。自覚の無いドジも存在することから、周囲からの評価が一般的と考えられるのである。
さて、周囲からドジと表現されるには、条件が必要である。
1 ドジとは、軽微な失敗である。
2 笑い話程度で済ますことができる影響しか残さない。
3 系統的に生じる失敗であり、個人の特性に原因がある。
4 周囲の人には、容易にクリアできているものであり、「ドジな人」だけが解決できていない状況が発生する。
5 ドジな人と認識される程度には、失敗が頻発している。
6 重大な損失を伴うような失敗を行ったことが無い。
7 ドジをした後に、そのこと引きずっていない(と、周囲には見える)
8 周囲の人が、当該人物を親身に感じている。
9 軽微な失敗に関する事象に置いては、責任者ではない。
このような条件を外れると、ドジでは済まされなくなってしまう。
このドジという、絶妙な失敗は、やらかすのが困難な人種
「どうして、そうなるのか理解出来ないのだよ。君を見ていると」と、
ドジでは済まないことをしでかして消えていく人種
「もう君には会えないんだ。会ってはいけないんだよ」
の中間に位置する人種のみが行えるのである。
では、その境界を考察する。
学校を想定し、簡単な計算問題が出題されたとする。ドジな人は、うっかり計算ミスをする。そこで、
「ああー、ここでマイナスだったんじゃん」
と、50点から70点の間をウロウロする。この場では、90点を取ったものは「普通では」ドジではなく、ドジな人を見守る人となる。
しかし、この90点を取った同一人物を、超進学校のエリートクラスに投げ込むと、事態は一転する。
「お前、そんなとこ減点されるなんてドジだなぁ」
となってしまう。周囲は満点当たり前である。ほんの些細なミスも見逃さない。その点では、90点の優秀な学生が、ドジっこに転落する。
つまり、ドジを判定する条件の「周囲の人」がキーとなっているのである。周囲のレベルによって、軽微な失敗の軽微さが変化する。すなわち、ドジは相対性なものである、ということが判明する。
相対性という言葉は、一般的には速度に置き換えると理解しやすい。自転車は徒歩より早いが車より遅い。その車もジェット機より遅い。等々。相対的な速度は、対象となる集合の範囲で決まるのである。
そうすると、ドジというものを考えるメジャーも、速度的なもので考えられないだろうか。
「射的だって、やってみる?あれ?いない」
「どこ行っちゃったのぉ。綿菓子の袋の絵、眺めてただけなのにぃ」
「お前、遅いなぁ。何見てんだよ」
「ごめーん」
どうも、ドジっこは歩く速度が遅いようです。
「あ、点滅してる。どうしよ」
「なんでお前だけ渡んねぇんだよぅ」
「ええええ、なんであのタイミングで、歩道渡れるのぉ」
やはり遅い。
「あ」
自動改札で、引っかかる。人の流れに押されて、パスを当てるタイミングが合わない。
「えー、カバンに入ってるはずなのにぃ」
「出るとき確認しないのかよ」
「だって、遅れそうだったから」
「余裕で起きてただろ、電話した時」
「でも、髪とか気になるし、天気予報もチャンネル違うと言ってること違うし、服どうしようかって迷うし」
基本クロックが遅いようです。
遅いことが、ドジの象徴とすると、都市構造では特定の場所に「時間を区切らず」に集中するということは、定義しにくいことになります。早い人も、遅い人も同じ箇所に到達する確率は同じです。ただ、停滞する時間が異なるだけで。
そこで、ドジがいる確率が高い場所の予測を行う。
1 相対速度を絶対速度に変換できる場所
2 時間処理を距離・ポジションに置き換えられる場所
3 破たんした結果が、重大な失敗にはならない場所
1は一定速度で移動する機械設備を想定できそうです。
2は任意のポジションを選択できて、そのポジションがその人の「注意深さ」や「敏捷性」に変換できる装置
3はしばらく待てばリセットかかるようなところ。
ありましたよ。
1 空港の手荷物受取所
2 スキー場のリフト
1はコンベアの終わり付近。
手荷物がすぐわかって、取れる人はどちらかと言えば上流で取ってしまう。若しくは、遠くから自分の荷物を認識して(バンダナとか巻いてますね)、迷わず取り上げる。でも、ドジっこはどの荷物が自分のかわからないので、一緒に歩いてしまう。または、コンベア沿いにウロウロして、終点まで行ってしまう。
→また回ってくるので、重大な失敗にはならないですね。時間かかりますが。
2は下りのリフト。
降りそこなったんですね。恥ずかしいんですよ。
この二つともクリアする、ドジっこを知っています。山頂からふもとまで、人の10倍かかりますから。
デパートの案内所。
私も時々行く。
miharaseihyou様、いつもありがとうございます。
自分もハンズでは、真っ先に案内所に行くことが多いです。
これは「ドジ」というよりは「ものぐさ」という感じもしますが、
ドジな人はしばしば、確認のための一手間を惜しむ人だというのも、確かだと思います。
街灯が少ない場所の、
背が低い花壇。
夜、転びそうになった事があります。
サディア・ラボン様、ありがとうございます!!
これは「バナナの皮」と同類かな? とも思いました。
ドジな人は、もともとそんな場所には近づかない、という意味ですかね?
駅の「のりこし精算機」(自動精算機)前
すべてじゃないでしょうが、うっかり居眠りして乗り越してしまった人も多いハズ。
MEI-ZA-YU様、これは上手いと思いました。
今回はかなり難しい条件だと思ったのですが、さすがです。
・コンビニの傘売場
・ラッシュ時、みんなと反対方向のエスカレータ
あれ?自分のこと考えれば思いつくぞ。
usamin5885様、ありがとうございます。
「コンビニの傘売場」は、まさに自分のことでした。
すばらしい回答です。
超特殊相対性理論
「ドジな人」とはなにか。様々な解釈がありうるが、ここでは周囲の人から「お前、ドジだなぁ」と言われる人である、と定義する。自覚の無いドジも存在することから、周囲からの評価が一般的と考えられるのである。
さて、周囲からドジと表現されるには、条件が必要である。
1 ドジとは、軽微な失敗である。
2 笑い話程度で済ますことができる影響しか残さない。
3 系統的に生じる失敗であり、個人の特性に原因がある。
4 周囲の人には、容易にクリアできているものであり、「ドジな人」だけが解決できていない状況が発生する。
5 ドジな人と認識される程度には、失敗が頻発している。
6 重大な損失を伴うような失敗を行ったことが無い。
7 ドジをした後に、そのこと引きずっていない(と、周囲には見える)
8 周囲の人が、当該人物を親身に感じている。
9 軽微な失敗に関する事象に置いては、責任者ではない。
このような条件を外れると、ドジでは済まされなくなってしまう。
このドジという、絶妙な失敗は、やらかすのが困難な人種
「どうして、そうなるのか理解出来ないのだよ。君を見ていると」と、
ドジでは済まないことをしでかして消えていく人種
「もう君には会えないんだ。会ってはいけないんだよ」
の中間に位置する人種のみが行えるのである。
では、その境界を考察する。
学校を想定し、簡単な計算問題が出題されたとする。ドジな人は、うっかり計算ミスをする。そこで、
「ああー、ここでマイナスだったんじゃん」
と、50点から70点の間をウロウロする。この場では、90点を取ったものは「普通では」ドジではなく、ドジな人を見守る人となる。
しかし、この90点を取った同一人物を、超進学校のエリートクラスに投げ込むと、事態は一転する。
「お前、そんなとこ減点されるなんてドジだなぁ」
となってしまう。周囲は満点当たり前である。ほんの些細なミスも見逃さない。その点では、90点の優秀な学生が、ドジっこに転落する。
つまり、ドジを判定する条件の「周囲の人」がキーとなっているのである。周囲のレベルによって、軽微な失敗の軽微さが変化する。すなわち、ドジは相対性なものである、ということが判明する。
相対性という言葉は、一般的には速度に置き換えると理解しやすい。自転車は徒歩より早いが車より遅い。その車もジェット機より遅い。等々。相対的な速度は、対象となる集合の範囲で決まるのである。
そうすると、ドジというものを考えるメジャーも、速度的なもので考えられないだろうか。
「射的だって、やってみる?あれ?いない」
「どこ行っちゃったのぉ。綿菓子の袋の絵、眺めてただけなのにぃ」
「お前、遅いなぁ。何見てんだよ」
「ごめーん」
どうも、ドジっこは歩く速度が遅いようです。
「あ、点滅してる。どうしよ」
「なんでお前だけ渡んねぇんだよぅ」
「ええええ、なんであのタイミングで、歩道渡れるのぉ」
やはり遅い。
「あ」
自動改札で、引っかかる。人の流れに押されて、パスを当てるタイミングが合わない。
「えー、カバンに入ってるはずなのにぃ」
「出るとき確認しないのかよ」
「だって、遅れそうだったから」
「余裕で起きてただろ、電話した時」
「でも、髪とか気になるし、天気予報もチャンネル違うと言ってること違うし、服どうしようかって迷うし」
基本クロックが遅いようです。
遅いことが、ドジの象徴とすると、都市構造では特定の場所に「時間を区切らず」に集中するということは、定義しにくいことになります。早い人も、遅い人も同じ箇所に到達する確率は同じです。ただ、停滞する時間が異なるだけで。
そこで、ドジがいる確率が高い場所の予測を行う。
1 相対速度を絶対速度に変換できる場所
2 時間処理を距離・ポジションに置き換えられる場所
3 破たんした結果が、重大な失敗にはならない場所
1は一定速度で移動する機械設備を想定できそうです。
2は任意のポジションを選択できて、そのポジションがその人の「注意深さ」や「敏捷性」に変換できる装置
3はしばらく待てばリセットかかるようなところ。
ありましたよ。
1 空港の手荷物受取所
2 スキー場のリフト
1はコンベアの終わり付近。
手荷物がすぐわかって、取れる人はどちらかと言えば上流で取ってしまう。若しくは、遠くから自分の荷物を認識して(バンダナとか巻いてますね)、迷わず取り上げる。でも、ドジっこはどの荷物が自分のかわからないので、一緒に歩いてしまう。または、コンベア沿いにウロウロして、終点まで行ってしまう。
→また回ってくるので、重大な失敗にはならないですね。時間かかりますが。
2は下りのリフト。
降りそこなったんですね。恥ずかしいんですよ。
この二つともクリアする、ドジっこを知っています。山頂からふもとまで、人の10倍かかりますから。
リフトですが、「下りのリフト」に限定すれば、確かに適度なドジな人ばかりが乗りますね。素晴らしい
未来の話になりますが、乗り降り自由なタイプの動く歩道が出来たら、終点はドジっこトラップであろうと。
リフトですが、「下りのリフト」に限定すれば、確かに適度なドジな人ばかりが乗りますね。素晴らしい
2012/12/17 12:08:50未来の話になりますが、乗り降り自由なタイプの動く歩道が出来たら、終点はドジっこトラップであろうと。
2012/12/17 16:56:35