『無意識の底にあるなにかを読み解けずに、苛々させられる』
や、
『なにかひやりとしたものを感じたけれど、その正体はわからず』
など、深読みされている感想がしばしばあります。
どうなんでしょうか?
http://necotoco.com/nyanc/bunfreeosaka_ug/kotohato/free/140816/2/work.php
凄みと遅延とそれから
筒井康隆の創作の極意と掟
によれば、小説には凄みがないと「ダメ」(ダメとは書いてないんだけど、そうとしか読めない)。
ストーリーは、遅延が必要、という。
(これは、私が読みとった内容。受け取り方は、個人差があるだろう)
さて、先の小説。
「なんだかわからないが、凄みのようなものを感じてしまう」
のだ。なぜだか全然わからない。背景にゴロゴロしてそうな単語の数々から取ってきた単語が並んでいるようで、「あえてこの単語をチョイスしたのは、深遠なる理由があるに違いない」と思わせる。(しかし、深遠な思いではなくて、ふと浮かんだ単語なのであろう)
この行間の隙間は、意図的なのであろうか。
この省略は、なにかの含みがあるに違いない。
勝手に深読みができる土壌を耕しているのは確か。それを匂わせるのは、地の文の向こうにかすかに見える「凄み」の様な気もしないでもない。
更に、物語が右往左往する。その方向性の変化するグルグル感と、行き着く先が見えない時間が長い、つまり「遅延」が生じているのだ。
たぶん、これは意図しないで発生しているのではないかと推測する。ゴール地点が明確ではないまま書いている過程が、読者から見ると遅延なのだ。
ということで、作者が意図しないのに、筒井の言う「凄み」と「遅延」が織り込まれているのである。それゆえ、小説として何かが含まれているはず、という印象を持たれる。しかし、深遠なる意図は存在しないので、深読み損になる読者が絶えないのであろう。
これさえも、深読み損の様な気がするのだが。
逆にこうかんがえてはどうでしょうか。あなたが感想を深読みしているのだと。
『無意識の底にあるなにかを読み解けずに、苛々させられる』 →唐突なストーリー展開がイラッとくる話だね!
『なにかひやりとしたものを感じたけれど、その正体はわからず』 →怖いのか怖くないのかわからない話だね!
を、礼儀と知性という包装紙にくるんで送ってくれただけではないでしょうか。
深読みといえば、私の身の回りでは、読んで短くとも感想をもらえるということ自体に「よろしい。つづけろ」という意味がこめられているといわれております(これこそ余計な深読みですかね?)ので、ひきつづきいろいろと発表していらしたらもうすこしわかりやすい感想ももらえるのではないかとおもいます。
ありがとうございます。
謙虚な気持ちは必要だと思いますが、基本自信不足のヘタレ作家なので、前半部分のような解釈をしてしまうと、三日三晩寝込みそうです。
「よろしい。続けろ」と判断して、引き続きいろいろと発表してまいりたいとおもひます。
とりあえず、エリーの胸が痛そうで怖かったです。あと、スーパーロボが川に潜れたのかどうかが気になるところです。
総じておもしろかったので、いろんな感想が付くのも頷けますです。
痛そうとか怖そうとかいう感想があるので、シュールで無軌道なコメディタッチの中になにかあると思わせてしまっていたのかもということですね。
ありがとうございました。
自動翻訳とか、
マルコフ連鎖による文章の自動生成
のような、
人間が書いた文章ではない気がしました。
変な文体、独特な文体とはよく言われます。
ですが、とあるサイトの文章解析機能では平易な文体作家として一位に輝いておったりもします。
その辺が、人間味がありそうでなさそうという奇妙な状況を作っているかもしれないですね。
ありがとうございまいsた。
センスの良い純粋ギャグでテンポ良く進みますが、
「実は何かしら意味があるのでは?」と思わせ振りです。
でも結局最後まで何も無くてツッコミたくなりました。
でも本当は何かあるんでしょ?
本当に何もないんです。
ちりばめて回収してないのが、思わせぶりになったんですね
ありがとうございました。
「視点」の話だと思った。
乗りで書いているように見えて、ぐらんちゃんの作品は物理的な視点が安定してる。
というか、神の視点が多い。
登場人物の台詞で進んでいくストーリーなのに、視点は、その人物ではなく、登場人物が演じている舞台を、客席から見ているような情景が浮かぶ。
多分、意識してないと思うけど。
でも、キャラや場面の設定は、割合、小出しに出てくる。
これは、説明調にならないように、意識してるんだと思う(無意識に、かもしれないけど)。
読者が座ってる位置が安定しているから、安心して読めるのだけれど、情報が小出しに出てくるから、情報的な位置が不安定。
それが、良い意味で、ちょっとずつ読者を裏切りながら話が進んでいく。
もちろん、小出しにしてるから、だけじゃなくて、提供される情報に、飛躍があるから、こその裏切りなんだけど。
それが「読み解けずに」とか、「ひやりとした」というふうな感想につながってるんじゃないかなあ、と思います。
(個人の感想に基づくものです)
ぐらんちゃんはね、トランス状態に入ると、勝手に手が動くの。
登場人物になったり、神視点になったり、それはぐらんちゃんにはコントロールできないものなの。
多分意識していない。
情報もかってに降りてくるものだから、小出しとか飛躍とかもなんにも意図していないの。
ぐらんちゃんはね。
というか、そういう作者の意図を超えた文章というのが、文学の本質でもあったりするのだろうか?と真面目に考えてしまいました。
ありがとうございます。
「遅延」という単語がしっくりくるなあ、と、思った。
作者のセンスとか、作風ということで、良いのではないかと。
ぼくには「筆が走る」という体験が無いものだから、とても羨ましい...
凄みと遅延とそれから
筒井康隆の創作の極意と掟
によれば、小説には凄みがないと「ダメ」(ダメとは書いてないんだけど、そうとしか読めない)。
ストーリーは、遅延が必要、という。
(これは、私が読みとった内容。受け取り方は、個人差があるだろう)
さて、先の小説。
「なんだかわからないが、凄みのようなものを感じてしまう」
のだ。なぜだか全然わからない。背景にゴロゴロしてそうな単語の数々から取ってきた単語が並んでいるようで、「あえてこの単語をチョイスしたのは、深遠なる理由があるに違いない」と思わせる。(しかし、深遠な思いではなくて、ふと浮かんだ単語なのであろう)
この行間の隙間は、意図的なのであろうか。
この省略は、なにかの含みがあるに違いない。
勝手に深読みができる土壌を耕しているのは確か。それを匂わせるのは、地の文の向こうにかすかに見える「凄み」の様な気もしないでもない。
更に、物語が右往左往する。その方向性の変化するグルグル感と、行き着く先が見えない時間が長い、つまり「遅延」が生じているのだ。
たぶん、これは意図しないで発生しているのではないかと推測する。ゴール地点が明確ではないまま書いている過程が、読者から見ると遅延なのだ。
ということで、作者が意図しないのに、筒井の言う「凄み」と「遅延」が織り込まれているのである。それゆえ、小説として何かが含まれているはず、という印象を持たれる。しかし、深遠なる意図は存在しないので、深読み損になる読者が絶えないのであろう。
これさえも、深読み損の様な気がするのだが。
なるほど。何も考えていない単語のチョイス、さらには結末の無いまま書いてしまっているという点が、微妙な凄み(含みがありそう感がにじみ出る)と遅延を生んだということですね。
奥が深く、こんな深読みをしていただいて、損をさせてしまって申し訳なくもあり、とても参考になりました。
なるほど。何も考えていない単語のチョイス、さらには結末の無いまま書いてしまっているという点が、微妙な凄み(含みがありそう感がにじみ出る)と遅延を生んだということですね。
2014/08/26 13:45:31奥が深く、こんな深読みをしていただいて、損をさせてしまって申し訳なくもあり、とても参考になりました。