私は高校時代バレーボール部に所属していました。
2年に上がると、合計しても後輩含め8、9人の少人数チームだったと思います。
2年でスタメン発表がされる時に当時160cmも身長が無かった僕に何とリベロというポジションでスタメン起用されました。
帰り道泣いて喜びました。
しかし、成長期によるためかオスグットなどで何度か大会や試合に出れない時があり自分がリベロでスタメンだと名乗っていいのかすごく悩んだ時期がありました。(その時リベロ登録されていたのは僕だけだったので)同期は怪我等もありましたが、軒並みスタメンでした。そして3年の春、新入生が7人入ってきてその内一人が中学でスタメンのリベロ経験者で、私はその子とリベロのスタメン争いになったのですが、自主練を頑張り過ぎたせいか疲労骨折まで起こしてあっけなく一年生にリベロのポジションを奪われました。
やはり後輩にポジションを取られるというのは屈辱的なものでした。
たまに部活の事を思い出すと自分が凄く劣ったような気がしてくる事もあります。
皆様のご意見、ご体験、様々なアドバイスお聞きしたいです。
どうかよろしくお願い致します。
人にこのように語れる体験がるということはとってもすごいことではないでしょうか?
すべての人がプロになったり海外で活躍できるわけではありません。
スポーツだけでなく様々なことにチャレンジできるチャンスができたと思えば一つのいい結果でしょう。
一時だけでも人より上にいけたわけだし、評価されたのだからすごいですよ。
最後まで努力する気持ちと、屈辱をバネにしてこれから新しい分野にチャレンジしていきましょうね。
奪われたのではなく、ポジションを譲ってあげたと考えてはいかがでしょう。
バレーボールはチームプレーです。個人のタイトルはなく、チームの勝ち負けが優先課題です。
チームにとって少しでも勝つ可能性が高まるのであれば、後輩にポジションを譲り、自らはベンチに下がって応援する側に回ってもいいじゃないですか。
社会に出ても同じことが言えます。
自分が黒子に徹することで会社や組織のメリットになるなら、檜舞台はそれに適した後輩に回すのが社会人としての正しい在り方です。
疲労骨折を起こすまで、自主練を頑張ることが出来たというのは、物凄く努力家だということです。
若さゆえに、限界を超えてしまったということですよね。
そこまで努力できる人と言うのは、ほとんどいないので、誇ってよいと思います。
思い出しただけでいてもたってもいられなくなる過去がある。
それを思い出したとしても、心が揺さぶられないようになりたい
過去にとらわれて消極的になったり、今に集中できる状態を変えたいということでしょうか。
自分も、20才前後の時には、忌々しい記憶に囚われていたように思います。
それから10年くらい経ち、過去に揺さぶられることは減りました。
それは、過去に向き合うというよりも、新しいことに出会ったり
自分の行動範囲が広がったことによる部分が大きいように思います。
自分の経験が増えていけば、自分の中に占める部活の割合は段々薄まります。
気持ちが揺さぶられることは、これからもあるでしょうが
今の日常でちょっとずつ頑張ることが、未来の気にしない自分につながると思います。
スポーツという面だけの一部分に過ぎません。
自分の力を発揮させる場所は仕事などでもできますし、ほかに発揮する場所がなくても影の存在として支える役として力を発揮すればいいのではないでしょうか?
目立つ役が必ず主役ではありません。
人生は失敗体験の連続で、たまにやってくる成功体験を通して、
自尊感情を高めたり、自己肯定感を持ったりできるのだと考えます。
質問者様もレギュラーを獲ったときには、涙が出るほどうれしかったと言って
おられます。これは人生における成功体験と言ってよいでしょう。
後輩に先を越されたのは残念の一言ですが、
質問者様もそのことで成長をされていると思います。
人にこのように語れる体験がるということはとってもすごいことではないでしょうか?
すべての人がプロになったり海外で活躍できるわけではありません。
スポーツだけでなく様々なことにチャレンジできるチャンスができたと思えば一つのいい結果でしょう。
一時だけでも人より上にいけたわけだし、評価されたのだからすごいですよ。
最後まで努力する気持ちと、屈辱をバネにしてこれから新しい分野にチャレンジしていきましょうね。
いくつか例を書きましょう。
A)オリンピック100m陸上の朝原宣治選手は
海外の選手に対して「あれだけ前に出られては追いつく気にもなれない(笑)」と、
絶対に勝てない事を理解している中で、どう続けていくかという精神面について語っています。
B)バスケットボールの田臥勇太選手は173cmでNBAで活躍していました。
「小さな体で大きな選手をすり抜ける抜群のスピード、類い稀なパスセンス、視野の広さとジャンプシュートがプレイの特徴」という事です。
スポーツの世界は勝ち負けがはっきりと出てくる世界です。
全戦全勝という化け物もたまに現れますが、いつかは老いによって負ける日が来ます。
ですから、劣ったような気がしてくるというのは、スポーツをしている以上、どこかで必ず通る道だと思います。
問題は、あなたが続けたいと思うのか、バレーが楽しいのか、そうではないのかという事です。
A)の例は「それでもなんとかやっていく」という例です。
B)の例は「身体的な不利を、超えるためにどう戦略をたてるか」という例です。
私はスポーツの経験はありませんが、夢を追って失敗して「そもそもやりたい事ではなかった」と気付き、今は楽しい事をしています。
私は、そういう視点で悩み、なにか答えが出ることを祈っています。
ここに参考となる資料を記載しました。おすすめです。
http://shizimamo.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
皆様沢山のご意見ありがとうございます。
どれも自分にはありがたい言葉でこんなことでどこか後ろめたい気持ちを持ってる自分がやっぱり情けなくなりました。
本来、上手いリベロやレシーブの得意でない選手がセンターなどに固まってるチームは裏表両方の選手にリベロとして付く事が一般的だと思うのですが、 僕は例外的な場面を除いては一人にだけリベロとしてついていたので、そんなところもスタメンやレギュラーという言葉に拘ることになった所以な気がします…。
でもこんなことにいつまでもしがみついていてはいけませんよね。
前に進まなければ。
引き続き皆様からのご意見お待ちしてます。
単に自尊心とプライドをどうやって維持していきたいか?という悩みでは?
でも、その手の問題は、周りがどういおうと、当人が納得できない限り悩み続けるものだと思います。
>たまに部活の事を思い出すと自分が凄く劣ったような気がしてくる事もあります。
比較の問題なので、比較対象によるかと思います。
たまたまなのか、必然なのか、貴方よりも優秀な人が現れたというだけだと思います。
>でもこんなことにいつまでもしがみついていてはいけませんよね。
しがみつくのも悪くないとは思いますよ。
それこそ、本人の自由です。
>前に進まなければ。
前に進むだけが生きることではないと思います。
そういう人って
頑張ることが正しくて、
頑張って結果が出ないと、何かが悪かったんだとか思いがちだけど
実際は、その考えこそ、思い込みですよね。
一生懸命やったことに対して、結果がでないことは今後もあると思います。
勝ち負けのみで考えれば、気にしていないだけで、他のことでたくさん負けていることはあるはずです。
現実なのですから、すべてに勝つことは叶いません。
ですが、努力したことによって、得たものはあるはずです。
自分にできること、できるようになったことに焦点をあてましょう。
そんなに気にしないほうがいいですよ。
上の方の人が言っているように、奪われたじゃなくて渡したと考えたほうが屈辱的にならなくていいと思います。
ポジション争いで疲労骨折してしまったことも、それほど部活を頑張っていたと誇りに思ったほうが気分が楽になると思いますよ。
>>2年でスタメン発表がされる時に当時160cmも身長が無かった僕に何とリベロというポジションでスタメン起用
もともとこれだけでもすごかったのです。
あなたは素晴らしいです。
そして次の新人にその立場を継承していけるチーム体質も素晴らしいです。
多くの人のチャンスを与え素晴らしいチームになるといいと思いますよ。
あなたも大切な一人として活躍したのですから。
やはりスポーツは結果が全てなので上手い後輩が選ばれるのも仕方ないとおもいます。
しかし2年でスタメンになれたのもきっと努力したおかげだと思いますので、そっちのほうを誇りに思った方がいいですよ。
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