作品によっては、そういう設定は一切ない場合も多くありますが、例えば、RPGでは、主人公と仲間が世界を救う話がよく出てきますし、ハリウッド映画の作品でも主人公が世界を救う話がよく出てきます。
「世界を救う」設定が、これほど需要があるのはどうしてなんでしょうか?
世界各地に伝わる神話には共通する構造があって、その代表的なものは、「目先の問題を解決するために行動していた主人公が、やがて自分より大きなもののために自らを投げ打つ」という物語です。
なぜあちこちの神話に共通する構造があるのか。人間が子供から大人へとどうやって成長してゆくのか、とか、生きる意味って何、といった問いを考えるモデルして、こういった物語が必要とされたのです。(ジョーゼフ・キャンベルという人の受け売りですが)
口伝えで神話を語り聞かせていた時代から現代まで、人間社会は表面的には大きく変わりましたが、人間の悩みの本質というのはそう変わっていません。現代でも、人々が聞きたいと思う物語というのは、神話の構造に沿ったものが多いです。
そして、「世界」というのは「自分よりも大事な、自分より大きなもの」のうちで一番、誰にでもわかりやすい具体例なわけです。
実のところ、あまりにわかりやすすぎるために、相当慎重に扱わないと安っぽくなってしまう設定でもあります。この構造の具体化としてはもっとささやかなものでも良くて、例えば「家族の関係を修復するために、自分のエゴを手放す」なんて設定もあり得ます。主人公が、当初は自分のことしか考えてなかったけれど、家族の想いが見えた時、自分の意地が家族を救う邪魔になっていたのに気づく、という構造をきちんと描けば、心をつかむ物語になり得るでしょう。
質問への回答として一文でまとめるなら、「人々が、人生の問題を解決するモデルとして聞きたいと欲する物語の共通構造があって、世界を救うというのはその構造のうち一番わかりやすいものだから」となるでしょうか。
一番失われるものが多い、つまり、救いがいが一番大きいからでしょう。
そうですね、フィクションで、ハッピーエンドは求められますからね。
(バッドエンドもありますが)
世界各地に伝わる神話には共通する構造があって、その代表的なものは、「目先の問題を解決するために行動していた主人公が、やがて自分より大きなもののために自らを投げ打つ」という物語です。
なぜあちこちの神話に共通する構造があるのか。人間が子供から大人へとどうやって成長してゆくのか、とか、生きる意味って何、といった問いを考えるモデルして、こういった物語が必要とされたのです。(ジョーゼフ・キャンベルという人の受け売りですが)
口伝えで神話を語り聞かせていた時代から現代まで、人間社会は表面的には大きく変わりましたが、人間の悩みの本質というのはそう変わっていません。現代でも、人々が聞きたいと思う物語というのは、神話の構造に沿ったものが多いです。
そして、「世界」というのは「自分よりも大事な、自分より大きなもの」のうちで一番、誰にでもわかりやすい具体例なわけです。
実のところ、あまりにわかりやすすぎるために、相当慎重に扱わないと安っぽくなってしまう設定でもあります。この構造の具体化としてはもっとささやかなものでも良くて、例えば「家族の関係を修復するために、自分のエゴを手放す」なんて設定もあり得ます。主人公が、当初は自分のことしか考えてなかったけれど、家族の想いが見えた時、自分の意地が家族を救う邪魔になっていたのに気づく、という構造をきちんと描けば、心をつかむ物語になり得るでしょう。
質問への回答として一文でまとめるなら、「人々が、人生の問題を解決するモデルとして聞きたいと欲する物語の共通構造があって、世界を救うというのはその構造のうち一番わかりやすいものだから」となるでしょうか。
具体的かつ、わかりやすい説明ありがとうございます。納得できます。
基本的には#1,#2に同じく、ですが、
質問者さんが「世界を救う」設定の作品を好まれる傾向がある、ということもあるのかな、と思いました。
そういう傾向は昔も今も好かれていますね。
具体的かつ、わかりやすい説明ありがとうございます。納得できます。
2013/08/31 16:04:00