匿名質問者

鎌倉時代の守護・地頭のうち、特に、地頭のことです。地頭は、私領・公領(荘園/国衙領)ごとに設置したということですが、それ以外の土地もないのか、です。

もし、そういう土地があれば、そこは「『地頭なし』の土地」となるのか?
それとも、そんな私領でも公領でもないような土地は、そもそも存在しなかったのか?

<1>日本全国の土地にある、①すべての荘園・国衙に設置したということ?、それとも、②すべての荘園等に設置する権利を得たということ?
<2>日本の土地のうち、荘園・国衙領ではなかった場所というのは存在しないの?
たとえば、建物が建っている場所(東大寺の荘園ではなく、東大寺の境内。内裏。公家の屋敷。)、荒地、山林、こういうところは地頭は置きようがない、とも思えますが、どうでしょうか、これは私領でしょうか。国府・郡府の役所の場所は、国衙領でしょうか(郡役所の建物の土地も)。
それと、山林とか荒地とか砂浜とか、年貢が取れないし、誰もいなさそうなところ。
<3>念の為:荘園の中の、管理人と屋敷の土地、荘園の中の耕作者の屋敷の土地は、荘園に含まれると思っています。

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回答1件)

匿名回答1号 No.1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%A0%AD
1源頼朝が朝廷から認められ正式に全国に設置した。

2地頭(じとう)は、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。

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匿名回答1号

頼朝傘下の地頭の公認については当然ながら荘園領主・国司からの反発があり、地頭の設置範囲は平家没官領(平氏の旧所領)・謀叛人所領に限定された[4]。しかし、後白河法皇が建久3年(1192年)に崩御すると朝廷の抵抗は弱まり、地頭の設置範囲は次第に広がっていった。

山野河海の収益は、地頭と荘園領主・国司が折半する。

2013/07/20 10:44:47
匿名質問者

有難うございます。
「山野河海の収益は、地頭と荘園領主・国司が折半する。」ですが、

  当該の山野に接する荘園があれば、そこの地頭と荘園領主で折半、
  当該の山野に接する国衙領があれば、そこの地頭と国司で折半、
  当該の川や海に接する荘園があれば(川岸たる荘園、浜岸に接する荘園)、
     そこの地頭と荘園領主で折半、
  当該の川や海に接する国衙領があれば、・・・
 ですね。
 これで、すべての土地が網羅されることになります(つまり、山野の猟も)。
 また、河川の漁業等の収益も。
 !!!
 

2013/07/20 22:46:24
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2013/07/20 03:46:17

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