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東条英機陸軍大将の件で、東条大将は長州閥というものに対して良い感情は持ってはいなかったという可能性があるとの話が出ていました。東条大将の若い頃、また、それなりに昇進していた頃に、まだ、長州閥というものが存在していたといえるのか、わかりませんが、いったいどうなのでしょうか。

さて、
 >東條英機の父親である東條英教は、陸軍大学第一期生の席次第一位という人物であったが
 >山県有朋に長州閥の弊害を直言したために 長州閥から疎まれ、主流を歩めなかった。
という記事を見ました。
東条英教中将は、いつごろ、どういった機会に、どんなふうに、直言したのでしょうか。
そのときに、山県元老はどういうポジションだったのでしょうか。とっても興味あります。

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  • 登録:2014/01/05 22:13:15
  • 終了:2014/01/12 22:15:18

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匿名回答1号 No.1

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2014/01/06 01:52:38

 ◆東條英教 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%95%99

・1885年度 陸軍大学校を首席で卒業(第一期生、卒業生は10人)。明治天皇から恩賜の望遠鏡を賜る(6期生までは恩賜の望遠鏡であった)。卒業後、陸軍大学校教官に任命され、メッケルに師事する。
・1888~1891年 井口省吾、山口圭蔵とともにドイツへ留学。

(中略)

 東條家は江戸時代、宝生流ワキ方の能楽師を家業としており、南部氏に仕えた家系であった。英教の父の時に盛岡藩に士分に取り立てられた。陸軍大第一期生を首席卒業したが中将とまりであった。その理由として盛岡藩が戊辰戦争で明治政府と戦ったためや、当時は薩長派閥が幅を利かせていたためなどが言われている。

 また一説にはドイツ留学時に、来訪した山縣有朋に藩閥の弊害を抗議し、山縣の怒りを買った事が原因とされる。これは英教が参謀本部第四部長時代に書いた、大本営幕僚として日清戦争に参加した経験に基づいて作成した『隔壁聴談』[2]が、後に山縣有朋らから睨まれる原因をなしたものであるという。この指摘によれば「英教が執筆せる日清戦史の忌憚なき記述は山県有朋の忌むところとなり、大才を伸ぶるを得ず。」[3]や、「英教は日清戦史についても独自の論を展開したが、その大胆な筆致は薩長閥の総帥だった山県有朋を刺激した」[4]という。

◆山縣有朋 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B

 明治16年(1883年)には内務卿に就任して、市制・町村制・府県制・郡制を制定した。

 明治21年(1888年)12月2日より、ヨーロッパ各地へ視察旅行に出る。その為、翌 明治22年(1889年)2月11日の宮中での大日本帝国憲法発布式典には臨んでいない。伊藤博文も学び、当時「シュタイン詣で」とさえいわれるほど日本政府の要人らがウィーンの憲法学者ローレンツ・フォン・シュタインを訪れていたが、山縣も訪問。ほかルドルフ・フォン・グナイスト、ヨハン・クルメツキ、ビスマルク、ヴィルヘルム2世らのもとを訪問。10月2日に帰国[8]。

 このことから、東條英教氏はドイツに留学中。山縣有朋氏は、内務卿としてヨーロッパ視察旅行中だったのではと自分は思います。
 東條英教氏の伝記らしきものがあるかは自分には良く分かりません。ウィキペディアで参考文献としてあげられている、泉章四郎 著・訳『東條英教「日本の戦争論」を読む』 に、ヒントがあるかどうか……自分は未読なので分かりません。

id:Kaoru_A

匿名質問者

 有難うございます。大変参考になりました。
 URL先での記載では、長州閥の元締めの山県氏に睨まれた云々とありますが、
 長州閥批判をしたから、睨まれたとはないのですね。
 こういうのは微妙だなぁ、正確には伝わらないだろうなぁ、と思ったしだいです。

2014/01/08 00:10:15
匿名回答1号

 長州閥批判ではないとはっきりと記載されていませんが、「戊辰戦争」の余韻……薩長派閥の勢力が強く、奥羽越列藩同盟藩出身者は肩身が狭かったのだと思います。

 「また一説にはドイツ留学時に、来訪した山縣有朋に藩閥の弊害を抗議し、山縣の怒りを買った事が原因とされる。」との記述は、そういう「幕末~大政奉還~明治政府樹立」の中で、結果的に敗者側になってしまった奥羽越列藩同盟や旧幕府側についた藩出身者に有能な人材が居ても「出世出来ない」とか「煙たがられる」現状を嘆いたものかもと個人的に感じました。

 鍵となるであろう「隔壁聴談」については、下記に情報がありました。

 ◆東條英教の「隔壁聴談」という本を読みたいのだが、どこかの図書館で所蔵していないか。 | レファレンス協同データベース :
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000056186

 東條英機氏の子孫に当たる方がブログをやってらっしゃいます。WEB検索するとでてきます。参考になる記述があるかもやしれません。

id:Kaoru_A

2014/01/08 11:20:11

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